師に奉げる

虎 流

心武一体型武道の全て

平成十九年八月発信


最新情報 佐山サトルの生の声を更新中。

2015/10/09(金) 何がための格闘儀か!

かくして対日方針指令は生まれた。

フランクリン・デラノ・ルーズベルト、この親中・親ソ・嫌日の狂人のせいで戦争に巻き込まれ、日本の行く末さえ消され恭順する戦後日本。
人種差別厳しい時代、日本潰しの先方は、戦前叔父が日本でクエーカー教(キリスト教)を布教していた、ヒュー・ボートンに託された。
国務省で行われた、その矛先は、有色人種だが優秀な日本人への憎しみと、それを根本から無くして弱体化させるという研究。
後に加わるのが、親日家だが日本軍部嫌いのグルー元駐日大使。
このグルー国務長官の願いもむなしく、ボツにされるポツダム宣言原案。
対してトルーマンによって突如交代した、嫌日のジェームズ・バーンズ新国務長官。
果してポツダム宣言やハーグ陸戦条約は無視され日本は洗脳され、誇りも歴史も文化もズタズタにされて今日にいる。
戦後日本が民主主義という名目の元に無くされたのは何か?すべて取り戻そうプリンシプルで!

本当に可哀想な国である。
昭和22〜3年頃から共産主義の脅威に気付き始めたアメリカが方針を変えるが、日本では東京大学などの主用ポストに既に復権させてしまっていて後の祭り。
マッカーサーも悔やんでいる。
かくして法曹会、歴史学会を乗っ取られてしまった。
民主主義から古代文明や宗教まで、騙し洗脳した手法。
当時日本の敵は共産主義者(純粋な共産主義が悪いわけではない)、ルーズベルト政権は日本占領後の政策学校まで作って研究したという。
それが司法試験や、テレビに出てくる一見まともな顔をした解説者など未だに影響している。
憲法や弥生人渡来説などは、最も卑劣なやり方だ。
当時、GHQに定められたプレスコードなどは、体裁程度にしか未だに変わらないマスコミの現状。
早く気づけ日本国民諸君!反日は日本自体である。
もしあの時の大統領がハーバート・フーバー前大統領だったら!
あんな戦争も文化の消滅も起こらなかった。

太古の時代より日本はしらす和国である、他の国とは大きく違う。福沢諭吉が正しいのだ。巻き込まれて入ったがために融合するより、一旦、神が分けたのかも知れない。

史上最高の文化を取り戻そうではありませんか!神国日本(これもまたGHQが定めたプレスコード)。
私が言う神国とは国家神道のことではありません。
明治当時、王政復古による国の一体感は、諸外国から日本を守るための手段としては最高のものだったでしょう。
ここでは日本人に流れる普遍的「道」のことを言います。
復活しましょう、まともな国との国際社会を考えて!
町人拝金主義者ではない者達による、まともな格闘儀を創りましょう!

従軍慰安婦問題、安保法案反対デモのバカさ加減、テレビ格闘技会、問題は全く同じです。

エレベーターで会って「大ファンです」と言ってくれた、内閣参与の藤井さん、私も安倍政権の大支持者です。
但し、同じ下関なので、地元意識で応援していると思われたくないのです。これからも底辺から盛り上げます。

大阪は堺のウエノ歯科さん、歯の治療最高でした。初めて痛くない歯医者さんと出会えました。しかも麻酔なしで痛くなかったのは初めてです。
日本中に教えたいぐらいです。

藤原先生、ご愁傷様でした。先日の日曜の醜態は凄かった。恐らくお母ちゃんから死刑でしょう。

2015/10/3(土) 次回プリンシプルは10月24日(土)

さて次回のプリンシプルは
「安保法制案」
日本の真の姿を何も知らない日本人。
いったい近代日本とは何なのか?
安保法案に反対する人々の姿と、マスコミ、広告業界、芸能、テレビの真の姿。
どうして日本は乗っ取られたのか?
このような日本にした歴代の総理の馬鹿さ加減と優秀さ、徹底的査定。
どの総理が最も愚者か?優秀か?

普遍的無意識が外にある者が政治を行い、メディアで解説をする姿。その民意と称する者達がどのような人物なのか?

左も右もちょっとかぶれた奴が最も醜いと言われる。
ちょっと読んだ記事や放送で全体が見えず押し通す馬鹿さ加減。彼らは決まって必死に意見したがり、「かぶれだな」と普遍的な説得力がないことがすぐに見破れる。
あのバカを丸出しにしたデモ参加者と、右を気取る奴らも同じ穴のムジナである。
要するに何があるこれがあるだけで、国の何かが見えていないのだ。
必要以上に意見を言いたがるのは愚者かスパイだと、昔から言われている。

見せよう、可哀想な近代日本という国家の真の姿を…
これから進む道を。
何のための「すまひ」かを。
格闘技一つをとっても佐山は何と戦っているのか?

もう少しで反日プロデューサーらに、またしても町人拝金主義に乗っ取られようとしていた事実。(内容は雲泥の差であるが…、 我々は厳選してすまひを造っている、日本を背負って進む覚悟のある者達だけである。そこに儲けだとか人脈だとか、ハゲタカ者に入る余地はない。)
また、ギリギリの所で守った日本魂の人々。
次回のプリンシプルは、すまひの紹介とあの真相にも触れる。

10月24日(土曜)
場所:興義館
時間:午後3時開始(2時30分開場)

佐山サトル

2015/05/14(木) まともな国になるための基本。

スイスが永世中立国になって200年が経つ。
彼らは第一次世界大戦も第二次世界対戦も中立を守って来た。
日本は平和を愛する9条があり、70年も戦争がない国だから、そろそろ永世中立国になる……だろうか?
絵空事である!スイスは武装中立国なのだ。
俗論派がいう9条に基づいた平和国家思想とは、非武装中立である。世界でも4番目に危険な東アジア地域においてはあり得ない。
昔、ある議員が俗論派の議員に質問した。
「非武装で敵が攻めて来たらどうするんだ?」
何と「黙って両手を上げていれば良い」と答えたのだ!
後に彼らはスパイとまで言われた議員だった。
確か日清戦戦争の前後にも朝鮮は、何度も中立国宣言をしたはずだ。あるいはさせられた。
それらは全て吹き消された。
また現在の国際連合とは、第二次世界大戦の「連合国」というのが正式名であり、昔の国際連盟とは全く関係がない。
日本は訳で誤魔化していて、一方、世界の観念は未だに抜けていない。というか、最初から目的が違うのである。
我々は常任理事国を目指すのではなく、連盟を解体し新しい新世界秩序連合を目指すべきだと言いたいくらいである。
そこには大きな障害がある。
いつまでたっても世界の仕組みは、大日本帝国陸海軍とナチスが同等なままなのだ。
戦争に巻き込み、原爆を落とし、市民を空襲で殺し、捕虜を皆殺しにした事を、ウォーギルトインフォメーションプログラムで、世界に隠すには日本軍を悪玉として、血祭りにあげておかなくてはならない。
未だに第二次世界大戦の情報を開示しないアメリカとの、着地先を見つけてやらなければ、日本は独立できない。
だが、この国はどんなに俗論派や正義派を基準にしても、戦後、管理され(ドイツと日本は二度と戦争をやらせない)ここまで来ているから平和なのである。
その「やらせない」をやらせ、共産主義を抑え安保体制を維持したアメリカ。
抑止力外交の出来ない日本はよく今日までやって来たが、各国が力をつけてきた以上、これからはその場面が違ってくるが、国民がついて来てない。
ここから逃れて真の独立をするには、アメリカの要求通り血を捧げるしかないのか?答えは今からの外交であり、やっと安倍首相がスタートさせたのだ。
後方支援でここまでの環境(米国の歓迎)だ。
近未来、日本の指導者が、パーマストンやビスマルク級の政治家であるべく実力が出せるかが試される。
これからはしっかりとした政治家を選ばなくてはならない。与党も含めもう誤る余裕はない。ここで将来が決まるのである。
その第一条件は正しい歴史観を持っているかどうかである。
ナチスは確信犯だが、決して日本は違うし、ドイツはナチスが裁かれただけだが、日本は国家が不当に裁かれ、今も世界は日本を敵国扱いだ。
いつまでもそれを煽っているのが俗論派と、研究しようともしない世界の保守系歴史学者である。
日本自体に俗論派がいる限り、変えようと打って出る機会は妨害され続けた。
今回、安倍首相はそこへ風穴を開けたのである。世界が変わる兆しは見え始め、真の外交が出来るかもしれない。
演説以降、俗論派のマスコミは、上げ足取りで世界にリベラルを示そうとしているのだろうが、あまり受けないのは何故だと嘆いているだろう。
この国はもっと真実の近現代史を学ばなくてはならない。

ところで中立国になるためには武装が必要だ。
スイスは武装中立国であり、ナチスにも連合国にも攻撃を加え中立を守った。ちょっと前までは民兵制であり、今ではしっかりとした徴兵制の軍を持っている。
対して9条があるから日本は非武装で中立を守れるし、70年間戦争が無い平和国家である?
この理想とするパターンを、保守派が邪魔している?
地政学や正しい歴史を認識している正義派は、絵空事として笑う!
馬鹿なタレントが必死こいて正義を語っている姿は滑稽で、俗論派の猿使いに回されている猿にしか見えない。
いい加減、正しい政治家を出そう!正しい目を持とう!
但し、過激になる必要は無い。日本国民は冷静で民主的で暴力に訴えない深い経験をして、戦前からある民主主義を完成している。
決してアメリカに教わったものでもなんでもない。
静かな大地に、怒涛のように響かせる草莽崛起の魂を秘め。
いざという時にまとまる国民性なのだ。

佐山サトル

2015/05/01(金)

安倍首相は素晴らしい演説をした。私の情報からは総理は正義派の人である。
我々の矛盾は、世界が連合国のままの体制で、その歴史観がナチスも日本の帝国陸海軍も同等に扱われていることだ。
俗論派が集う戦後日本の体制において、正義派の主張をしてもまず敵国であったアメリカ社会が許すはずもない。
あの演説はそこをやんわりとこじ開けたのである。
アメリカの日本接近の最大の理由は後方支援である。あの用意されたスタンディングオベーションも全て、軍事への期待なのである。こう書けば戦後平和ボケした者達と、それらを利用しようとする者達とが、安倍は戦争をしたがっていると騒ぎ立てるだろう。馬鹿か!どこの世界に戦争をしたがる文明国の首相がいる。
我々はもう賢く強い外圧によって戦争に導かれる事は懲り懲りだ。
安倍首相は媚びたのではなく、最大の要因を築き防いだのである。しかも、ユダヤヘの危機感でどうしようもない世界に、強い才能を持つ国が味方してくれる首相が現れた。
安倍首相はこれらを見抜き正義派の主張を徐々に、世界に納得させていくための風穴を開けたのである。
まず戦前と戦後の国内にはびこる俗論派への対撃。俗論派と同じ歴史観を利用する国々。プライドと兵士を英雄にするアメリカ。体制は違うが三者の意見は繋がっている。
おそらくこれで正義派の意見がアメリカ社会に出てきはじめるだろう。
注意しておきたいのはアメリカが対中国への牽制ではなく、首相を向かい入れたということだ。
日本の反主流派は、後方支援に関して攻撃してくるだろう。明確に宣言した首相に逆らうものとして、はっきりとアメリカ国民に姿を現すことになる。

2015/04/18(土)

物を作る人と使う人との感覚は融合します。
両者が優れていると、その世界が頂点で一体化します。
名人と目利きの関係です。
日本人の職人文化と言えるでしょう。
名人が魂を込めて作った湯呑みで味わう茶と、大量生産で売れるように作った湯呑みでは、味も風味もその茶室自体の雰囲気も変わるでしょう。
しかし、なめてはいけません、拝金主義たちも必死なのです。
会社のため家族のためにと、恥も外聞もなくなんとか客に飛びつかせるために、売れる商品を開発しようとするものです。

私の格闘観で最も大切なのは原理原則です。至誠の魂が深く染み込んだ根拠がなければ意味がありません。
その中に秘める世界を、深く高貴に浸からせなくてはならないと、神経を注ぎ込んでいるのです。
おそらく名人といわれる人々は、深く共鳴してくれると思います。
武道の場合、心の原理原則が深く注がれれば、競技にも深い魂の集中が現れます。
私はそう信じ、歴史、科学、宗教等を研究し武道を創っているのです。
競技が魂に融合する格闘技なら、今でもA案、B案、C案くらいのものがあります。
しかし大事なのは魂の方です。
私の至誠は日本のためにやることです。
「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
松陰先生に習い、日本のための新しい武道を創設します。
待っていてください。

私の悪いところでしょうか、どんなに偉くて人気があっても、至誠のない者は認めません。
ましてや日本を落とし込めようとする俗論派だと思うと、カス以下にしか見えないのです。
先生には困ったものだと、平井が思っているでしょう。
日曜の左翼番組も然り。偉そうに正義顔しても私にはまったく通じません。

戦いには心ある武士道的なものと、昨今行われている容赦のない戦いがあります。
日露戦争と現代の中東での戦争のことです。
私は単なるスポーツを作ろうとしているのではありません。武道というレベルを造ろうとしている訳でもありません。
日本国の精神復活をする手段に達するものを創るというのが私の狂愚誠愛です。
心を故意に忘れさせられた、戦後レジュームともつながります。
その正体を完全に暴くのが次回のプリンシプルです。
俗論派にスキを与えず正確に暴いて見せましょう。

日本人にとって戦後とは八月十五日ですが、連合国にとっての戦後は、九月二日、あのミズリー号でポツダム宣言を受託した調印式の日です。
前にも書きましたが、日本の軍は全面降伏でも、日本国自体は全面降伏ではありません。ポツダム宣言に則っての降伏でした。
「戦前はこんなに厳しかった」という反体制派(今でもマスコミが使う手)を利用してまでもの攻略、東京裁判も憲法押し付けも、公職追放も警察権の剥奪も、教育の制限も改正も、歴史の改ざんも、敵国の正当性も、民主主義の宣伝戦略も、全て国際法やポツダム宣言違反です。
この時期のマッカーサーに騙されてはなりません。
日本を第二のフィリピン利権(マッカーサーはフィリピンでの大富豪、父はフィリピンの総督)にしようという腹と、アメリカの大統領を狙って、当時のアメリカ国民に受ける占領政策と、政府のお伺いをしていたのです。
弱り目に祟り目、弱い者に断然強いマッカーサーは、捕らえた者をいたぶるように、反体派の牢獄にいる俗論派の元達を解放させ、正義派を殴らせ続けました。
敵の敵は、都合の良い毒薬だったのです。
その毒が中枢にあるから、日本は治らないのです。
こんな事は日本が有色人種だから出来ることです。
ドイツはナチスが裁かれましたが、ドイツ国自体が裁かれた訳ではありません。昨今、お金が欲しい国が何癖をつけていますが…。

知っていますか?ポツダム宣言調印後の翌日から、政府機能の全権をよこせ、英語を公用語にしろ、逆らったものは処刑にする権限をもらうと指令して来たのです。
マッカーサーはポツダム宣言を一切無視にしてくる意欲万端だったのです、もしくは知らなかった。
その時、日本の官僚がポツダム宣言や国際法を、マッカーサーに教え必死に防戦して、やっとのこと論破し助かりました。
それがなければ完全に植民地だったのですよ!この国は。

20年9月20日も陸海軍に全責任を負わす政策「対日方針使令」
10月2日には「ウォーギルト・インフォメーション・プログラム」
GHQの大宣伝は「民主化」として「婦人参政権」「公職追放」「財閥解体」「農地解放」。裏メニューとして「憲法改正」。
復讐劇として「東京裁判」。
国民を騙す宣伝として捏造ラジオ番組「真相はかうだ・真相箱」、ローカルを含めた全新聞に一面で10日間にわたり捏造した「太平洋戦史」
俗論派が泣いて喜ぶことばかりでした。
全部占領政策用のウソです。本当のことも含めていましたから、本当の振り込め詐欺みたいなものです。

この教育をもろに受け育てられた今の五十代から上の人と達、左マスコミや芸能人、教育者、この時期に近代史の勉強をやり、その後の勉強をしてない人達に、俗論派が多いのです。
みなさんも勉強したら、楽しんでその人達と語り合ってみれば面白いですよ。
「昔は日本も、今の北朝鮮と変わらなかった」などと平気で言いますからね。
昔っていつ?
「戦前ですよ、明治からの」

次回プリンシプルが終わった後、ギャハハと笑えるようになります。

2015/04/01(水)

先日、山口県の萩に行ってまいりました。 吉田松陰先生の松陰神社に参り、松下村塾を何十年ぶりに見学して来ました。

「至誠にして動かざる者は、いまだこれあらずや」

幼少より山鹿流兵学などを学ばれ、孟子を勉強され、佐久間象山などに洋学を習い、若き日より学んだ行動学(陽明学)を実践された、改めて凄い方だと実感しました。

松陰先生に学ぶ現代の至誠とは何か?

いよいよ次回プリンシプルは核心に迫りましょう。

戦後七十年が経ち、悪いのはすべて日本の陸海軍にかぶせるという昭和20年9月20日に発せられた「対日方針指導」や、10月2日に発せられた「WARギルトインフォメーション」から植えつけられた、歴史観と憲法や復讐裁判と教育で、日本は大きく傷つけられたのでした。

その後、外務省と海軍はGHQと手を結びます。よって陸軍だけが悪くなるのです。

面白いのは学歴が高く昔から歴史に詳しいという人ほど、この時植えつけられた自虐の史観を語ります。

「えー、佐山さんはそう言っていますが、違うと言っている人もいますよ」
「証拠はあるんですか?」

この人達が反日体制にのまれた人の姿です。

右系と言われる学者であっても、自虐を調整してしまっている人がいる始末で、例えば、南京大虐殺で三十万はウソだが、4万人位だとか。
もはや多大な証拠が集められ、彼たちの常識は常識では無くなって来ているにもかかわらず、頭の切り替えが出来ていないのです。

しかし何故変わらないのでしょうか、学会と呼ばれる偉い学者さん達の中に、凝り固まった反日思想で重鎮と言われる方々がいて、生徒や周りも、例の如く、右へならえ体制となっているのです。
逆らっておかしな振る舞いをすると単位が取れないのです。
公務員試験や司法試験のバイブルでさえその人達の影響があると言われています。
権威というだけで右や左であろうと、その回りの人もそれにならってしまい、間違っているというスキを与えられません。

しかし、その中でも真実に芽ばえた学者達も多くいます。 これが「俗論派」と「正義派」との戦いです。 国民も早く目覚めなければなりません。

プリンシプルでは旧歴史観を語る人々を、「俗論派」と称し、勇気をもって真実を語れる人々を「正義派(研究派)」と称します。

これは大変な問題を抱えている事を認識して下さい。

貴方の回りにも、もっともらしく振る舞う俗論派が必ずいます。学歴が高ければ高いほど自信を持って語ってきます。
私達はそこへ真実の風穴を開けるのです。

ドイツは集団謀議としてナチスが裁かれました。ドイツ本体ではありません。

一方、日本は戦争に巻き込まれ、ありもしない集団謀議説で世界征服を試みたとされ、裁判とは名ばかりの復讐ショー(当時から言われていた)で裁かれ、憲法の改正や教育の改正、歴史の改ざん、思想の検閲まで、国際法上許されない行為を、国ごと受けたのです。
また、それに準じた裏切り者がいて、その一派は今も中枢に居座っています。
無条件降伏とはポースマス条約に応じた、軍隊に当てはまるもので、日本国への適用ではありません。

国際連合は本当に訳すと「連合国」です。私達はごまかされています。また、戦前の国際連盟とは全く関係ありません。

実は未だに第二次世界対戦後なのです。常任理事国の拒否権問題は皆さんもよく御存じでしょう。

ここで言いたいのは世界の歴史学会も、俗論派が占めているということです。
ここがすべての問題なのです。

慰安婦問題も吉田清治が虚偽の本を書いたと謝っていても、未だに世界は日本を相手にしません。
証拠が残っているにも関わらず、未だに全てが認められないのです、何故でしょうか?

日本では戦後その歴史観を更に、とんでもないことをしてくれた人々が存在します。プリンシプルでは実名でいきたいと思います。

日本は戦前国民が弾圧され大変だった?
確かにそういう輩にとって戦前戦時中は辛かったでしょう。
今の世界を見てください。戦時中はスパイや敵国思想は徹底的取り締まられます。当然でしょう、国が滅びるのですから。

戦前に共産思想だった人は、信じられないくらい反日です。
天皇制と財閥の解体。
当時こんなことを言っていたら取り締まられるのは当然です。

ヨーロッパでは偉大な指導者が多く出ています。
おそらく安倍首相は歴史観を認識している正義派の人でしょう。
ビスマルクは国が地政学上ヨーロッパの中心にあり、散々苦労しました、安倍さんも地政学と歴史学において、物凄く気を使わなくてはならないでしょう。心中察します。

どんなに頑張っても、世界は戦前戦中の日本に対してナチス同様です。歴史のロビー活動や戦略すら出来ていないのです。
安倍首相は七十年談話で相当オブラートに包まなくてはならないでしょう。それでも頑張ってもらいたい。世界に気付かせるきっかけでも良いから。

洗脳された日本の何も知らない子羊たちは、なぜ日本は謝らないのだろうと、真剣に思っています。
もし、識字率と民度の高い歴史の国で、国民も真実の近代史を良く学んでいるとなると、政府レベルでは言えないことも、我々民間がいつの間にか総意になり事は動きます。世界も認めざる得なくなります。

この事業が戦後の日本人に課せられた至誠なのです。
戦後レジュームの正体です。
妨害しているのは重鎮と右へならえの人々と無知です。

次回プリンシプルは俗論派の言う歴史観を木っ端微塵に砕きます。
日本人なら知っていなければならないことです。

佐山サトル

2014/12/13(土) プリンシプル年末特別版 12月31日

佐山サトル特別講演プリンシプル、早くも恒例の年末特別版です。

場所は「興義館」、入場料5000円
限定30名
8時から11時まで。

終了後、年越しそばを食べて、希望者のみ靖国神社へ参拝に行きます。
題名は「近現代日本史の真実」
本当の日本の歩みを見つめて下さい。

来年一月のプリンシプルは、12月25日に講談社から出版される、佐山聡著「リアル不動心」メンタルトレーニング を記念して、「リアル不動心」メンタルトレーニング を実践も含めてプリンシプルで行います。
精神力の真実を見つめて下さい。

2014/09/27(土) 次回プリンシプルは10月18日(土)

怖いでしょうか?不安でしょうか?

彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

混沌たる時代の中、世界は新時代を歩もうとしている・・・・・・と思わされている日本人がいます。
戦後から長い間、歴史と文化を避けされ、グローバルに惑わされ続けて来た今日の日本人。真と芯を無くし自信の無い今の戸惑いは当然なのです。

グローバルは良くないと言っているのではありません。
正体を解らずしてグローバルを受け入れるほど馬鹿らしいものはないのです。
太古の昔からこの敷島は、「受け入れと融合」の国です。
しかし現代は明治や戦後のように、日本を初々しい感で捉えてくれる状況にはありません。
日本人の優秀さをも取りさる、弱肉強食の中に存在する一国に過ぎないのです。
その協力者が日本人にいるのだからどうしようもない。

戦後焚書にされた歴史の真実と日本文化を、もう一度見つめなおそう。
世界の裏を知ろう。
各国は文化を捨てグローバルに生きる事はしない。

グローバルタウンと言われるニューヨークでさえも、人種が融合することはありません。
各国で個々にタウンを集合させ、普遍的無意識を理解し合っているのです。

アメリカの84パーセントは宗教を持ち、内、原理主義者という人々は8000万人、無宗教者は14パーセントに過ぎません。
世界の普遍的無意識を知ろう。

世界を知り日本を知り、百戦危うからず。
知って知りぬいて現状に気付こう、世界に対応しよう。
この先日本人はどう歩めば良いのか?自信を持ちましょう。

古き良き時代から、日本は受入れと融合の国と言われ、しかも何でも真摯に捉え精密に完成させてしまう。
この正体とは何か気づきませんか?
世界の支配人から選ぶホテルランキングでも毎年断トツのトップ。
災害時でも世界を驚かせた秩序。
女性が夜でも一人歩きできる清潔な街。
落しても財布がかえってくる国。
東洋思想と言われますが、その思想も独特な形に変えて完成させた国が日本なのです。
その証拠が日本です。
その正体を知りたくありませんか?大切にしませんか?

日本に古くからしみついてきた神儒仏一体思想。
本当の姿を皆さんは知っているでしょうか?

私が行うものは政治ではないし宗教でもありません。
戦後、グローバルにより失われ過ぎた文化を取り戻し、改めてグローバルに向かって行く精神革命である。

私は武道家です。
武士道を言うものは負けるという言葉があります。
殆どの武道は朱子学が主体となった武士道です。

私がいう武道とは明治以来のものではありません。
かつて武士道が「武道」とか「武の道」とか呼ばれていた時代、国(当時は「御家」)そのものを構成して来た至心と精神のことです。
平安には平安の秩序と武士道があるし、鎌倉には鎌倉、室町には室町、戦国には戦国の、江戸には江戸、明治には明治の武士道があります。

武士道という秩序に民主主義は合うのか?

多くの人は陽明学を知らないし、神道、儒教、仏教の実態を知らない。
その真実とは何か?
中江藤樹を知っているでしょうか、戦前は誰でも知っていた名です。
日本民主主義の原点はここにあります。
決して戦後からではありません。
武士道の根本もここに集約されます。

佐山の雄大な計画はもう始まっています。
18日のプリンシプルは何が必須かの総集編です。

2014/02/20(木) 次回プリンシプルは3月30日(日)神楽坂スタジオ3時〜

神道は宗教というよりも我が国の普遍的無意識の特殊な姿です。
「道」と言う概念により、素晴らしい民度を持つ民となりました。
経済的に二等国に落ち込んでも、未だに世界で一番信頼あるパスポート。
日本人イコール礼儀正しく勤勉で、犯罪をせず、世界のホテルマナーアンケートでも断トツのNo1。
あの大震災で、世界が目を見張った被災地の人々の冷静な対応。
これが海外だったら暴動が頻発するどころか、救助に向かった軍隊にも、自国の国民から銃撃され、応戦することもあるといいます。
一方、「友達作戦」で救助に来てくれたアメリカ軍は、規律ある行動をする被災地の人々と、感謝の意を示してくれる姿を見て大変感激していたといいます。
また、助ける事ができなかったと、涙して犠牲者を収容する自衛隊の対応にも、世界は感動していたことをご存じですか。
いったい未だにこの「世与その美を飾る」姿とは何なのでしょう?
ここ三十年間の私のテーマです。そして私の武道に対する考えです。
長年日本に住む外国の友人からは、この三十年の日本がおかしいと言われます。崩壊が始まっているのです。みなさんはこの浸食の正体を知らなくてはなりません。
格闘技が知らず知らずに、汚れるための装置であるとしたら、武士道の原点に戻り精神基底を構築する軸が必要なのです。
これは冗談ではありません。
武道本来の姿は町人拝金主義でも暴力でも、愚行を売るためのものでもないのです。
さらに原点には神道があります。いったいこの真の姿とは何なのでしょうか、次回プリンシプルでは、武道の原点を語って行きたいと思います。
そんな素晴らしい神道の加護を持つ日本人も、個人主義ではない真摯な環境があったからこそ、弱さを露見する姿をも持ち合わせています。
大舞台で本番に弱い、緊張という生理的な強さを克服できないのです。
神道精神を浸食せず、強さを造るものが武道の真の姿といえるでしょう。
古来より武道では、驚・懼疑・惑 ・緩・怒・焦、が勝敗を分けるといいます。
世界の中での戦闘精神学のトップだったのです。
リアル不動心では、普遍的無意識で「義」を構築し、
術として、常波・退波・窮波・パニック波・乗波・超乗波・戦闘トランスを講義習得し、最強を導きます。
本来、日本武道が追い求めて来たものの集大成なのです。
外国でいう個人主義的な強さと、武道の強さは大きく質が違います。

純粋で民度が高かったからこそ、まねいた崇高で悲惨な先の戦争。
そして史実が隠されている現状。
戦後、当たり前の国として歩んでこなかった国。
地政学上において現在も世界有数の危険地域、東アジアに位置するにもかかわらず、
浸食フリー思想の元、平和ボケし、長くスパイ防止法案もなく、思想統制をも好き放題されて来た国、この間、他の普遍的無意識にやり放題やられて来たのは当たり前のことです。
この情勢のもと、経済ではよく頑張ってきました。
これからは当たり前の国として、メディアリテラシーどころか、スーパーリテラシーが必要なのです。
どうでしょう、みなさんはちゃんと出来ていますか?
日本は素晴らしい国です。素晴らしいメディアも持っています。
だからこそ厳しいリテラシーが必要なのです。賢い民度の高い国民がいてこそメディアも育つのです。
このテレビは何系で、この新聞は何系の影響を受けている所か?
スポンサーは何系でどういうところか?その代理店は?
スリーS政策の正体を見切ることはできているか?
真実でも公で語れば叩かれる姿と、「どうだ言えないだろう」と武器にする者。
見極めましょう!
陽明学では、民衆は愚衆だと説きます。普段の生活に流され政治的には深い関心を持てず、ちょっとした主張に流されてしまうというのです。
指導者が立派でなくてはならないというのが、陽明学や空海密教の姿です。

古来より日本には儒教などのような「教え」は発せられませんでした。
遅れていたのではありません。
未だに田舎に行けば鍵をかけずに暮らしているところがあります。現代でこそ薄れて来た規範ですが、そもそも「教え」の必要がなかったのです。
神道自体に教えはありません。聖書もありません。
普遍的無意識の道という特殊性を持ち、規範が保たれていたのです。
八百万の神の中には、悪さや災いを起こす神もいます。人々は恐れ、司祭に災いを解くか、訪れないようにしてもらいました。
その災いを治める頂点が天皇の姿です。天皇は世界でいう皇帝の姿ではありません、教皇や法王といった存在なのです。また選挙で選ばれる人でもありません。
密教にも教えがないといいます、科学と術で生理的環境を造るものだからです。
一方、フリー主義にも教えがありませんが、前者とは全く異なるものですね。

次回プリンシプルは3月30日(日曜日)、場所は神楽坂スタジオ3時からです。
大東亜近現代史の史実は、すでに様々な本やインターネットで紹介されていて、私が説明しなくても良い環境にあります。
史実の根っ子はどんどん増幅し、最近では外国からもそれらを肯定する本や動画が出てきています。
今回はそんな近代歴史家でも、専門中の専門家、あの東京裁判の市ヶ谷記念館を、自衛隊の中で守り通して来て、勲章まで授与されている井上先生に御登壇願います。
史実に耳を傾けに来てください。
私は武道の原点を話します。

掣圏真陰流 総監 佐山サトル

2013/11/12(火)

次回11月17日プリンシプルは形而上・形而下の世界
人間生理学と宗教の世界を語ることになります。
他と違うところは、人間真理と言わないところです。
日本武道をかけて、科学と実戦で証明してみせます。

形而上とは宗教だけのことではありません。
「勘」とか、「運」とか、「偶然」など、精神的に科学では語れないものもそうです。
格闘技でいえば必ず勝てるという信じ込みや、神がかり的な「勘」や「観」も形而上となります。
それらを作用する優位性の感覚暗示はどこから来て?どのように行うのでしょうか?

私は21世紀に新しく生まれる、日本武道創世に命を懸けています。
様々な角度から武道を造っていますが、今回の講演は精神性の頂点「形而上」です。
先人が残してくれたこれまでの武道に、歴史的責任を負いたいということと、佐山だからこそメガトン級に違うというスタンスです。

超実戦で使えるものが佐山イズムです。
武道だけではなく、普段の調子や仕事や健康などの面にまで関与する心(自律神経)。
心は大切なものとあらためて考えなおすと、貴方の将来も変わって来るはずでしょう。

生理学からみる
信じるとは何か?
妄想とは何か?
弱さとは何か?
強さとは何か?

もちろん言葉にも大切な要素があります。
また精神科学は意識無意識だけではありません、最先端の「クオリア」理論もふまえ、宗教における「祈り」とは何かとか、催眠という変性意識の世界、感覚の世界などを紹介します。
最先端でしかも実戦の武道精神技術であることが、圏を陰(無)で制す「掣圏真陰流」で、これが世界の最先端です。

佐山サトル

2013/10/25(金) 次回11月17日プリンシプルは形而上・形而下の世界

形而上とは、科学的に目に見えない精神世界のこと、いわゆるスピリチャルや宗教とか超常現象のことを差します。
気の世界や超能力もこれに当てはまるでしょう。

一方、形而下とは科学的根拠に基づく現実世界のことをいいます。
禅や瞑想は一般にはこの中間的なものとされていますが、果たして真実はどうなのでしょう?
精神科学や大脳生理学とはどうなのでしょう?

形而上をやるとき、切っても切れないものに、催眠(変成意識)があります。
かつて宗教に使われ、欧米ではすでに科学として認知され、日本では訳も分からなく怪しいとされているもの? はたして催眠とは何なのでしょうか?
無意識世界の真実、心の中は何が行われているのか?どう作用するのか?
教えの記憶作用と、宗教の信仰とはどちらが強いのか?
日本武道はなぜ強かったのか?
11月17日、佐山がはっきりと答えを出す大きな講演です。

神道は特殊です。
自然崇拝による八百万神や先祖祭祀を基本とし、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など一神教の神は、絶対正義の存在ですが、
神道では八百万もの神があり、
宗教というよりも普遍的無意識の世界を「道」とするものです。
わたし達は宗教感覚がなくてもこの「道」を生きているのです。

先祖祭祀として崇高に進む道の自然的本能訓とは、人として社会人として自然のあり方として、基本の教えがあるだけです。
父母に孝行すること、兄弟仲良くすること、夫婦仲良くし、友を信じ合うこと、慎み深く礼儀正しいこと、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ること、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕すること。

こんなの当たり前じゃないかと思われがちですが、本当にこの当たり前を崩さないかといえばどうでしょう? 2673年の道は崩れる事はありません。
民度とはこういうところから生まれてくるのではないでしょうか。

キリスト教ユダヤ教の十戒に似ていますが、神からの啓示と道との違いがあるのです。
彼らは神が絶対の正義ですが、神道の神様は災いを起こす怖い存在です。
それを祭祀でおさめるのが天皇の存在なのです。

天皇は皇帝ではありません。
皇帝とは武力で国を制圧し統治してきた存在ですが、天皇は祭祀の長でありかつ王の存在です。
ヨーロッパでいう教皇や法王の存在に近いでしょう。

あの大震災で世界の人々がおどろいた、被災者の皆さんの冷静さと、
天皇皇后のあの御姿こそが目に見えない道の存在なのです。

縦の文化に対して横の文化とは何か?
一神教という文化では、神から掲示を受け、イエスという絶対正義の存在があって、その民は親子を含め、全て横に並列である横社会となります。

神道では、人は元々「善」であるとする性善説です。
自然崇拝や先祖祭祀で、あらゆるものを受けいれ融合させ、独自のものを造る教えは、親や兄弟、周りの友や、文化や習慣などで社会が人を育てます。
世界が驚愕した東北の人たちの姿、
これが2673年の「道」の精華なのです。

性善説の環境の中、横の振る舞いをするとどうなるか?
どうしようもない者が出来るのは当然です。

また「教えはいらない」最低限の常識があれば良いというのがフリー主義思想です。
フリー主義思想というのは・・・・

神道は「教えはいらない」ではなく、教えが天皇との見えない存在なのです。
規制しない心の専制君主があるから安泰な民度となるのです。
これが日本の国体です。

縦社会のない性善説は崩れるのは当然でしょう。

その国体を守るのが武士の存在です。
国体を守るのは必ずしも武力ではありません。
老若男女に係わらず誰でも普遍的無意識を大切に出来るのです。

2013/5/13(月) 次回5月19日プリンシプルのテーマは東京裁判史観です。

今年3月、安倍首相が衆院予算委員会で、東京裁判について「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ始めました。

一国の総理が発言する歴史の真実。
何が隠されていて、何の勢力が未だにこの国をどう治めているのか。

昭和21年5月3日、11カ国の判事国の11カ国が連合国判事で行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)。

前年には、あの確信犯的なナチスドイツに対して行われた、ニュールンベルグ裁判が行われていました。
この裁判はドイツ国ではなくナチスを裁いたものです。

一方、全く異なった戦史経過であり、かつ、全く違った主旨のもとに裁かれた日本国。

何がナチスドイツと日本は違うのか?
裁き方の違いとは何か?
ここが大きな問題なのです。

サンフランシスコ講和条約で、わが国は判決を受け入れており、定説となっているこの件に、世界が今回の首相の発言に、おやっと思うのは当たり前のことです。
しかし、今は真相を世界の一部が気づいて来ているということです。
少なくともアメリカの共和党系首脳部は解っています。

ブッシュ大統領は、2005年5月7日、戦後60周年を記念して訪れたラトビアの首都リガで行った演説で、「ヤルタ協定は米国の犯した最も深刻な誤りだった」と述べました。
ヤルタ協定とは、1945(昭和20)年2月4日〜11日、日米英ソ三国で戦後の国際社会の基本的な枠組みを決めた首脳会談です。

大統領は「ソ連に過剰な譲歩をし、共産主義の本質を見逃した。それが戦後の国際社会の直面した深刻な対立と軋轢につながった」と、言っているのです。

ウエーク島でのトルーマンとの会談。
米国議会上院の軍事外交合同委員会での証言。
共和党系のマッカーサーは、5年の占領日本下での滞在を経て朝鮮戦争を指揮し、日本の真の歴史を理解しました。

しかし今の、東アジアでこの主張は困るのです。
歴史の真実を伏せ歪曲を進める国が、アメリカに圧力をかけると、東アジアの安定や、実際に戦う羽目になるアメリカは困惑するのです。

政治レベルでは解決は出来ないのです。
政府レベルでは語っても広めてもいけない真実!
民間で広まらなくてはならないのです。
ここで動かなくてはならないのが我々民間です。

東京裁判とは何か?伏せられている歴史とは何か?
また、なぜいつもこれほど問題になるのか、おかしいと思いませんか?

少なからずも知っておきましょう真実を。
現代日本の姿が見えてきます!

今回は東京裁判のスペシャリストで元防衛省の広報をされていた、井上先生もお見えになります。

何をされ、受け入れさせられたではなく、これからどう国体を正常化しなくてはならないかが重要な課題なのです。

歴史の真実を知りたくありませんか、いや、知らなくてはなりません。

2013/1/15(火)

大晦日のプリンシプルは充実のもとに終わり、今年のスタートは大変爽快でした。
内容は「武士道」でしたが、その歴史と真実を追求し、消されてしまったわが国の思想を少しでも体験して頂けたかと思います。
日本の思想は素晴らしいでしょ。
我が国は受入れと融合の国です。
約千年の武士思想はあらゆるものを、融合させながら育ってきました。
他の思想も尊敬し、胸を張って武士思想を刻み込んでください。
掣圏真陰流生理学と共に、不動心を得た絶対的人格が備わります。

先進国で唯一スパイ防止法案が無く、グローバルの名の基に乗っ取られる日本、今一度立ち上がりその基本を作り直してから、グローバルを推進して行かなくては大変なことになるでしょう。
詳細は次回のプリンシプルでさらに集中して行きたいと思います。


武士道というと、戦後、私達が暗示されているのは、新渡戸先生の「武士道」ですが、実は明治41年に日本語版が発刊された際、こんなのは武士道ではないと、数々の論評がなされました。
外国に日本の道徳を紹介するものとしては素晴らしい本なのですが、当時はその意志が解りませんでした。
当然、武士道本来の姿ではありません。
本筋の武士道も伝えられ続けましたが、明治、大正、昭和前期に国体の堅持に使用された武士道と共に消され、現代では新渡戸武士道が武士道の主体だと思われています。
新渡戸先生の「武士道」は、我が国の道徳を紹介するために書された本ですから、武士道に興味がある今の人達が「これが武士道か」と瞑想にふけっていると負けてしまいます。
道徳として紹介されたのですから、子供達の教育には大変良いものでしょう。

よくハングリー精神が強いといいますが、本来の武士道は比較にならない強さがあり、世界にも例の無い思想なのです。
日本が強かった時代の原動力であることには違いありません。
要するに本来の武士道は、戦後消されているのです。

「武士道というは死ぬこととみつけたり」の「葉隠」武士道も、様々な解釈で、平和ボケした戦後では、その後に続く文面で、「常中死に身にいたりては、武道に自由を得、一生落度無く家職をしおおすべきなり」とあるものですから、「本当は死ぬことではなく、生きるためにあるのですよ」と私も体良く使います。
しかし山本常朝が描いていた「武道」や「家職」とは、今の我々とは次元の違うもので、意味が180度変わります。
だからと言って「武士道には切腹があり、死を懸けているから強いのだ」という解釈ではありません。
切腹が誉と根付いたのは秀吉の時代からです。

武士道の本来の姿は、それ以前から存在します。時代を経て道徳化されますが、武の国ではそれなりの解釈がなされ、独特の世界観が国体を造ってきました。

これらの思想とはどういうものなのでしょう、知りたくありませんか?
いや、知らなくてはなりません。
と、やったのが、前回のプリンシプルでしたが、次回はさらに詳しく、武士道の思想をテーマにして行きたいと思います。

原理主義・フリー主義・精神術・武士道 と、テーマを決めてプリンシプルは行って来ましたが、皆さんのリクエストはありますか?

次回は三月三日 大規模な講演スタイルで行いたいと思います。

私はタイガーマスクですが、人生の大半は武道を造ることを決意してきた武道家です。

プロレスの方はストロングスタイルと選手の人格を重んじた団体、リアルジャパンプロレスを行っています。
プロレスとファンの方々の恩返しと思い主催していますが、どんなに素晴らしく包まれたカステラでも、中身が美味くなければすぐ見破られてしまいます。
味も色々あるでしょう、甘いだけでスカスカしたものとか、本格的に美味しいのとでは意味が違います。
リアルでは新弟子を募集します。
私が育てるのですから、本格的な武道と総合格闘技とストロングスタイルプロレスを兼ね備えた、敷居の高い超エリートを育てたいのです。
寮も備えます。
どんな覚悟を持ってどんな人間が来るのか、皆さんも注目してください。

NPO法人 危機管理能力開発機構
理事
佐山サトル

2012/12/19(水) プリンシプル20121231 予告

さて今年最後で最大のイベント「プリンシプル」は、明日の日本を再生させるに相応 しい年末の大晦日に行います。

場所は本郷の「興義館」(神楽坂は年末お休みのため)前に来たことのある人には、かなりリニューアルされているのに驚くと思います。
道場というよりもセミナールームという感じになっています。

今回の題名は、そのもの「武士道」です。

武士道とは何か?

貴方はこの国に暮らし、その実体も知らないとしたら・・・・・
戦後消された日本とは何かを知る上でも、絶対にかかせない勉強会です。
決して学校では教えてくれません。

いったい我が国の普遍的精神とはどうなっているのでしょうか?
未曽有の大震災にもかかわらず、大きな暴動や略奪もおこらず、領土を侵略されよう とも、国民が拉致をされても騒がず、冷静に見守り、時の経過を正しく判断できる国 民。
いつも街は清潔で安全、礼儀正しく、財布を落としても戻ってくる国。

関係ありませんが、この文化体制を崩そうとする害文化と乗せられる輩を、私は我慢 出来ないのです。

勿論、世界的にみて相容れる良い文化は有り、大切ですよね。
反対にそういう人からみても、うらやましがられるのが日本だったのです。

武士道という概念が具体的に言葉として表れたのは明治からですが、武士が道を究め る過程はどの様に進化し、私達に影響を与えているのでしょうか?
その答えが大晦日に出ます。

貴方にとっては物凄く大切な日となるでしょう。

そもそも武士の概念は戦闘者の規範という所でしょうか。
縄文から弥生古墳時代、平安、室町、鎌倉、戦国、江戸、明治、大正、昭和

服従階層から支配階級へ移行し、平穏な時代に宗教の規範のように、原理主義の「教 え」の精神が染み付いていく姿。

神道 儒教 仏教 朱子学 陽明学 古学 国学 士道 様々な教えが広がって行き ました。

戦後消された思想とは何か?

山鹿素行とは何者か? 本居宣長とは? 吉田松陰とは?

最後に世界の実体とは何か?

それに対して、新生武士道はどうあるべきか?

日本はどこへ行くべきか?

紅白や格闘技を見ている場合ではありませんよ。

貴方にとって何が大切なのでしょう。

一緒に年越しそばを食べて武士の魂を共有しましょう。

「女性も大歓迎です」と平井社長から!

2012/10/19(金) 次回、プリンシプルは10月28日(日曜日)

強さとは何か?
不動人格とは何か?
武道が求める最も重要なテーマです。
掣圏は最新科学と、武士道の精神的特色が融合したもので、精神に強力な鎧と、行動としての集中力が身に着く、最新にして最高の精神術です。

前々々回のプリンシプルは、世界のフリー主義の実態と日本の影響

前々回は、世界の原理主義の実態 前回は精神術

今回は実戦精神術です。

そもそも強さとは何でしょうか?
結論を先に言えば、「強さとは心的距離を制する最上の心的状態」です。
人は意識がある以上、圧力を受けやすいものです。
重圧や変調となって表れる人もいます。
圧力に対して心のリセット癖をつけるのです。
精神分析学から大脳生理学や催眠、NLP等を、武道の観点で取り組みました。
人の無意識の多くを支配する普遍的無意識(群れ土着意識)から、歴史や人としての教えやリーダー学を、心的距離として構築してきたのです。
医学が科学処方をするなら、精神武道とは心に鎧をつけるようなものです。
掣圏による心の鎧とは固いものではなく、柔らかく何でも吸収するフィルターのようなもので、心の圧力を消しさります。
何事にもヒビかない心、無意識レベルまでの「不動心」が強さの基本となり、その先に真の集中が現れます。
現代科学でいう、ミッドアルファーの中の集中波という状況で、距離を制したことになるのです。
特色はどの状態でもこの波動にいられるか
戦闘者だけではなく一般の方々にこの手法が使えたら、どうなるでしょう?

28日は充分堪能してください。

掣圏真陰流 総監
佐山サトル

2012/09/02(日) 9月9日「プリンシプル」開催

次回9月9日のプリンシプルは、いよいよ掣圏の心臓部、精神術です。
現代武士道の実態です。
前々回では世界のフリー主義の実態を、前回は原理主義の実態を講義しました。
今回は様々な生き方の中で、世界にごまかされずに、自分をどこに置き、現代武士道とは何かを、掣圏理論とともに講義していきたいと思います。

「葉隠」が言う
”武士道というは死ぬこととみつけたり”
の基本理念、戦後、世界が消したかった、この精神構造の真実とは何か、現代に完全復活させて、新価値観を日本中に広めて生きたいと思います。
どこまで佐山はやるのか!しっかりと現実を見つめて下さい。

一見、切腹でも復活させるのかと思われそうですが違います。
”死ぬ”ではなく、”死”の基底から生まれてくる不動波の事です。

圏を制する掣圏の特徴は、自己の内観を支配する脳波波動をコントロールすることです。
催眠術ではない、掣圏の催眠とは何かをよく解るはずです。

精神術からみたキリスト教のラブアルファー波に対し、武士道ではデスアルファー波を構築します。
愛の基底と死の基底の違いで、両者の波形は異なっていても、精神規範で共通しているのです。

何を言っているかまだ分からないはずですが、9日に来た方々は全員、目を輝かせ、復活日本を実感するでしょう。

フリー主義の行き過ぎで、それらを無くそうとしている日本。
フリー主義のトリックは前々回説明しました。
原理主義に走りすぎてもダメな事を前回で説明しました。

今必要なのは良識ある、武士道の姿なのです。
これがわかると貴方は絶対に掣圏を学びたくなるはずです。

政治で変えることは出来ません。
橋下市長や安倍元総理、榛葉議員がやろうとしても、目に見えるところ、見えないところ、国内外から、必ず妨害が入る構造の日本です。

ならば、ならば底辺から押し広めようではありませんか。
各地にリーダーを、或いはこれからのリーダーを造って行こうではありませんか。
皆さんの気づきがこの国を変えるのです。

掣圏真陰流 総監
佐山サトル

2012/07/21(土) 7月29日「プリンシプル」開催

次回7月29日 佐山サトル特別講演会「プリンシプル」

世界最強 武士道精神術

2012/07/17(火) 特殊武道 掣圏

格闘技人生の中で、既に二十年以上も前に、技術の追及は完了していた。
武道に目覚め、至高の意思をもって創始して来たが、その大半は精神の追及のみに徹している。
武道の真実は精神力であるからだ。
他のものとは比べ物にならない。
日本の精神基底をも、左右させるものだからである。

競技は人間形成に伴う手段の一つに過ぎません。
義や礼儀を重んじ人格を構築するものでなければ、形だけのものになってしまいます。
大事なのは、その武道が持つ原理を学ぶことです。

『掣圏』の精神術は、世界でも類を見ないものでしょう。
心を科学し自己精神に深く眠る活力の源、歴史を紐解き、「こう生きなさい(原理原則)」を不動心に紐解き、原理を導き出したスーパー武道なのです。

「仁」や「義」を信じた心は原理となり、いついかなる時にも、弱化に響かない不動の心となります。
また武道として精神術を学ぶことにより、不動を生かせるようになります。
どこへ行こうと生理的に堂々としていられるのです。

日本武士道の叡智と歴史を基に創造し、史上最高の精神武道として、高いメソッドが構築されたものが『掣圏』です。

原理原則

世界が啓蒙して来た中、封建性や差別観念は淘汰され、今、新しい観念の中「こう生きなさい」という原則は絶対必要なものです。
武道は宗教ではありません、不動心の軸を造るものです。
道幸氏との「リアル不動心セミナー」では、その一部を垣間見た方々に、ここまで実戦的なのかという意見をいただきます。
強い心を身につけるには、男女、大人子供に関係なく万人が学べ、自己人格を得るでしょう。
心の強さは、温和な優しさを意味する生理的な許容範囲が、どこまでも広いことなのです。
武道の本質です。

神経強化法

私達は連想の連鎖から、瞬時に、思いや、感情や、情動を湧き出させる神経体です。
自己にしまわれている連想によって心は連鎖し反応するのです。
弱さとは、ネガティブに導かれる反応体質?
強さとは、ポジティブに導かれる反応体質?

ポジティブに反応する者でも、弱さは簡単に表れ、また、その逆もあります。

弱さはプレッシャーや不安に対する神経の反射であり、人(神経体)がプレッシャーに追い込まれるのは、神経過敏な自律神経の不安定な精神状態にあるからです。

では何があっても不動心を得るには?
優雅な不動人格を構築する。
生理的訓練をする(自律神経訓練)。
強制施術(自己暗示)をする。
簡単なことです。

無意識に眠る大きな領域に、自己が持つ「普遍的無意識」があります。
育った環境の自己形成ですが、弱さにヒビかないように、常にホメオシタシスが働いています。
自己我欲の正統な分野となって、群れ意識を造り出しているのです。

神経が反応するのは自律神経です。
シュルツ博士の自律神経強化法というのが有名ですが、禅や瞑想と同じ効果です。
禅では無の状態、瞑想ではトランス状態となります。
実際に導くには経験が必要ですが、シュルツ式は西洋の禅と言ってもよいでしょう。

博士は催眠状態になった状況を反対に運動させて、自己催眠法を考案しました。
逆に言えば催眠というのは、強烈な自律神経強化法であり、強烈な禅や瞑想なのです。

私が催眠を行うことはご存じでしょう。
それは催眠術ではなく、催眠法を独自に開発しているものなのです。
催眠法とは無意識の領域に作用させ、武道なら弱さにヒビかない整理的なコントロールをします。
その昔、命を賭す事に、侍が行っていた禅と同じものを、さらに変化させた革命的なものなのです。

普遍的無意識強化法(国)

伊達政宗は国のあり方について、自らの五常訓を用い、「仁」に過ぎれば柔らかくなり、「義」に過ぎれば固くなると説きました。
現代で解りやすく言えば、仁とは『フリー主義』、義とは「こう生きなさい」の『原理主義』でしょう。

日本が抱えている問題の根本に、精神基底が無くなったことがあります。
正義を語ってはならない、最低限のルールさえあれば良い?
これで世の中が、大きくフリーに傾いたのです。
原理無き『フリー主義』というものがそうさせているのです。

これが、先進国の思想だと思っている人が多いことが問題なのです。
世界の実態は原理あっての『フリー主義』です。

確かに原理は人を構築させるものですが、怖いものでもあります。
使い方を間違えると大変な事になります。
伊達政宗が言うように、両方のバランスが重要なのです。

武士道は「切腹」を原則にまでして、封建制を強固にしてきました。
「こう生きる」ために切腹があるのか、罰として切腹があるのか、いずれにせよ戦闘集団として、この原則を用いても封建制が強くなるだけで、国としては弱化へ向かった時代もありました。

現代は戦間期です。
明治から昭和中期は戦闘期であり冷戦期でもありました。
戦間期に生きる我々は原則を間違えてはなりません。
自由と民主主義の中、バランスを保ちながら生きなくてはならないのです。

全ての宗教に共通するゴールドルールというものがあります。
人に迷惑をかけないという原則です。
それでもなぜ戦争をするのでしょうか?

未熟な普遍的意識のぶつかり合いだからです。
これは宗教に限ったものではありません。

経済的な戦略も政治的な戦略もあるでしょう。
世界の連鎖関係はどう動くかわかりません。
柔らかすぎて何も出来なくなった主義国家でも、他に攻められれば戦うしかない場合もあります。
戦争のことだけではありません。

日本は外交に弱い?当然の事なのです。
戦争は外交交渉での最終手段ですが、国民意識と体制が無ければ、全ての事前交渉で負ける事になるのです。

政治が悪い?
私を含め大衆が悪いのです。
陽明学では、大衆は普段の生活が大変で、大観的には愚衆であるとします。
批判する前に、あの政党を選んだのは誰なのでしょうか?
それを導いたのは何の勢力だったのでしょうか?
大衆操作に媚びない情報が必要なのです。
これを読める人が本当のエリートという人達で、国を動かす人なのです。
動かさなくてもいいですから、味方くらいになってはいかがでしょう。

後に、歴史改ざんされる満州事変での弱腰外交と、情報操作によって導かれた日中戦争。
導かれた大東亜戦争。
何を学び何を将来に向かって行わなくてならないか、答えは出ています。

我々は真実をつかみ、把握しなくては将来がありません。
広く世界に視野を広げるのです。

今の東アジアは、世界でも三番か四番目に危ない地域だと知っている日本人は、どの位いるでしょうか?

自由は大切な宝物ですが、過ぎれば柔らかくもなり弱くもなります。

では強さとは何でしょうか?

ブレないことです。

何があっても生理的に動じず、広く視野を持てる精神状況。
視野が狭まればブレて、他に何も思考できず、身体も心も縮み、状況打破も行動もできなくなる。
大切なのは不動心なのです。
国家もそうなるべきです。

強さの中に優しさが住居する姿に、徳を持つ者となる者を育てるのです。
「最低限のルールさえあれば」では出来ない人間形成なのです。

私はこれが陽明学だと思うし、国に置き換えてみると面白いでしょう。

何故日本だけが、フリー思想となって押しつけられたのか。

戦後、宗教や思想、武勇を誇る劇や歌まで検疫を受け、戦前に欧米を非難した本は、ことごとく焚書にされ歴史も消されました。
武道や相撲をはじめ、武勇を誇るものも全てが禁止にされ、民主主義を普及させると称し、フリー思想を植え付けられていきました。

昭和20年の戦後から、サンフランシスコ講和条約が施行される、昭和27年4月28日までの約6年半に、何が行われ50年代までにどのような教育を受けたかを知り、呪縛を取らなくては国が滅びるのは目に見えています。

日本は世界と違う、特殊な国と見られています。
壊れた自動販売機とも言われ、叩けばいくらでも金が出てくると思われているのです。こんな国は世界でもありません。

世界は日本が目覚めるのが怖いのです。
戦争ではありません。一つの正当なる国家としてです。
日本こそが眠れる獅子なのです。

ただし、バランスをとっての事です。

戦後の日本には、プロレタリア思想に育まれた平等主義と、同じ思想で東から米国に渡った思想とが、混合して持ち込まれて来ていたのです。
これが終戦時GHQの正体であり、このことを知る日本人はあまりいません。
民主主義を与えると称しながら、フリー思想派が東西から日本に来ていたのです。

彼等は儒教など「こう生きなさい」を徹底的に嫌いました。
「正義はこうだ」を敵対視するのです。
平等を与えるではなく、彼らの思想だったのです。
正義を語ったから戦争になった?正義があるから差別が起こる?正義があるからキレる?
しかしそれは世界の思想ではありません。
私が見たキリスト教徒は、悪さをしたら子供でも叩いていました。

質実剛健 男は男らしく、女は女らしくもダメだというのです。
例えば、女らしい男や、男らしい女がいてもいいじゃないかとします。
型にはめての差別をしてはならない、というのです。

生理的に男女の区別において、様々な体質があるのは当然で、差別するのはもってのほかですが、彼らの思想の目的は違うところにありました。
それは社会的環境がそうさせた、原点は全ての差別撤廃なのです。

プロレタリア革命の原型であるボルシェビキやメインシェビキは、原理主義が固まっていた当時の価値観から、世の中を啓蒙させるには、脅威の革命でした。

ちなみに、日露戦争でロシア帝国と戦った日本は、密かにその革命軍を応援して、正規軍を東に集結させない作戦をとりました。
彼らは自由平等博愛を社会化現象にまでして、社会を変えようとしたのです。

世界がその価値観に達した後、それがどう国に影響を及ぼすかまでは、考えられなかったは当然でしょう。

対し、キリスト教などの原理主義者の人々は、自由平等博愛は啓蒙しても、今でも人としての「らしさ」を取ることを一切認めません。

アメリカでキリスト教原理主義者は約四千万人、福音派を含め、他の宗教者は全人口の86%。
米国でフリー主義をかかげ、奇抜な格好をして、反戦や同性愛を謳うデモを、日本のテレビで見かけたことがあると思いますが、実際には、無宗教者はわずか十六パーセントに過ぎないのです。

一方、原理主義団体によるデモはそれ以上に凄く、反同性愛や堕胎にも反対していて、ちゃんとした服装で行進するデモがあります。

日本のマスコミと言えば?
前者を強調し、個人思想として世界はこう動いていると錯覚させています。
何の力が働いているのでしょうか?
いかに我々がコントロールされているかがわかります。

ロシア革命を成功させた、共産党の前身ボルシャビキやメインシェビキでは、全てを平等とする偉大な改革でした。
差別思想甚だしい帝国主義全盛の時代には優れたものだったのです。
その前にフランス革命を成し遂げたのも、同じ原点のルソーの思想です。

宗教はいらない、男女の格差もいらない、家族構成や習慣さえいらない、母親は父親の奴隷ではない。家事も男がやるべきだというものです。

ロシア革命を成功させたルカーチはハンガリーに帰り、当時のキリスト教規範の厳しい中、女子高生達に性の解放まで行いました。

いったいどこからその思想は来ているのでしょうか?
若狭先生の本を見ればすぐに解ります。

現代日本に流れる潮流とは何か?
何がこの国を動かしているのか?
もちろん我々はつかんでいます。

では、『フリー主義』と『原理主義』の間は無いのか?
あります。
フランス革命以降、キリスト教などの啓蒙思想は中道に移行して来ました。

彼等は毎週日曜日に教会へ行き、御祈りの後、説教を受け、挨拶の仕方や人を助けることや、殺してはならない、犯してはならない、盗んではならない等の教義を受け、きちんとした精神基底を持っていました。
フランス革命、南北戦争、大東亜戦争、公民権運動などを経て、その中で啓蒙してきたのです。

平和ボケした現代日本人は、自分達を中道だと思い込んでいますが、実態は精神基底を無くし、フリーを謳う民族なのです。
そう導かれ信じているのです。
悪い国ではありません。
最低のマナーさえあれば自由なのだというフリー思想から、精神基底を取り戻しましょう。
そしてバランスを大切にしましょう。

性悪説の一神教は、神を最上に置き、全ての民はその下に平等であり横社会となる仕組みです。
一方、性善説の我々は社会が人を造る構造です。
人間社会がしっかりして、縦に構造しなければ崩れてしまいます。
ただし、下の者が上の者を敬い過ぎるのは、本当の儒教の思想ではありません。
上の者が下の者を敬い育てて行くのです。
反対なのです。
これに対し、下の者は上を尊敬するのです。

日本は神を信じず、教義を受けていないにも関わらず、一神教を真似て横社会をふるまいます。
「こう生きなさい」がなくなり、「最低限のマナーさえあれば」では、構成が出来るわけがないのです。
いじめ?モンスターペアレンツ?上層階級の不良?
社会が崩れるのは当然です。

現在、世界は『フリー主義』と『原理主義』の狭間にあります。
65億分の1億を支え生きていく哲学を、いったいどれくらいの占領政策を受けた日本人が、理解しているのでしょうか?
昭和30年代、40年代の教育を受けた、今の50代60代の人が影響された教育は、戦勝国が押し付けた占領政策による歴史観と、それに伴い同調された思想なのです。

新しい歴史観は全く変わっているのに、そのことを知らないこの人達が、必死で論じる戦争史観と、フリー主義思想の姿は滑稽に映り、一刻も早く呪縛を取り払わなくならないと思うのは私だけでしょうか?

武士道とは何か?を突き詰めることは至難の業です。
明治に新渡戸が書したように、武士道はそれ以来無くなったのでしょうか?

武士軍団が巨大化するにつれ、その軍事態勢を堅持するために、規律を造り上下関係を重んじ、様々なルールが生まれて来ました。
ようするに、我が国の軍事文化となったのです。

朝廷があったおかげで、無頼のバイキングのような主義は生まれませんでした。

軍事政権はその体制を守るために法を整え、江戸に入ると朱子学を用い確固なものにして、一般の規範にも浸透させて来ました。

朱子学とは「格物窮理(カクブツキュウリ)」として、それぞれの事物には各自の「理」(真理を形成するもの) がそなわっているとするものです。
「理を窮めるには、自分の心の理を窮めることともに、事物の理も窮めることである」と説くものです。

封建制の確立と、それに伴う処罰が体制側にも厳しく行われ、世の太平を維持させるには、もってこいの物だったでしょう。

しかし元々儒教の思想はそれとは違います。
儒学の基本「五常の徳」は、徳をもって国を治めるという、当時のリベラルかつ原理思想です。

孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子が「仁義礼智」の四つを説き、さらに漢の董仲舒がこれに信を加え、「五常」を確立しました。
宋の時代に確立された朱子学は儒学の一派ですが、儒学本来の思想とは全く異なったものだったのです。

これに対し、真理は人の中にあると、真っ向から対立したのが陽明学です。

これらは一神教の規範にも共通する原理主義的なものとも共通し、武士道を通じて性善説である我々の基底に染み込んでくるものです。

現代においての武士道とは何を意味するのか

強さの事ではありません。
人として社会を生き、その普遍性が他の国にも対等かつ、相互に尊敬しあえる精神基底のことです。

勿論、現代に生きる以上、その昔、武士政権を堅持するために、封建制に固められた朱子学一変等の思想ではありません。

義に優れ、揺るがず、礼儀正しく、人として優雅、人間として勇者、社会人として行動の、ゼネラリストを造る事が、私の松下村塾の使命であると考えます。

歴史を紐解き、武士道の真実を解き明かし、武士が生まれた経緯や、その後どう変化したかを見聞するだけではなく、現代社会に適応する人間を造るのです。

そもそも日本という国家や民族とは、どう生まれ育って来たかを探らなくては、最高のものは出来ません。

王権を崇め、仏教を取り入れ、儒教や朱子学を学び、フリー主義を取り入れ、迷いに迷う現代日本。

精神基底とはどうあるべきか?
武道はどこへ進むべきなのか?

事物の全てを網羅してから、未来へ繋がる自由民主国家の確率へ導く、武道を造(創?)らなくてはならないと思考します。
佐山聡として、史上にも類のない完璧なものを仕上げなければ、過去と未来で歴史への責任を果たせません。

私の本心です。

2012/05/09(水) 巌流島

この度の巌流島400年イベントは、奇跡としか言いようのない大会でした。

経緯は一昨年、私の高校時代の同級生が、北九州行橋市のラジオ番組で、藤波さんから巌流島で試合を行いたいと言われたのがきっかけです。
さっそく下関で実行委員会が組織されます。

地元の有志が結成されたのですが、実行委員長は、私の父が勤めていた会社の二代目の会長でした。
何と、当時私がプロレスラーになろうとする時に、父から相談されていたという話を初めて聞き、何という運命だと感じてしまいました。
話は下関市長に届き、どうせやるならこの400年際に合わせてやろうということになって行きます。

それからまもなく、あの大震災です。

新間さんの発案で、まず宮古に絞って助けにいこう、ということになりました。
宮古といえば、私の兄弟弟子である藤原敏男さんの出身地です。
俺も連れて行けということになり、キックとプロレスの合同チャリティー大会を宮古で行うことになります。

チャリティー試合の前に、下関に帰郷し市長に挨拶をすると、市長から思いがけない言葉を聞きます。
「下関と宮古は、防災協定都市だよ」というのです。
これまた運命、宮古でのチャリティーを終え、今度は巌流島の大会に初代タイガーマスク基金から、子供たちを招待しようと新間さんが発案します。

それからは両市がこぞって宣伝をしてくれて、巌流島大会は大変なことになっていきました。
藤波さん、長州さん、私がそれぞれ巌流島の観光大使に任命され、藤原先生は宮古市の観光大使に任命されます。
私が帰る毎にマスコミの方々が押し寄せてくれ、6時代のニュースで流してくれます。
地元NHKの番組で取り上げてくれた後、これが大反響になり、大会後は長州さんと私のドキュメンタリーが放映されました。
また、これもあまりにも反響が凄いので、急遽同じ日に再放送されたくらいです。

そして17日は全国ネットで放映されることになりました。
是非みなさんも巌流島の奇跡を見てください。
本当に実行委員会の人たちには足を向けて寝れません。

2012/02/22(水) 実感「驚異の復活」

先日、最新の医療、幹細胞治療の二度目の投与を受けてきました。
前回の一回目は静脈点滴で全身にまわすものでしたが、今回は膝の内側靭帯に直接投与してもらいました。

宣伝や大げさに言っているのではありません、驚異です!

投与して30分から一時間で、正座が楽に出来るようになっていました。
正直、投与前の麻酔のせいかなとも思っていたのですが、一日たっても二週間たった今もその効果は同じです。
靭帯特有の膝のぐらつき感も、あまりしなくなっています。
つまり内側靭帯がくっついた?

次回は、前十字靱帯も後十字靱帯にも、投与してもらおうと思いますが、膝の中側にあるため、大変むずかしい施術なのかもしれません。

前回は私自身の幹細胞120万個を、一億四千万個まで培養し、静脈から全身に投与したので、直接膝には投与しませんでした。
胸あたりがすっきりし、やる気がでて、気力でスクワットは出来ても、膝は完全ではありませんでした。
治ったと思っていたのは、スクワットで筋肉カバーしていたのですね。

今回は違うのです。
筋肉でカバーしていると幹細胞治療を実感しないと思い、三週間前から一切スクワットをやらず、わざと一番調子の悪いまま治療してもらいました。
体は実感で一回目の10倍効いている感じがします。膝の内側は完治している感があります。
二週間たった今もスクワットはしていません、明日から行います。
先生に聞くと、二回目以降はそういうものらしいです。

道幸さんとの30時間セミナーも絶好調でしたし、巌流島も楽しみでしょうがありません!
今の私は、何もかも度外視して、真武道の追及をしているのですが、このスーパーパワーが凄い味方となるでしょう。
頭もすっきりした感があります。本当に凄い!

世の中のためにやれること。(2月23日 3月11日 5月5日)
プロレスの復興。(ストロングスタイルの出来る選手の育成)
新武道の創世。(世界最高峰の精神性)

幹細胞が私を強く復活させてくれます。本当に10年若返った感じがします。
もう一回やると20年かな?
本当に凄い最新医療!
復活した場合どんなタイガーマスクを期待しますか?

2012/01/03(火) 明けましておめでとうございます。

元旦は上杉謙信公の林泉寺にお参りに行き、謙信公の毘沙門天に祈祷してもらいました。

そもそも私が新生武士道を唱えるのは、未来日本の理想的な姿を構築するための大義です。
「第一義」を唱えた謙信公は、私の霊的感とでもいうものにはまったのです。
それが導かれたように、ここまで来てしまいました。何かがあるように思えてなりません。

林泉寺さんにある毘沙門天像は、実際に謙信公が祈祷していたものと同じ形で、実寸よりかなり大きく拡大されたものです。
昨年末に入魂され、私が第一号の御祈祷をしてもらいました。
これが謙信公が実際に祈っていた毘沙門天と同じ姿かと感激します。
ご住職の言うとおり、毘沙門天の名において、責任を持って国を守ろうと思います。
2012は毘沙門天の化身となり、国と人を構築して行きます。

基本

精神的な強さを求める武道が何故、礼儀礼節を重んじるのでしょうか。
強さと礼儀礼節とは何が関係あるのでしょうか?

そもそも強さの定義が解からなければ、強さは構成されません。
強さとは普遍的の無意識から発せられる、心の座った姿です。
そこから発せられる行動学こそが強さなのです。発せられる基盤がなくては何もなりません。
ハングリー精神から来る強さもありますが、それらは達成と共に萎えていきます。

普遍的無意識の大なるものは文化であり、その芯にあるものは義であるべきで、その周りに付くものが志となります。
文化を無くし義を無くすとは、腑抜けとなるだけです。
日本が外圧に弱いというのは、自立文化が疲弊して壊れているからです。

西欧の横の社会という亡霊や、反一神教の勢力による過平等姿勢の影響から、わが国はまったくおかしな論理で、閉塞感がただようよう国になって自信を無くしてしまいました。
諸外国の軽い礼儀や非礼節的な場面がメディアで流れ、日本人の若者に信じ込まされています。

例えば、NBAやアメリカの州によっては、ズボンを下げて歩くことは、すでに禁止にされています。
日本の若者はあれがファッションだと勘違いしてしまうのです。

メディアリテラシー(メディアを正しく見れる力)はその重要な防御策です。
世界の本音と建前社会(人種や宗教や地政学)を知らなくてはなりません。
真の民主主義を知らなくてはなりません。

侍の前身である武士は、バサラ者と呼ばれる無頼を誇った時代がありました。
貴族にさぶらう時代の到来に、荘園公領などを守る武士軍団となるにつれ、文武両道という風習が根付き始めたのです。
鎌倉時代に入ると、領地の民を守る時代がやってきました。
古今東西、無秩序、礼の無い世界が、崩壊しないのを見たことがありません。
さぶらった時代の秩序が、武士道となってからも永遠に生き続けたのです。

ただし礼儀礼節が武士道の誇りでもありますが、それらを重んじ過ぎるにあたり、諂(へつら)うような人格になってはいけません。
あくまで礼は自己を表すペルソナ的姿勢であり、自己の誇りと相手への敬意なのです。

多くの人が言う言葉ですが、
「日本人に欠けているものは哲学」であると言われています。
我が国の千年にも及ぶ精神基底を消されたことが、今の日本が負け続ける最大の要因であることは間違いありません。

諂うとは原理や哲学を無くされた礼儀礼節の姿なのです。
重んじれば重んじる程、自覚や自立を忘れて、ただの良い子になるだけです。

私たちに埋め込まれた精神基底の一つ朱子学は、格物窮理(かくぶつきゅうり)として、事物を突き詰めるものです。
逆に、陽明学は格物至知(かくぶつちち)として、人間の徳をつみ、真のリーダーとなる資質を得るものです。
孫子の兵法や、武蔵の太分の兵法は、リーダー人格がなければ、ただの姑息な戦法になるだけです。

ここに現代日本のジレンマがあるのです。
兵法を学んでも先見的人格がないのでは、組織戦は成り立ちません。
皆さんの周りにもいませんか?小手先の仕事はこなしても、先見性や行動性が無い人。今で言う企画性の無い人。

平和ボケ金だけ主義が、国を破綻させてきた要因であることに、気がつかなければ大変なことなのです。
義と不動心を持つ者が、これからの日本には必要です。

江戸時代も百年たった頃、朱子学は封建制度として人々を平定させ、その後二百年以上も幕府を安定させました。
かくして事物を突き詰める格物窮理は大成し、日本独特の職人芸は今も我が国の誇りとなっています。
逆に独立性が無くなってしまい、先見性に対処が出来ないところに弱点があるのです。
政治への関心はまったく関与させられず、各専門分野は究極に発達した職人芸となったということです。

私が武士道と言うと、封建制や縦社会を意味すると誤解している人がいると思いますが、まったくそんなレベルではありません。
自立性を主旨とするもので、人間として徳を積んだ先行的不動人格者の育成なのです。
諂い精神を脱却するには、精神科学と各学識が必要不可欠です。
真の歴史を学び、世界を知り、五輪書で兵法(武道の基本観点)を理解し、儒教や陽明学と対峙する朱子学をも学び、孫子の兵法を網羅し、精神学(戦闘生理学)を造り上げ、佐山武道は構成されています。

私が催眠を行うと言うと、誤解する人も多いのが日本の現状ですが、いわゆるテレビで見るような催眠術とは違います。
催眠には能動的催眠と受動的催眠があります。
犬になったり、ワサビが食べれたり、色々な行動をするショー催眠は、前者の能動的催眠です。
禅や瞑想などは受動的催眠の一種で、心の内部(自律神経)に影響させるものです。
士禅ではそれらを、より科学誘導させているだけなのです。

禅や瞑想では、無になったり、宇宙へ行ったりするものですが、士禅ではあらゆることが、心的変化で起こります。
個人的なセラピーではその人に合わせた、さらなる受動暗示を行います。
能動的ではなく、NLPほど浅い深度ではないところで行う、受動催眠というところです。

掣圏真陰流の居合は、集中力が高まったところで行うのですが、最高の集中状態で刀を抜き、人生での不動心に置き換えます。
人を切るための居合ではなく、不動心を構築するためのものなのです。

武道の基本である不動心は、「識」見識的なものと、「技」生理的なものと、「義」自己が信じる原理から生まれるものです。
見識とは知識からさらに確立するもので、実はさらにその奥の、胆識という所まで固める必要があります。
識はさらに深く細かく分け、以下の知識を見識から胆識に植え付け、自信と不動心を身につけます。

1 人情の識
感情と知性の調和

2 物理の識
物事の現象に対応する理を知る

3 自体の識
現象の本質を見抜く

4 事勢の識
物事が変化するエネルギーを把握し、変化を読み取る思考

5 事変の識
変化するエネルギーがどの方向に向かうかをとらえる先見力

6 精細の識
事勢と事変のエネルギーの動きを詳しく把握し、部分を精査する能力

7 濶大の識
全体を見通し決断する力

世界観や歴史観や、各学識や精神科学が必要なのです。
真の武道は世界を知り誇れる東洋哲学の姿です。
精神で強くなりましょう。独立性を持ち、真のリーダーになるのです。
それが哲学を持ち、世界に対抗できる国となる礎なのです。

武士道とは様々な定義がありますが、佐山武士道は歴史が判断するものと思います。
道幸さんとの不動心セミナーは、その実戦性に大変なことになっているようですが、さらに邁進して行きます。

これを書いている直江津のホテルで、藤原先生から真樹先生の悲報が入って来ました。
ご冥福をお祈りいたします。

2011/12/04(日) 超本物の武道

日本人であることよりも、国際人でありたいと言った政治家がいるそうだ。
国際感覚は大切だが、自国のアイデンティティーのないものを、世界は受けつけない。

ニューヨークやロンドンのような国際ヴィレッジと呼ばれる都市も、決して人種が融合しているわけではない。
各国の集合体があちこちに散らばって集合しているだけだ。
ただ国際人でありたいということは、士気のない軍が武器をほっぽり出して、敵に投降するようなものである。
このようなプロパガンダを出す者は・・・である。
ここにスパイ防止法案の難しさがある。
勿論この発言だけで逮捕は有り得ないし、締めつけてもならない。
そこに彼等は前衛的防衛から、スパイ防止法が危険だと主張する。
戦前に戻るとも言うのだ。
戦前の非常事態状況と今は違うし、米国であろうと非常時には何をしたか?
我が国の歴史観は占領史観であり、未だに継続している現状が国を滅ぼす。
それを利用する者がいることが問題なのだ。
国家に必要なのは充実した情報組織である。
民主主義である以上、国民に信用があり尊敬されるものでなくてはならない。
世界とも連帯しなくてはならない。そこに愛国心がないとどうなるかは、言わずとも知れたことである。
アメリカでは「愛国心のないCIA職委員」と言うだけでジョークになるくらいだ。
実は現在の日本の情報組織は優秀だが、政治に翻弄される。
このような輩のいる国に、CIAやモサドみたいに国家機関としてではなく、バラバラに存在するしかないのが状況だ。
忍者ごとく、小さく陰となるしかないのだ。

しかしそれでは世界に通用しない。
普遍的無意識が日本以外にある人に言っておくが、我ら日本は優秀である。
どんな状況でも真面目にコツコツとこなし、秘密情報は棺桶まで持って行く兵揃いだ。
歴史観念に騙され、あるいは普遍的無意識から、本気で反愛国ニッポン感情を抱く者は、この日本国には大勢いる。

孫子の兵法に、彼我を知れという教えがある。
彼とは敵、我とは自軍である。
敵を敵としてではなく、存在として知らねば大変なことになる。
国を守るとは、彼らのような目に見えない人々のことなのである。

何年も前に、ある国の作戦が発案された。
まずインターネットのサイバー攻撃で、日本を混乱させて正規軍を投入する。
聞いたことがある人はいるだろう。
すでにその攻撃の序章は来ているというのに、危機管理ができていない。

約2500年前の秋春時代、三国志の前、中国が混沌とした戦国時代に書かれたのが「孫子の兵法」である。
武家と呼ばれた戦争のプロが書した、現代までも最高の兵法書と言われている書だ。
考えてみれば、近代史の中国は春秋時代に近かったかもしれない。彼らは兵法に長けていて、それは今も継続中である。

かたや危機管理の無い日本。

精神基底を武道の面から取り入れる。

千年にも及ぶ、武道の礎 日本武士道
その文献や史実を基に、最強哲学の実態を分析し。
現代科学を取り入れ、世界に誇れる最強精神学を復活させる。
掣圏真陰流は日本の精神武道を、復活および創始するものである。

宮本武蔵が書した五輪書は、当時の兵法者が描いていたありようだ。
地・水・火・風・空からなる、地の巻で、一分の兵法(個人戦)、大分の兵法(組織戦)を説いたものである。
武蔵は言う。
槍の使い手は槍使い、鉄砲の使い手は鉄砲打ち、薙刀は薙刀使い、太刀を使う者は、太刀使いとは言わず、兵法者と呼ぶ。
兵法とは何か?
「万事に至りて用をなすものとすべし これ兵法の道なり」と、兵法とはすべてにやくに立つようにと説いている。
実際の役に立つように、教えもし、習いもせねばならないものだ。
技術や礼儀だけではなく、退かず折れない精神をもつことである。
それには文武両道をして不動を身につけよと説く。

掣圏真陰流はその精神部分を強調し実践する、科学武士道ともいえる。
不動心を持つことは、世の中の道理を「心即理」として得、心を磨き、歴史を知り、愛国心を持ち、精神術を取得することだ。
心を強く鍛練して初めて不動心は養われる。
私は全ての日本人にこの武道を説きたい。
礼儀と共に格闘を行い、身に付くものではないのだ。

武士道とは →平安から続く日本武士の真実
儒教とは →武士道の基底(朱子学)
陽明学とは →リーダーシップと行動学
五輪書とは →兵法者の有り様
孫子の兵法とは →組織の運用
日本の真の歴史とは →ごまかされない自信
世界の宗教との違い →精神基底の有り様
不動心とは →胆識と精神術
精神術とは →催眠法の習得

催眠もその一部ではあるが、催眠自体の誤解を解いておかなくてはならない。
催眠には能動的催眠と受動的催眠がある。
テレビの催眠術のように、犬になったり猫になったりする、行動に走るのを能動催眠と言い、心の内部環境に浸透させる、自己催眠的なものが、受動的催眠である。

催眠はそもそも自己催眠だが、掣圏真陰流では他者と自己を問わず、内部情動の環境を変えるものだ。
不動心やそれ以上の波動にするものである。

真の武道とはそういうものである。

2011/11/23(水)

武道は真の人間形成である。
生きる道理を知り、己を高め、不動心を身につかせるものだ。
人間形成は歴史を学び、現代と未来に確信を持つこと。
儒教や陽明学のような人格学で、物事の道理を修養すること。
兵法書(「五輪書」や「孫子の兵法」)などで、生きる術を学ぶこと。
最新の精神科学を学ぶことで等ある。

掣圏真陰流の場合、居合や体術も、このすべてに含められているところに、真の武道の姿がある。
過去を知り、道理を知り、常に最前線であるべきなのだ。
これらすべてが不動心を養うものである。

朱子学と陽明学は対峙している。
「格物窮理(かくぶつきゅうり)」と「格物至知(かくぶつちち)」
「性即利(せいそくり)」と「心即利(しんそくり)」

朱子学の「格物窮理」とは、万里の物と事(事物)には、真理を形成する道理が備わっており、自分がその理を極めることにより、事物の理も極められるという教えである。
江戸時代に全盛を迎えた日本の朱子学は、神道の先祖崇拝と合体し、独自の朱子学となったようだ。
また、幕府の全国支配の秩序維持にも使われ、封建制度はより一層確立された。
かくして自立性は押さえられたが、各様々な事へのプロ意識は高まり、今日まで続いている。
この時代が日本人の気質を作ったと推定される。

陽明学の「格物至知)」とは、「事物に本来極められたものはない、自分の心と良識が、事物の道理を極める」のだというもの。
自分の中に備わっている良識を、興すこと「至知」
それによって事物を極めること「格物」
陽明学は行動学とも言われ、知識と行動を一致させる「知行合一」という言葉も有名である。
人は知識だけではダメ、知識は見識となるがそれもダメ。見識は胆識となって初めて使えるもの。
陽明学を学んでいた吉田松陰は、さらに行動の極めとして「狂愚誠愛」を唱えた。

宮本武蔵の「五輪書」は、「一分の兵法(個人の兵法)」と「大分の兵法(団体の兵法)」という、武道の真髄を解いたもの。
槍を使う者を「槍使」い、鉄砲を撃つものを「鉄砲うち」、刀を使う者を「刀使い」とは言わず「兵法者」と呼ぶのはなぜか。
「一対一でも、一対十万でも同じこと」
「万事において、用をなすものすべし、これ兵法の道なり」
晩年期、武蔵は武道の真髄に気づいていた。

「大分の兵法」というと、武蔵もさることながら、中国には十三遍からなる「孫子の兵法」がある。
世界の偉大な勝者がこれを読み、読まなかった者が嘆いている。
約二千五百年前、三国志を向かえる時代の前、戦で混乱していた春秋時代の、戦争プロフェッショナル「孫武」が書いたもの。
私の所で学べば分かるが、恐ろしいほど緻密である。
現代でも会社の経営には絶対不可欠であろう。

それよりも中国にとって近代とは、春秋時代と同じようなものだっただろう。
彼等は絶対に兵法に長けているはずだ。
孫子の兵法は国に限らず、相手もこうして来るという読みにもつながる。

私たち日本人は危機管理にうとい。日本の情報組織はそれなりに凄いと聞くが、何せ国民が支持しない。トラウマと平和ボケした哀れな民族である。
私を含めて、民衆は民衆化すると愚民となることが多い。
何々さんはどうのこうのという前に、自分なのである。
まともな政治家がいても、世論がまともではない場合もある。
それを知るためにも、真の歴史と、それにつながる現代の流れをつかまなくてはならない。

すると本当の危機感が解ってくる。

2011/10/31(月)

義を第一とする掣圏真陰流で、礼とは、義に付随する最も重要なものである。
もはや礼は礼儀ではなく、義者を表す「礼義」としてあるものだ。
掣圏真陰流でなくとも礼は、倫理的規範で最も重視されたもので、仁を表すものでもある。
近頃の日本人は、最初の挨拶すら出来ない者が多すぎる。
掣圏の「礼義」でなくとも、礼儀を知らないのだ。
不良のカッコをしている若い馬鹿しかり、偉そうなカッコして、社会的地位にあるような輩しかり、自由主義を背景に、うつけものが堂々と生きている。
治安の悪かったニューヨークが、割れて放置された街の窓ガラスを直して、治安が良くなったが、日本ではどこも窓ガラスは割れていない。
国が滅ぶのは、ここから正さなくてはならないのだ。
私は礼の無いものに容赦しない。
といっても無視するだけであるが、時には・・・ やる。
「殺る」じゃないよ。
武士道を志す者、集結せよ!
原理主義と自由主義、義と仁、両者のレールが揃って、列車は走る。
そんな社会になれば良いね。
すべてはここから始まる。

佐渡から。
眠たい。

2011/09/19(月)

何てことだ!最悪の情報漏洩。
こんな国に誰も同盟なんか組みたくもないだろう。
戦争アレルギーを背負う我々は、絶対的な何かを見過ごしている事が、見えていないのだ?
国民はスリーSばかり、 まともなことを言うと、即アレルギーを起こす社会、よって本物と偽物の見分けもつかない社会。
平和ボケもいい加減にしろ!と嘆いている人はいるのだろうか?
そう思っている人も、心の中で、革命なんか出来ないと沈み込んでいる。
明治の革命家達から見たら大笑いである。
その者達に言いたい。壁が大きすぎると諦め、乗り越えられないなら、偉そうな事を行って邪魔をするな!
明治にもいただろう。攘夷や到幕を見て見ぬふりをし、ああだこうだ言葉にするだけの者。
何度も言っているつもりだが、この国に必要なのは、真の自主自立と武士道精神である。
武士道は野蛮なものではない。
自主自立して和の心を造るのが真実だ。
和は平和ボケでは造れない。
スパイ防止法案の無い国。事実上の統帥権の無い国。
自由を履き違え精神基底を無くした国。 このままでは潰れる。
何が起こるかわからない時代、どんな時代もそうである。
東アジアは世界で四番目に危険な場所だ。
危機管理こそがこの国を救うのだ。
何故わからないのか?ニッポン!

2011/09/12(月) 「武士道というは死ぬこととみつけたり」原理主義 と フリー主義

若狭先生と五輪書と、孫子の兵法と陽明学を学び、今何が日本に一番必要なのか、割り出してみると良い。
すると最新精神科学、掣圏真陰流が全てを造る。
単に武士道と言ってもその実態を知る事は難しい?
戦後の私達には想像も出来ない、我が国が千年にも及び育てて来た至高の原理主義である。

原理主義とは「こう生きなさい」と定める生き方をするものだ。
礼儀、人を助ける、殺してはならない、犯してはならない、盗んではならない、きちんと生きる等、数々の教えがある。
このように定める生き方は宗教だけではない。
先人達が造り上げて来た風習や習慣が、原理となり今日まで育ってきたものもある。

逆にそれらに捉われず、自由にやりなさいというのがフリー主義である。
勿論、自由主義にもモラルはある。
それは原始の時代、まだ人が集落を作る前、平和な環境で穏やかに暮らす時の状態がモデルである。

現代では両者共に自由と平等と博愛を主旨としているものが多い。
構築された原理主義を目覚めさせることは良いことかもしれないが、心の軸が無くなることを予知しなくてはならないし、原理をフリー化することもは、弱体化へ原理化することを忘れてはならない。
それらは意図的な方向へ誘導される、心地よい言葉であるからだ。

欧米フリー派は宗教や文化を否定した、共産主義の原点であり、アメリカ自由主義に多大な影響を与えたものと知る人はあまりいないだろう。
戦前・戦中・戦後、日本はソ連と米国の両方からこの影響を意図的に受けていた。
またそれが、キリスト教啓蒙思想における世界の流れだったのだ。
勿論、世界の情報に疎い日本人はそれを知るよしもない。

何事にも通じる、わが国の危機管理の甘さである。

戦後、何よりもまず日本の原理主義は押さえられ、フリー主義の牙城となっていった。
戦後、民主主義を教えられたとされているが、実際は米国フリー主義派のモデルケースだったのである。
戦後の米国が共和党政権下であったならば、良くも悪くも今みたいな状況にならなかっただろう。

世界は形而上の原理主義であるが、日本は形而下の原理「武士道精神」が基底となって、文化や生き方の基本となっていた。
奥ゆかしさ、謙虚、礼儀正しさ、芯の強さ。
内に秘める美徳の文化である。

キリスト教が愛で構築された教えなら、武士道は崇高な死で構築された教えである。
死といっても内に秘める証拠としてあるもので、恥を美徳とする由縁となっているものだ。

現代日本では封建制度を肯定するべくもないが、崇高な死を賭しての封建制度を体験した国民の民度は高い。
切腹は、江戸幕府三代将軍の時代まで追腹が後を絶たず、ようやく武家諸法度で規制された次第である。
当時の国の長である藩主が死ぬと、家老などの重臣が皆後を追っていた。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」で有名な「葉隠」も、このころに書かれたもので、山本常朝はこの追腹禁止令を嘆いている。

両者は愛と崇高なる死の文明で大きな違いがあるが、規範の部分で非常に似ている。
例えば人々が困っているのを見たとするなら、彼らは愛の原理で助けるが、武士道は死の原理で助ける。
もし武士がその場を見て見ぬふりをしたとすると切腹ものであるということだ。
死ぬまでも無いものは、恥の概念として定着していった。

明治に来た欧米人が日本人の規範の高さに驚いたのは、石門心学等で、庶民にまで浸透した武士へのあこがれであったのだ。
戦後、日本が文化を止められた中でも、当時の米国が最重要に仕留めようとしたのがこの精神基底である。
マッカーサーは国家神道を崩すために、キリスト教の聖書を1000万冊日本に持ち込んだ。
国家神道は崩されたにしても、国民の親天皇は崩れず、キリスト教化もされなかった。

かくして日本人は両者とも受け入れない中途半端な状態となったが、ある勢力がそこへ付け込む最高の現象となってしまったのだ。
GHQの中で白洲次郎が戦ったのもこの勢力である。
白洲は原理派を使って民政局のフリー派を解散へ追いやった。憲法を強要された後のことである。

しかし全てを排除できるわけも無く、深く日本社会に浸透し、いつのまにか日本人は精神基底を失っていくのだ。

一神教の原理主義は凄まじい。我々には考えられない基底である。
ブッシュ大統領やDNAの科学者でさえ、進化論を認めない。
彼等が天動説を認めたのはつい近年である。
教会で教えられる聖書に基づいた、モラルや礼儀作法は確固たる人格を造り出している。
六本木などで困った人を助けるのは、決まって彼等である。原理を無くした日本人は見て見ぬフリする。

逆に言えば厳粛な一神教正義の環境に、フリー派は何百年も戦ってきたのだ。
彼等はあの戒律厳しい時代に、高校生にさえ性の解放を行った。

当時の情勢をみて現在を見れば、武士道がなぜ止められ、なぜ今、新生武士道基底を復活しなくては大変なことになるかが解る。
勝者による戦後占領政策は、武士道イコール軍隊精神、軍隊イコール悪と、徹底的なプロパガンダがしかれていったのはご存じの通りである。
敗戦した国民は当然愚民と化す。これはしょうがない、情報が一通化されるからだ。

その占領政策で支配しようとしたGHQの人達のほとんどが、ルーズベルトと共に思想形成された、フリー主義の人々だったことを知る人は少ない。
ルーズベルトの婦人も、ウーマンリブの当主であることは有名だ。
米国の一般の人々はルーズベルトの事は好きでも、知識人の間では語ってはならないことになっている。

このフリー主義の起こりというのは、長きにわたって差別を受け、平等思想の原点を司り、アメリカに渡った人々のことだ。
その中に紛れ込み、日本に戦争を誘発した元凶、もうひとつのハルノート(実際のハル長官のハルノートは日本に送られていない)を作成したハリー・ホワイトは、戦後の赤狩りでソ連のスパイとして自殺に追い込まれている。
当時のルーズベルト政権はフリー派と共産主義者とソ連のスパイが、入り混じっていたのだ。

欧米フリー派のルーツは、東欧での虐殺も含め、あまりにも厳しい差別の中から、平等を思想した人々である。
19世紀まだ戒律厳しいキリスト教観念の中、全ての自由と平等を訴える、共産主義の原点だと知る人は少ない。
家族制度の崩壊(母親は父親の奴隷ではない)、家事の解放、性の解放、権利主義の崩壊、反権力とカッコつけ、軍隊や警察への尊敬度の崩壊も然り。

自由・平等・博愛をスローガンにしたフランス革命の成功は、その後ロシア革命でも成功したが、スターリンに追いやられ、ドイツで再構築しようとして、ナチスに迫害され、アメリカに渡りハーバート大学やコロンビア大学に根を下ろし日本にやって来た。
ハーバート白熱教室のサンデル教授も次世代のフリー派の代表として有名である。
ルーズベルトの周りには内外部を合わせて、約500人もその関係者がいたという。
日本国憲法の基本も彼等の先人が造ったワイマール憲法である。
GHQ民政局のコートニー・ホイットニー、チャールズ・ケーディス、女性の目からという観点から選ばれた、当時、二十歳の女子ベアテ・シロタ・ゴードンしかり、フリー派が造った憲法なのである。
やがて占領期間、日本の法曹会とマスコミに根を下ろし、今日にいたっている。

勿論、今の日本では原理主義は無いに等しい。
だが世界は原理主義とフリー主義の両方の線路があり、二つのレールがあって安定し、電車が走るように社会が動いている。

アメリカでは約4000万のキリスト教、ユダヤ教、モルモン教、イスラム教等の原理主義者がいて、そうでない人々にもかなりの影響を与えているのだ。
大統領でさえ聖書に手を添え宣誓する。

日本人は世界が原理派とフリー派の、両方があることさえ認識していない。
かくして高校生の規範は乱れ、貞操観念や性病は抜きん出て世界の先進国のトップ。
マスコミはフリー派のオンパレード。外国人が見たらひっくりかえりそうな内容ばかり。

日本では諸外国の、同性愛や中絶や麻薬などの開放をうたっているデモを映し、いかにもこれが世界だといわんばかりだが、実際は原理派のアンチ同性愛、中絶、モラルをうたうデモや社会制度のほうが凄いのだ。
アメリカの無宗教者は16パーセントに過ぎない。
特筆すべきは、米国が両方を認めている社会であることである。
両方があって社会という列車は走るのだ。
伊達政宗は「義が強すぎると国は固くなりすぎ、仁が強すぎると柔らかくなりすぎる」と説いている。流石だ。

しかし日本のマスコミや社会は、あまりにもフリー派に侵されている。
全てその時代の米国民主党フリー派による、戦後政策の影響である。

我々は未来に向かって進まなければならない。
大東亜戦線を、ああされたこうされたというだけではなく、将来を見据えて分析するべきである。
スパイ防止法案もない国、事実上統帥権の無い軍隊、まとまった中央情報組織の無い国。
それらを支持しない国民。
真の自立とはそういう壁を突破した時だ。

過去と世界を分析し、日本が生きる道を模索して、世界秩序に生きなくてはならないのである。
キリスト教の普遍的無意識、ユダヤ教の普遍的無意識、イスラム教の普遍的無意識、中華の普遍的無意識、印パの普遍的無意識、
もし我々現代日本がフリー派だとするなら、敵にお腹を見せて世界で孤立していくのだ。

サミット等で誰がこんな国を同等とするだろうか?
世界は舌を出して、フリージャパンを絶賛するかもしれない。
それが彼らのモットーでありプロパガンダであるからだ。
しかし彼らの源流は原理主義なのである。

一普遍的無意識では生きていけない。
しかしフリー派に浸かり、社会をボロボロにし、国家の体を崩すのは、世界の物笑いである。
それで良いという者もいるのだが、世界が見えていない輩である。
危機管理が見えず将来を廃墟にさせる愚信はいらならない。

忘れ去られた正義思想を少しでも構築しなおし、国を自立独立させる。
そんな社会が来るべく人材と危機管理機構をいち早く造らなくてはならないだろう。

宮本武蔵は言う。
槍を使いこなす者を槍使い。弓を射る人を射手、というが、刀を使いこなす人を刀使いとは言わず兵法者と呼ぶ。
兵法とは刀を魂とし徳を得る事、個人と集団があり、武蔵が重んじたのは集団の国家観念であった。
また、兵法の道を好く人は稀れ(兵法の道にはすく人まれ也 )と説く。
それは人々が危機管理を嫌っても、責任をもって行なう人がいなければ、何人の生命の安全はもとより、国家の治安も維持できない。
絶対的に平和な世界国家がいまだできてない段階において、防衛力なき国家の自立はありえないということだ。

刀は精神を造る上で、最高の武器である。
実際の戦で刀はあまり役に立たない、しかし武士の象徴であり、魂を宿す上で史上最も優れたアイテムである。
居合では刀の神秘さを丹田で表す。
現代の科学で、丹田に何がしか宿るという神経説は無いが、心理学のペルソナ(仮面)で見てみると、さすがだなと思う次第である。
堂々とした姿が映し出され、腹こそ姿勢の魂だと仮面がかぶれるのだ。
儀式で清め造り出す、魂のこもった70数センチの美しい刃。
日本刀で丹田を決め抜く侍の姿は、心が締められ、魂が潜在意識に構築される。
キリスト教の人々が十字をきるのと、居合が日本刀で抜く状態はよく似ているのだ。
愛で神にすがる姿と、強い魂を自己に造る事との違いはあるが、両者とも潜在意識に入っていき、規範という人格を造り上げるのである。
居合が刀を抜く姿は、ブレない不動の魂を造り出す。
土方はもう刀は使えないと近代戦を悔やんだ。しかし彼をはじめ武士の魂は刀と共にあった。
新生サムライは兵法者として魂を造るのだ。そしてそれは国家観につながるのである。

孫子の兵法やマキャベリズム的に国や社会は油断せずにあるべきだが、見すかされた時、最後に生き残るのは、五輪書が語る人格だ。
孫子の兵法をしっかりと勉強し、五輪書で見ぬき、陽明学で対応し、最新生理学で堂々と対処すれば良い。
これが新生武士道、掣圏真陰流である。

掣圏真陰流 総監 佐山 聡

2011/08/10(水)

武士道精神にとって、中心かつ最も厳格な教えは「義」である。
義は打算や損得のない正しいものの道理であり、サムライとしての原理原則思想なのだ。
真に義を貫く事が己に構築されたならば、サムライとして自立した者である。
それは「頑固なまでに」を遥に越え、信仰の対象であるが如く、構築された貫きの姿である。
侍が自立する元服が14歳であるから、精神基底を無くした我々日本人には程遠い世界だ。

自立した基底の奥には死があるが、信構したサムライにとって、死は怖いものではなくなる。
義を至高のものとした証明であるからだ。
義がブレなければ死はブレない。
死がブレなければ義もブレない。

そもそも武士道とは義・死・勇が確固たる構築をされたものである。
自己の中心に軸があるのだ。
キリスト教信者にイエスやヤハベという軸があるように、武士道には義がある。
ただし武士道は性善説での形而下のものだ。
義を精神基底としたもので宗教ではない。
己が義を信じて精神を造り、自立しなくてはならない(信構)。

「葉隠」の「武士道というは死ぬこととみつけたり」とは、
死ぬ覚悟で臨めば何でも出来る、というものではない。
毎日、死を意識して臨めば、サムライとして澄みやかに生きることが出来るというものだ。
常に自己の中心にイエスがいるように、毎日、義からなる死を中心とするということである。

サムライが持つ、何事にもプレッシャーを受けない不動心人格が顕れる姿である。
義のためなら金も地位も命もいらずというものだ。
そのような者が国家中核にいるべきである。

礼儀をわきまえ義を通す。
義には義、愚には狂愚、狂には狂。
これがサムライのプリンシプルである。

一般の方は、お金を儲けても、地位を得ても結構!義を抱きナンバーワンになれば良いのだ。
無宗教と言いながら、お金の上にお金がある魂ではネイシン者になる。
ずる賢く打算的なネイシン者にはなるな!
このような者をサムライは一番嫌う。
プリンシプル!これが現代の資本主義に生きるサムライの姿である。

現代に武士道で生きる我々だが、礼儀正しくマナーや服装にうるさく、匹夫の勇者やねいしん者を毛嫌いし、義に生きるのだ。
歴史に精通し、義を構築し、精神術をマスターし勇気の行動に出るのである。

精神基底も無いのに、自由・平等・博愛を弱化に向け歌い続ける愚行。 正義があるから困るとか、戦争が起こるなどと、弱化の道を堂々と諭す心理学者。 情報リテラシー出来ず、ワンワールド思想に化かされている者。 原理主義がなければ国は終わってしまう。 両者があっての国家なのだ。

そうすると本当にスリーエスがバカらしくなる。
格闘技界は私の行動が理解できないらしい、数人の打算者とネイシン者が私を追い出し、私がすねている思っているらしい。
大笑いである!
私が問題に思ったのは、他の義と勇のない者たちの姿だ。義が構築されてない、この国自体を恐れたのだ。
ネイシン者や打算者はいずれ、歴史が証明する。
しかし義の消滅は国が滅びてしまう。
国家のためなら死にブレず義を通す。
これが真のエリートである。
このような姿は国家に尽くす者の心である。
ただし一般の方々までが全てを構築する必要はない。

私が創っている新生武士道とは、
国家エリートのためのもの。一般の方々。教育と分けている。
義の価値観はそれぞれ違ってくる。
一般の方々には義・礼・勇となり、精神基底を重視し、真の強さを体得し、武道という誇りを持てば良い。
アメリカの笑い話がある。
「愛国心のないCIA職員」
これで大笑いとなる。

2011/07/30(土) 幹細胞治療を受けて来た!

約4週間前、約120万から130万の、私の若い時のDNAを取り出し、何と1億4千万まで培養して、今日の午後、静脈より入れなおしたのだ。
今、体には幹細胞が溢れている。

昨年の後半から、膝は最悪の状態だった。厳重にサポーターを巻いて、ごまかしながら試合をやっていた。
前回のリアルで体が動いたのは、しばらく試合をやってなくて膝が調子良かったのと、藤原先生のせいで逆流性胃炎になり体重が減ったからだ。

しかしごまかしはそう長く続かない、練習が出来ないからだ。

そしてついに踏み切った。

そもそも友人が糖尿病でヘモグロビンが12近くあったのだが、その治療をして4.7まで下がったのをこの目で見ていた。
最新のDNA治療と言われた。
その後、友人は脳出血を起こし、またまた幹細胞を打ち一週間で退院して来た。もっとも早く治りすぎてうつ状態となり、私が催眠療法を施していた。
この治療の効力を良く理解していたのだ。

幹細胞とは字の如く、幹の細胞である。
人は命という細胞から、それぞれ人体の各箇所を造る細胞、幹細胞があるという。
大元の命の細胞は再生しなくても、この幹の細胞は再生するのだ。
指やおっぱいが生えてきたりする、テレビでも時々やっている再生医療というやつである。

私の場合、幹細胞を入れた数時間は何も変化は無かったが、夜の9時ころから目がすっきりして来た。 勿論、藤原先生につかまり、ウダウダやられていたのだが、目と気力だけは全然落ちない。
今も体がスカッとしている。
幹細胞は体の悪いところに寄って行く、内臓なども再生するので自然に心身も充実してくるのだ。
私の場合、膝のじん帯だが、これがついたら怖いものが無い。

先ほどから点滴を入れた個所の筋肉がブルブル震えだしている。
おそらく幹細胞を入れたときに傷ついた注射の後を、幹細胞が何かしら施しているのだろう。
まだ膝までは来ていないようだが、アキレス腱の断裂が三日でついたという症例もあるようだ。

体の細胞が若返り膝が良くなると、何が起こると思う?

早く災害地に行って凄いタイガーマスクで喜ばせてあげたい。

頭の回転も良くなり、武士道をさらに突き詰めていきたい。

2011/07/19(火)

なでしこジャパンおめでとう! 頑張ったという人も多いだろうが、私の観点は彼女らにバカがいない事だ。

格好をつけたり、マスコミ受けしようとしたりせず、道を真摯に突き詰めようとしている姿勢が素晴らしい。

メディアリテラシー出来ないバカが出ないよう祈るのみである。

女子サッカー界は良い!注目してみよう。

2011/07/01(金)

佐山サトル創始の掣圏真陰流がどういうものなのか、解っている人はいるでしょうか?
イメージを聞かせて下さい。

2011/06/04(土)

元参議院議員で元防衛副大臣の、米田健三先生とは、ある会合で私が壇上で喋った後、
「これ程、真の歴史を知っている人は、私の知るかぎり政治家の中でもごく少数です」
と最初に言ってくれ、親交が深くなった。
先生はある大学の歴史の先生でもあったし、大東亜の真実も深くご存知である。
私の著作「佐山原理」の第一章は、先生にチェックを入れてもらった。

そしてなぜか武道掣圏のコミッショナー、榛葉前防衛副大臣も私の仲間である。
自民党と民主党の違いはあるが、榛葉前副大臣も、防衛に関してはかなりの知識を持ち、国の事を深く考えている。

二人と話すと大変面白い。
どんな人よりも現国家情勢の真実を知りつくしているからだ。

何度も言っているが、日本人の多くの人と哲学(義)の話は出来ない。

哲学と言っても難しいものではない、海外へ留学した人の多くは、帰国すると自国の情勢に興味を持ちはじめる。
そして海外の人と、日本の国民とのレベルの差に驚き、或いは「こうなってほしくない」とも思う。
主にマナーと正義観念と国防意識である。

勿論、フリー主義に侵されている者も海外には大勢いる。
日本はマスコミによって、そこばかり注目を与えられているが、一般の人は決してそんなことはない、しっかりとメディアリテラシーが出来ている。
これは社会主義とか自由主義とかの問題でない。
彼らは宗教観によって保たれているのだ。

「義」の構築は、神がトップで信者はその僕である以上、民は横社会であるべきという思考が当然である。
神があっても神頼みくらいの我々「性善説」では、社会や親が子供達を造る縦構造でなくてはならない。
それを穏やかにやりなさいと説いたのが、本来の孔子の儒教である。
目上の者を尊ぶのは当然であるが、実は目下の者への尊びが真の姿だ。
陽明学は徳をつむ人間を造るものである。

ただ単に格闘技というレベルに、既に私がいないことは皆さんもご承知だろう。
ようやく神楽坂で私の講義を聞いて、佐山武道の世界を桜木が掴んで来たようだ。
私の居合は格闘居合術とも言われているが、本筋が精神居合術であることは、受講されている皆さんは良く分かっている。

体術では、おそらく世界屈指の指導技術であろうが、人間を造らなくて何が武道か。
「俺の技術は世界一」なんて本当に思って、指導している馬鹿を良く見かけるが、どうであれ人に教えるのは、チャンピオンを作るにしても簡単なことである。

技術で私が屈指と言われるのは、継続者達が継続者を教えるために、技術を分析してやってきたからに過ぎない。それは何の徳でもなかった。
「義」の馬鹿を造るつもりは全くない。私の生涯は人間を造る武道にかけること、スパイ防止法案も含め、情報組織を日本に造りあげ、この国をまともな独立国にするこ とである。それは既に志ある政治家達と動いている。
生徒には精神基底と不動心とエリート帝王学を学ばせ、日本の将来の土台を作ることである。

神楽赤では初心者に、十五分間、基本的な礼儀作法を徹底させる。
次に3〜40分間、座学と士禅が始まる。それらは私が直接講義する。
士禅で精神集中が構築された後、精神居合が始まるのだ。
皆が意欲満々となって行っている。
どんなところに出ても退波に動くことないエリートを造るのだ。

勿論、普通に入会して自然に凄いと感じている人の方が多く、充実感にしたらされているだろう。

佐山イコール格闘技と思っている人には、編集者を始め驚愕となっている。
プロレスをやり、武道掣圏を主催しているのに、なぜ神楽坂では佐山が真剣に、アマチュアの弟子を直接教えているかって?

断言する、掣圏真陰流は格闘技ではなく精神道であり、武道掣圏は武道であるからだ。
格闘技だけなら私自らは絶対に教えない。そんな暇もない。
今は少数の人だが、自己を構築するという、私の掣圏真陰流が解れば皆理解できる。

しかるに初代タイガーマスクは絶大なる人気を頂いている、そのファンは絶対に裏切れない。
プロレスの復興は意地でもやっておきたい。
下関では市を上げてのビックイベントが決まった。この日に向かって本物のタイガーを見せて上げたい気持ちでいっぱいだ。

神楽坂のホットサンドは強烈である、体型的に来年五月まで大変楽しみである。

おかしいでしょ?佐山とタイガーマスク。
だから私の実態を掴んでいる人は中々いないのです。

掣圏真陰流 総監 佐山 聡

2011/05/27(金)

刀が持つ気は素晴らしい。

武道の「武」は上の部分が、武器である「鉾」を意味し、下の「止」は足偏であり、武将たちが鉾を持って行進する勇ましい姿を表した文字なのだ。

刀は武器である。

刀を使うのだから、本来なら殺気と言うべきなのだろうが、掣圏真陰流は人を切るためのものではない。
自己を構築するための刀である。
殺気が凄いのではなく、不動心が生きた精神居合術なのだ。

掣圏真陰流では変性意識をつくりだし、一点集中が定まった時、その神聖な武器を堂々と抜き打ちして振る。
必ずしとめるというイメージの元、無意識に不動心と「勝つ」集中力を構築するのだ。
サードアルファー波の状態である。
リラックスの中から、集中波が生まれる一点集中型変性意識状態である。

このように神聖な武器を使った自己催眠では、不動心人格が無意識に浸透する。
我ながら本当に素晴らしいものを創ったと思っている。

禅は一点集中だと言われている、全てを無にするのだ。
催眠状態で自律神経が安定し、煩悩が無くなり余計な事を意識せず無になる。

掣圏真陰流では居合の前に士禅という自己催眠的禅を行い、変性意識を与えて一点集中を暗示した中、敵との間合いの圏で抜く。掣圏である。

何が内側に起こり構築されるか、おわかりいただけるでしょうか。

勿論、礼儀や作法も、変性意識の構築のもとである。

武道掣圏もそうですが、神楽坂スタジオも異種独特な環境にあるのは、私の意図とするところです。
体術は型ではないので、精神構築ではなく私の技術に裏打ちされた実戦のものです。

それよりもこの掣圏真陰流には日本がかかっている、必ずやりとげます。

武道掣圏はこの思想が反映されてくれれば良いのだが、大問題になってる。続きは次回。

2011/05/22(日)

膝の調子も良くなってきたようです。
さらに神楽坂スタジオのホットサンドで練習ができるようになりましたので、この二日間連続でバック叩いています。

ホットサンドとは神楽坂スタジオの一つで、40度前後の特殊な部屋にサンドバックが三つおいてあります。
そこでサウナスーツを着て、サンドバック練習するのです。

熱風の噴出口に近い一番右のバックは鬼門ですが、それぞれ3分で移動しています。
これは痩せる!まだ一般には開放していませんが、まず私が20キロ痩せて各システムをチェックして公開したいと思います。

初日が37度から40度、今日は40度から42度で30分打ったので大変でしたが、明日は40分やろうと思います。

サウナ行くよりすっきりしますね。
しまった、水風呂造ってもらうんだった。

二日でもう4キロ位痩せています。
24日の掣圏には5キロ以上は痩せて、29日の長野では10キロ痩せているでしょうね。
長野のファンの人楽しみにしていてください。

格闘技にあらず、スポーツにあらず、掣圏真陰流は大変好評です。
居合が居合でなく、体術が体術でなく、禅が禅でない。

すべてが掣圏真陰流に基づいた精神学になっているのには、取材で来られた方々に驚きを与えているようです。

掣圏真陰流本当に毎日が面白いです。

2011/05/17(火) 私の弟子像

主体性を無くし、メディアリテラシー出来ず、現国家真実を気づいている人は皆無。

自由を勘違いしている国。
それだけならまだ良いのだが・・・・、
フランクフルトシューレに侵され、精神的機軸が冒されて、この国の復活はあるのでしょうか?

この度、掣圏真陰流は政治的高レベルの大顧問団がつくことになります。
その同士一同と、この国の新秩序の礎となるつもりです。

礼儀、哲学、マナー、道徳、文化、歴史

私達はこの国の精神基底軸を造りなおさなければなりません。
多くの人が気づいていても、原因も方法も解らないまま流されていくだけの今・・・・

自由とフリーセックス、マリファナ賛成、ゲイやレズの自由、男女の役割の解消、家族制度の解消、愛国心の解消、文化の解消、様々な格好をしてデモ行進する人々。

一方、キリスト教原理主義の国、アメリカでは赤ちゃんの堕胎も反対など、きちんとして生きる事を主義とする人々がもの凄いデモを行います。

両者が揃ってのバランス世界なのです。
柔らか過ぎてもダメだし、堅すぎてもダメなのです。

先進科学と実行力の国アメリカでは、MRIの開発以降、男女の脳がどう機能しているかを実践しています。
一年前で既に500校以上が、男女の教室を分けてそれぞれに合った方式で授業を行っているのです。
ジェンダーを理解したうえで、男は男らしく、女は女らしくと教育しているのです。
日本のジェンダー教育とは真逆ですね。

一方的にスリーS化され、フランクフルトシューレに圧力をかけられたマスコミによって、勘違いさせられているこの国は、前者のみを信じ、テレビでは中性人間のオンパレードです。
国民はフランクフルトシューレが関与していることを知りません。
おかしいと思いません?ワンワールド推進している人々の実態は、原理主義を貫いているのです。

高校生のアンケートにそれは出ています。
結婚する前のセックス観です。
自由の国アメリカでも、半数が反対。中国や韓国は75パーセント前後が反対、日本だけが33パーセントの反対という始末。
援助交際が大問題になり、十代の性病のパーセントは異常。
こんな国になっても、誰も動かないのです。

そしてこの国だけに、スパイ防止法案がなく、軍隊もなく、情報組織もない。
勿論私は戦争推進派ではありません。
こんな状態で、まともな外交をやれといっても無理なのです。
情報もない軍隊の統帥権もないでは、どんな政治家がどこに行っても、都議会議院が来ているようなものです。期待する我々が馬鹿なのです。

戦勝国にウソの価値観を植え付けられた戦前の真実を知った上で、戦後の人々とどちらが本物だったのでしょうか?

とにかく私がはがゆいのは、多くの日本人とは哲学の話が出来ず、外人とは何時間でも真摯に話し合える事です。
先日コロナビールのアジア支社の社長と4時間も話し込んでしまいました、大変な人物です。

この国が動けないのは、決しておとなしく礼儀正しい国だからというのではないのです。

米田先生や若狭先生とよく話すのですが、大きく転回するには国民の哲学意識が重要です。それにはこうなってしまった原因を早く気付いてもらうことです。

私達は性善説を生きる民です。
性悪説を唱える一神教の民ではないのです。
性悪説と性善説は同レベルではありません。
人は元々性悪なのです。
それが神と契約し下部となる方式が一神教で、親や周りの大人の下部となって構築されるのが私達なのです。

よく西欧の横社会がうらやましく、我々の縦社会が論議されますが、大きな誤りです。
神から啓示を与えられた民は横社会で良いのですが、社会が築く性善説の世界は縦でなくてはならないのです。品の無いものはダメですよ。
神との交わりを拒否した我々が横を求めると、最悪の状態になるのはあたりまえなのです。
そこだけ横でいいじゃないというのは甘いのです。

ただし縦社会は上位に徳が備わらなければ機能しません。
差別社会ではだめですし、品がなければ無頼の劣悪なものにもなるでしょう。
格物至知の儒教の縦社会制度は、実は反対であったといいます。目上のための縦ではなく、目下のためのものだったのです。

これからのリーダーは徳を備え哲学が喋れる者であることは、言うまでもありません。
その場合、ある一つのレールに沿った性悪説よりも、様々な哲学を語れる我々の方が有利になることは言うまでもありません。
また逆に、とんでもない愚哲学を信じる危険もあります。
だから掣圏真陰流では陽明学を学ぶのです。

私の弟子である、これからの武道家の人間像が見えますね。
いつ日本人が自信に満ちた民になるのでしょう、すごく楽しみです。

2011/04/30(土)

佐山武道とは、規範精神と戦闘精神の育成です。

規範はモラル性を問うものと、文化を問うものがあり、前者は世界の規範に合わせたもの。
後者は我が国の普遍的文化の姿勢を、歴史に照らし合わせ構築したものです。

戦闘精神は、わが国に流れる武士の戦闘心を、精神科学と大脳生理学とを合わせ、現代科学で立証させ、さらに進化させたものです。

佐山は学生時代、スポーツばかりで勉強は皆無でしたが、格闘技に疑問を持ち、格闘よりも精神性が重要と考え、三十代からは徹底的に科学を取得しました。

すべて日本のためと思っていたのです。

今では精神の何かをつかみ、自己催眠から他者催眠や特殊なものまで身につけ、歴史の真実をつかみ、この国に貢献できる教育が出来ると確信しています。

絶対に優秀です。私は本物を造る性分があることは知っていますか?しかも超をつけます。

他者催眠では療法的なことも十分以上に心得ています。

ただし、この国では何故か欧米などと違い、精神科学がかなり遅れています。

精神基底で後れをとり、精神術でも遅れている我が国、タイガーウッズなど一流選手が催眠セラピーを行っているのは有名で、PTSDなどにも広く使われているのですが・・・。

サムライが解り、歴史の真実が解り、心が造られる佐山武道が理解されるのはいつごろでしょうね。

世界一へ向かってさらに邁進します。

平和ボケとフランクフルトシューレ思想に侵された我が国、いいかげんに目覚めないといけませんよね。

心技体と信義態 これなければ心は崩れますよ。

2011/04/19(月)

ダメだ!日本を元気にしないとダメになる。

タイガーマスクとして、もう一度、最高潮にあげようと思う。日本のために。

掣圏真陰流は最高緒傑作だが、この一二年となると間に合わない。
間に合えば間に合ったでよい。

日本のために何をやれば良いか分かっているつもりである。

2011/04/15(金) 心のレベルはいかがですか?

貴方が情動を感知する時、禅の世界では「のぼせ」と言います。

情動とは「怖い」「不安」「悲しい」「怒り」「喜び」ですが、この中で怖いと不安は同じ位置とします。
武道が心の強化なら、これらの情動をヒビかせない「不動心」が主流となります。

一方、禅では「悟り」を開くことが目的とされ、無の世界に入る事を目的とします。
同じシステムなんです、不動心と悟り。

もう一つ同じものがあります。

貴方が情動を感知するとき、心臓がドキドキし、体に力が入り、血圧が上がるなど様々なことが体に起こります。
自分ではコントロール出来ない神経の動きです。
起こるべくして起こるなら表ですが、起こらざるべくして起こるのは、深い位置、陰の動きです。

両者とも同じシステムです。
脳の扁桃帯から副腎質ホルモン刺激ホルモンが分泌され、副腎で糖質コルチコイドからアドレナリンに変化し、交感神経を上げ、自律神経のバランスを崩します。
禅も瞑想も変性意識というトランス(麻薬とは関係ありません)状態に入り、もう一つの神経、副交感神経を上げバランスを整えるのです。
トランスは暗示にも深く関与します。これらを科学的に導くのが催眠です。
催眠術ではありません。犬になったり、辛いものが食べられても意味がありません。
自己の内部、陰を変えるのです。自律神経安定を目的とした催眠法とでもいうものです。
武道という情動の最大限をよく知ればその状態は手に取るように解ります。

心を安定させると情動が安定します。

この国は催眠偽意識という迷信に陥っています。
またインチキも堂々とはびこっています。私はいつでも超本格思想ですよね。

タイガーマスクを名乗らず、早く被災地に行ってあげたい。
こちらでも震災についてのものはボランティアで見ますから遠慮無く来てください。
15分から30分で十分です。

ファン意識で来るのは絶対ダメですよ。

2011/04/12(火)

いよいよ武士道 掣圏真陰流 神楽坂スタジオがオープンします。
実はこの半年間、その準備にほとんどの時間を割いておりました。
私生涯のまとめです。道幸さんの「リアル不動心」では圧倒的な支持を受けておりますが、いよいよ神楽坂で実践します。

本郷の興義館は戦闘生理学等および催眠心理学の研究所と、プロ選手専用の道場となり、興義館のアマチュアの方は全員、神楽坂に移動していただきます。
その際入会金はいりません。

ただし、神楽坂スタジオは格闘技のみの道場ではありません。
かねてより私が目指しておりました、世界でも初めての精神武道の道場です。
もちろん体力や格闘性も維持されますが、趣旨は精神面と礼儀の道場となります。
掣圏真陰流は日本の威信をかけ精神に基準を置いて造った武道です。
精神道場といってもエイヤー!とやるものではありません。

その目的は、人間を造ること、不動心の育成です。

礼儀正しく正義や勇気を知る、凄い人間が幾人も育まれるでしょう。
私はこういう者をエリートと呼びます。

掣圏真陰流をやれば、不動心が生まれ、心をコントロール出来、いつのまにか日本人が忘れた、礼に始まり礼に終わる人格を造り、自信を持てるようになります。

女性だって同じです。
神楽座スタジオはかえって女性のドレッシングルームの方が完備されています。
精神を造る佐山流居合は女性にも醍醐味がありますよ。

礼儀作法から始まり、精神を造る「居合」、「歴史学」「陽明学」「士禅」「精神術」、
「体術」は総合を入れた、市街地型実戦武道を行います。

場所は神楽坂のメイン通りに面したビル、神楽坂テラスの3階で、隣接するシガーバー「虎」と合わせると、約100坪の道場です。
練習後はバー「虎」で、ゆっくりとくつろぐつもりです。

ちなみにバーの看板の虎という字は、あのキックの鉄人、藤原先生に書いてもらいました。
道場の正面は鎧と刀と毘沙門天の掛け軸がありますが、藤原先生には「侍」という字も書いてもらっています。
半年もしたら凄く価値が出そうな気がします。

サンドバックは計11個、中でも三つはホットヨガならず、ホットサンドという、40度くらいの温室において練習するようになっています。
道場一面の畳は、武道では最高のものを使用しています。
フリーウエイトではありませんが、充実したウエイトの機械も設置しています。
もちろん私のセラピールームもあります。
簡単には言い表せませんが、まだ秘密の設備があります。もの凄い道場です。
全国にこの思想を広げていくつもりです。

内緒ですが、さらに凄い設備があります。

このビルはすでに神楽坂の名所になっているようで、一階にペットサロンがあり、有名なパン屋さんのカフェもあります。
さらに二階は最高に美味しい中国料理があり、三階が我が道場でバー虎があります。
四階は神楽坂一のクラブで、五階には最新の設備を整えたシュミレーションゴルフのバーがあるのです。

会議で問題になったのは藤原先生です。

先生自体をシュミレーションした場合、まず一階のカフェで「酒はないのか!」と言い、そこでは我慢してコーヒーを飲み、二階で老酒をあおるはずです。
調子が上がったところで、三階へやってきて「俺が書いた文字のバーだぞ」と本格的に飲み始めるでしょう。
そのまま四階のクラブでへべれけになり、五階にやって来ます。

五階はちょっとレベルの違う最新の機械が置いてあります。壊されたらたまったものではありません。
シュミレーションゴルフはスクリーンで世界のゴルフ場が映りだされ、打ったボールは数カ所のカメラから計算されて正確にスクリーンの中を飛んで行きます。まるで本物です。

先生は最新文明を知るはずもなく、しかも酔っています、そんなことが理解できるわけがありません。
必ずスクリーンの方へ歩き、前へ進めないと怒りだすはずです。

そこで個室に仕掛けがあります。
係員が誘導しある所に先生を位置させます。

ひもを引けば床に穴が開き、一階のペットサロンの檻の中に落ちるのです。

2011/03/16(水) 明治の原動「教育勅語」

私達の祖先は、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をはじめたものです。
そして、人は忠孝両全の道を完うして、全員が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りました。

これは日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、教育の根本もまた、道義立国の達成にあります。

子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、平和と、安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道であります。

2011/03/16(水)

心の不安にはいくつかの種類があります。

人間は必ず復活する機能を持ち合わせています。
試合前に緊張していた選手が、試合に入ると緊張が無くなり闘いに向かっていけるのも、その復活機能です。
もちろん試合でも緊張が取れず負けてしまう者や、ドーパミンを生み、より活躍する者もいます。

いずれにしてもその高レベルの精神法は、不安の除去から始まるもので、自分ではコントロールできない自律神経が大きく関係しているといわれています。
本能は自律神経を動かしているのです。

変性意識は、自律神経を鎮める方に大きく関与しています。
催眠による沈静は強力なものですが、変性法を行うまでもなく、様々な呼吸法で改善されます。
そしてその呼吸法そのものが、変性意識へ導かれる方法でもあるのです(不安の改善くらいならば、変性意識に入らずとも構いません)。

重圧期で不安を抱く場合、その呼吸法は…
寝ている状態ても座っている状態ても構いません、リラックスして目を閉じて軽い深呼吸をします。
息を吸って、息をはくときに「うー」という声が枯れたような発音を、内部腹筋でお腹の中から出すようにし、なるべく長く抑えめにして出します。
息が切れたらまた普通に息を吸って何度も繰り返します。
その時、息を吐くときに、肩の力が抜けて行くようにすると、より変性意識状態に入って行きます。
五分から十分で、心が晴れてきます。
不動心の生理的な一部なのです。

気力と勇気は、このリセットから生まれてきます。

2011/02/10(金)

先日NHKから取材を受けました。

タイガーマスク運動の影響でこれまでにも取材の依頼が来ていましたが、
善意の活動に便乗して自分が出るようなことはしたくありませんので、すべてお断りしてきました。

しかし今回、信頼できる方のご紹介ということもあり
取材を受けることにいたしました。

常にお話しているとおり、私がやりたいことは武士道、武道精神の復活です。
何が起きてもこの点がぶれることはありません。
ここに新武道『武道 掣圏』を完成させることも含まれています。
新武道『武道 掣圏』の映像はこちらから見ることができます)

2011/01/08(土)

嬉しくて眠れず、寝てもその事が夢にまで出てきた。
皆さんはサイエンスZERO 第六感を見たでしょうか?
今までやって来たことが俄然正しいかったと確信し、それ以上に番組では、変性意識状態の脳の動きまでやってくれました。
最新の脳科学でメスが入ったのです。
掣圏真陰流は益々坂を上がって行きます。

2010/12/28(火)

若狹和朋先生の「日本人が知ってはならない歴史」シリーズは、世界観も本当に良く研究されていて素晴らしい本です。
これが本当の国際世界なのです。早く目覚めてください政治家の皆さん。経営者の皆さん。
世界情勢の真実から見た所見は、海外生活をして勉強させられた人々には、「そうだ!我々はこれを言っているのだ」と、同意と感銘を受けざるを得ません。
道幸さんのセミナーに来て大成功するというのは、こういうことを理解するからです。

フランクフルト学派(渡米派共産思想)に侵された国 日本
勿論すべてが悪いわけではありません。
グローバル化の中、世界はアイデンティティを無くそうとする人々と、アイデンティティを守ろうとする人々で動いています。
現代社会の価値観では、両者は良きは揃うべきですが、原理主義の無い今の日本は、あまりにも前者に偏ろうとしているのです。
若狭先生は世界の仕組みを臆せず、よくここまで書いてくれました。
世界の中で、日本人が自信を持って行動出来きていない仕組みが、よく分かるでしょう。

すべての差別を無くそうと立ち上がった、ロシア共産党の前進、ボルシェビキ。
ロシア皇帝エカテリヤによって、今のウクライナから上に作られた、ユダヤ人隔離地域ゲットー。
ユダヤの人々が「我々はなぜ差別され続けるのか」と立ち上がったのは尊敬できます。
マルクス、レーニン、トロッキー、ブハーリン、ジェノビエフ、ルカーチ等、革命を起こした主要メンバーの殆どがユダヤの人々です。

ただし、彼らの主張を全て真に受ける事はできません。
日露戦争でこの革命を助けたのが日本政府であり、日本自体を助けてくれたのがユダヤ人でした。
現在、彼らは原理主義派と、ワンワールド派に分かれていますが、根本では普遍的無意識でつながっています。
ようするに世界観の中での、一部エリートユダヤ人の普遍的無意識はフランクフルトシューレ(学派)ですが、原理を守ってユダヤ教を守る人々も、彼等の普遍的無意識なのです。
前者は先の大戦で右往左往曲折し、アメリカのハーバード大学とオレゴン州立大学に根付きました。
ルーズベルトもユダヤ人であることは有名ですが、彼の奥さんも有名な赤の頭首で、ウーマンリブの先駆者でした。
アメリカはルーズベルトのことは好きですが、知識人の中ではルーズベルトのことは語ってはならないことになっています。
それはそうでしょう、彼の側近や回りにはフランクフルトシューレが五百人以上もいたのですから。

大戦後、GHQで来た人々もそうでした。あの占領はもう一つの意味でも特別だったのです。
彼等はプリンシプルを歌う白洲がよほど煙たかったでしょう。
マッカーサーも後にこの体制がわかりました。
その後、アメリカでは赤狩りが始まり、スパイも大勢検挙されていきます。

明治日本を育ててくれたユダヤ人とは、良き連帯は出来ます。私たちを育ててくれ、その普遍性が我々に流れているからです。
当時の日本人は世界の宗教観が理解出来きませんでしたから、差別感があるはずもなく、文化の先駆者として彼らを崇めました。
グラバーやクラーク博士を始め、明治に来ていた欧米人の殆どがユダヤ人です。
私は武士道原理主義ですが、各原理主義者とは理解し合えるし、フランクフルト派のワンワールド思想の一部もわかります。

では、日本はどう進めばよいのでしょうか?

現代は両者の線路があって注意しながら進むべきなのです。
新幹線のように進んではなりません。
線路を点検しながらゆっくり進むトロッコのように、見極めなくてはならないのです。

もうかわいそうな日本人を騙す、或いはおし付けるのはやめてほしい。
ハーバード大学の教授と日本の学生が、議論し合う番組を見ましたが、誘導されていく若者を見て、笑えたのは私だけでしょうか。
この原稿を書いていて、あの番組を調べたのですが、やはり教授はユダヤ人でフランクフルトシューレ、バリバリの方でした。

みなさんはプリンシプルを持っていますか?NHKの体質もよく分かりますね。

私はフランフルト学派ではないイスラエルの人と話す機会もありますが、彼ら原理主義たちの思想は、本当に理解し合えます。
勿論、キリスト教徒とも同じです。
おそらくイスラム教徒もそうでしょう。
宗教の問題ではありません。原理的(ちゃんと生きる)ということです。
2011年、良き武士道に現代原理主義を見出だして行きます。

私は、よく言われます。
「佐山さん何でそんなに礼義正しいのか?」
「やめて下さいよ」とも言われます。
それは許して下さい。私が武士道原理主義者だからです。
その私を見て、横暴な態度をする人はあまりいません。
諂っているわけではないからです。

私が切れるという噂があります。
切れるのではなく、義には義、狂には狂、で動く資質だからです。
かつてそのような私を誤解し、私の虎変(豹変どころではない)ぶりに合った人々もいるでしょう。

礼儀正しい者が、突然切れるのではないのです。
元々侍の資質を学んでいる者なのです。

亡くなった山本さんが、極め技で平気で相手の骨を折れるのは、猪木会長と佐山だけだと言われたことがありますが、流石に私の本質をよく見抜いているなと感心しました。

本物の不動心は、人の生理学にあります。

先日、日本のある中枢で、戦闘生理学の講演と実技をやらせていただきましたが、そのトップの方もかなり精通してらっしゃり、非常にやりやすかったです。

日本は変わりますよ。

今私が水面下で動いていることは、国家にとって最も重要な件です。
将来、ああ、あの件は佐山が係わっていたのかと、分かるくらいのものです。

2011年は佐山が飛躍します。
初代タイガーマスクは今ちょっと膝が悪いですが、佐山の心は強烈です。

2010/10/06(水)

リング上で自己を売ろうと、馬鹿な険悪自由をアピールをする姿は、本当に恥ずかしい。
日本黄色人種の民度の低さをさらけ出しているだけである。

世界はフリー派と原理派で動いていると認識している日本人は、はたして何人いるのだろうか?
前者は、あらゆる差別の廃止、家族制度や男女の区別の廃止、フリーセックス、ゲイやレズの推進。
ルーズベルトの二百数十人の側近と、三百とも言われる外部関係者は、ナチスの迫害から逃げてきた、ルカーチが育てたフランクフルト学派(マルクス研究)の集団であった。

アメリカ人はルーズベルトの事は好きだが、知識層ではあまり語ってはならないことにまでになっている。
一方、後者はキリスト教原理主義者やユダヤ教原理主義者、あるいはユダヤ教からキリスト教へ変わった、エージェントと言われる人々の、「ちゃんとして生きる」派である。

現日本は前者の思想をメディアが管理推進しているのが現状で、国民は前者のみが正しいと思い込まされている。

そういえば今回の尖閣問題で、渋谷で2600人にもおよぶデモがあったが、海外のマスコミは大きく扱ったが、日本はどこも流していない。
しょうがないであろう、戦後GHQで来た人々の殆どがフランクフルト学派だったのだから。

戦後、現憲法を造った民政局の次長チャールズ・ケイディスや、法律を勉強している人なら誰でも知っている、東京大学法学部憲法学科、宮沢俊義氏らもすべてそうであった。 相撲で女性が土俵に上がってはならないという伝統を、解体させようとしたのも、前者の思想なのである。
当時の思想を一生懸命論議しているマスコミを見て、思わず笑ってしまったのは私だけであろうか。

はたして自立させられてない国民は、プリンシプル(原理原則)主義をなくされ、アメリカのゲイのパレードやフリーセックスのパレードを優先させられ、それらが世界標準だと信じ込まされている。

ワンワールド派ユダヤの人々の平等改革主義と、インドまでの開放を狙った大東亜戦争のおかげで、世界は人種差別撤廃に覚醒した原動力となったが、魂までをフリーに明け渡しては、滅亡してしまう。
前者と後者の両線がそろって列車は走るのである。

10月29日はプリシプル派の試合である。
余談ではあるが、最近私が着ているスーツは、白洲次郎氏が作っていたスーツと同じ所で、型も同じプリンシプルなスリーピースである。
当日、男子はスリーピース、女性はドレスコードを着用してくれた方には、先着ではあるがアップグレードした席が用意されています。

近い将来、着物の似合うミス掣圏を募集しますので、近くで綺麗な方がいたら、推薦してください。
試合当日に着物でスポンサー表示に出ていただきます。

2010/09/14(火)

時は日本の明治頃、紀元136年のディアスポラから1700年
紀元1051年、十字軍の遠征から宗教差別観が始まり700年
ヨーロッパで、宗教、文化、習慣、家族制度、男女の役割、競争・・・・
精神基底の、それらが全て悪く、差別を生むと思想した人々が行動し始めました。
1881年(明治14)ロシア西部、今のウクライナ辺りで大きな差別闘争を受け、数十万人が虐殺されます。
この地域はそれまでも何度も虐殺が行われていましたが、これだけ大規模なものは初めてでした。
日露戦争のわずか24年前のことです。
その日、アレキサンドル二世が爆殺され、ユダヤ人が暗殺したのだとされ、多くのユダヤ人が、一般人によって虐殺されました。
これをきっかけに、問題の地であるロシア西部から、2〜300万のユダヤ人がその地から出ていったと言われます。
国を持たない異教徒と、地元の人々との、普遍的意識の差は、軋轢の極致に達しました。
この中で生まれたのが、ボルシェヴィキです。
それ以前の1789年、ユダヤ人、ルソーの影響を受けたフランス革命も、自由・平等・博愛をスローガンにした、ユダヤ革命とも言われ、大きく影響されました。

皆さんは気がつかないでしょか?
欧米で宗教を大切にする人と、無宗教で家族制度や文化や歴史を否定する人がいることを。
前者は堕胎や同性愛をも許さず、後者はワンワールドとかフリーと叫びながら、性にも寛容であり、家族制度や子供にまで平等を与えます。
前者は、今では人種の差別観はなくなり、ただ「ちゃんとして生きる」派ですが、彼等は言います「差別は反対だが区別はする」と。
両者は激しくデモなどでやりあいますが、日本では後者のデモだけを大きく扱い、いかにも世界は後者だと宣伝報道しているのが、マスコミの姿勢です。
それはルカーチの影響が要因なのです。
ここを見なくてはダメです、日本人!
アメリカには前者のキリスト教原理主義者が四千万人いて、国家倫理に大きな影響を与えています。
ユダヤの人々は、シオニズム派と言われる原理主義者が基礎を成していて、当然、規範は崩壊しません。
世界の不良と日本の不良とは大きな差があり、世界は貧困で不良化するが、日本は貧困に関係なく不良となります。
だから私は不良や、乱れた者を許さないのです。
日本の原理主義(精神規定)が崩壊し、後者の世界観が蔓延した明かしであるからです。
だから今、武士道なのです。

普遍的軋轢のおかげで、勝てたのが日露戦争でした。
ヤコブシフ、ロスチャイルド、モルガン等の各財団。
日本を援助してくれたのは、帝政ロシア憎しのユダヤの人々なのです。
反帝政ロシア側に資金提供する作戦を、明石大左がトロッキー等と奔走できたのも、そのおかげだったのです。
そのボルシェヴィキの、マルクス、レーニン、トロッキー、ブハーリン、ジェノビエフ等、主要メンバーの殆どがユダヤ人でした。
ルカーチはハンガリーに戻り、一時、革命を成功させますが、夢破れ各地でも成功がならない現実を見ます。
当時の差別の現況から、さらに差別されない社会を完全にさせるには、ロシア革命でさえ中途半端だとして、もっと平等を深く示唆させる理論を追随させました。
家族制度や文化、歴史観、宗教等が、差別の対象となるとして、さらに強い平等思想の根本までを殲滅させるというものです。
彼はドイツのフランクフルト大学でマルクス研究所を作り、多くの学生に影響を与えます。
しかしナチスの台頭で、学派達は追われ、多くがアメリカに亡命しました。
実はアメリカの知識層で、これが大きな問題となっているのです。
多くのアメリカ人は、ユダヤ人であるフランクリン・ルーズベルトを好きですが、知識層の間では一種のタブーとなっています。
当時、彼の側近には二百数十人からなる、このフランクフルト学派の影響を受けた人々や、ソ連のスパイがいて、さらに外部には三百ともいわれる学派の人々で構成されていたといいます。
彼の婦人も積極的な赤系の猛者だったのは有名です。
しかしワンワールドを推進させるフランクフルト学派の人々も、基礎的には旧約や新約の聖書がある事を認識しなくてはなりません。
精神基底のある中での、世界の意識改革なのです。
単なる平面構成ではないのです。
日本はというと、あのGHQで来ていた人々がそうでした。
憲法を創案した民政局の、局長、次長もそうであることは有名です。
当時の日本の憲法学の権威も、このフランクフルト学派でした。
自分の国も自分で守らない意識まで誘導され、精神基底までも無くされて、この思想を受けると、とんでもない人格になります。
戦勝国は日本の精神基底を払いのけ、フランクフルト学派思想を受け入れさせたのです。
平面思想を受け入れさせられ、軍隊も持たされない国、スパイ防止法案もない国。
誰がこの国を独立した国というのでしょうか?だいいち自国の軍隊の統帥権のない政治家が、何をやっても責任感があるわけがありません。世界を感知し、強い国軍を持ち、信頼できる人々と精神基底で協調し生き残るのが、これからの国家の道です。
宗教ではありませんが、武士道は最高の精神基底でした。
平等意識改革では、フランクフルト学派も頑張りました。しかし精神基底も必要なのです。時代は進んでいるのです。

陽明学は日本の精神基底の一つです。
武士道は、神道、仏教、儒教(朱子学)、禅と、この陽明学でした。
陽明学は人間学ですが、人物の見方「六験」というのがあります。
その一つに、
「喜ばせて、節操の有無を計る」というものがあります。
普段どういう行動をするかで、人物の器を計るのです。
わざと喜ばせて、節操を見るのです。
節操は非常に大切な、人物の評価だと言います。
知識から見識、見識から胆識へと育まれた人物が、節操ある真の器の人間であるからです。
知識があっても格好や金に生きる者は、節操がなく、姑息に騙したり、騙されたり、利用されたり、胆識のない証拠です。
そういう意味で、平和ボケ平面思想者は信頼できません。
プリンシプル=原理原則者は崩れせん。

陽明学は人をよく見せてくれます。
節操のない行動をあえてさせてやるのです。
手を差し延べ、毒をうたせてやるのです。
馬鹿か弱い者は本物の手を差し延べます。
胆識者は幻想の手を見せているだけなのです。
液がこぼれているのもわからず、ほくそんでいる顔を見て、その人物を計ります。
リーダーの条件の一つです。

2010/08/27(金)

我が国独特の、気概と礼儀ある明治からの精神基底は、それまでに庶民にまで広がった武士道によって造られて来た。
世界のそれとは全く異なる人類文化は、当時来日した諸外国の人々を驚かせた。
その完成度の高さは、昭和中期まで浸透していたと目される。
私が昭和後期から格闘技を造ってきて、我が国に最も失われているものが、精神性だと気づかされたのは、その時代の最前線にいて指導していたおかげである。
目標としたものが、相撲のような精神性を兼ねたものだったからだ。

江戸時代に構築された武士道精神は、礼儀は当然、神道、仏教、儒教(朱子学)、禅、と、陽明学にて造られていた。
今私は新生武士道を完成させるため、陽明学に没頭している。

神道は宗教、仏教は科学、儒教は教え、禅は精神術と捉えているが、陽明学は朱子学に対向する教えである。
朱子学が事物の真理に対して、真理を理(道理)で極める「性即理(セイソクリ)」であるなら、
陽明学は事物に対して、人の良心で理を極める「心即理(シンソクリ)」という原理である。
理を極めることは「格物(カクブツ)」といい、
性即理である朱子学は、事物の理を理として極める「窮理(キュウリ)」
すなわち「格物窮理(カクブツキュウリ)」で成り立っている。

一方、心即理である陽明学は、事物の理を人の心で極める「至知(チチ)」
すなわち「格物至知(カクブツチチ)」であるのだ。
陽明学は、「羲」のみではなく、「道羲」と「信義」を重んじる、行動学とも言われている。
人は知識を得ても、知識だけではダメであり、知識は見識に育て、見識は胆識にまで育って、狂愚の識で至誠の行動に出れるというものである。
そしてそのような人物になるにはという、構築学と、行動学が集約されている。

陽明学が行動学であるといっても、闘い学でもある。
戦わずして勝つという行動学だ。
その作戦法も徹底していて、リーダー学、人物学も当然構築されている。

礼儀、科学、歴史、人間学こそが、佐山武道の姿である。
私は居合、格闘術、精神術、勉強学を使う。

2010/07/25(日) 次回プリンシプル、8月7日に行います。

さて次回のプリンシプルは、大変な講師をお呼びして講演していただきます。
元大臣官房広報課防衛担当事務官 井上康文氏
市ヶ谷記念館の生き字引として有名な方だった人です。

以前から防衛省ではお世話になっていた方で、何度も試合に来てもらっています。
現役の時はあたりさわらず思想の話はしませんでしたが、今年退官されて以来守秘義務以外は、とことん日本のために、真実を説いて回られている方です。
私も先日、氏に遊就館を案内していただきましたが、その知識量は半端ではありません。
真実を確信として聞け、日本を愛す気持もぐんっと増すことになるでしょう。

「佐山原理」を読んで、佐山がまたこんな方向に行っていると、思っている方々、真実を知りなさい。そして日本を見つめてみましょう。

日時 2010年8月7日(土曜日) 午後3時〜(約2時間)
場所 掣圏真陰流・興義館 文京区本郷三丁目6-13太平ビル2F
講師 大臣官房広報課防衛担当事務官 井上康文氏
会費 1500円(当日支払い)
人数制限 先着30名まで
予約受付 興義館 03-3812-1202 ※日曜以外の14時から20時まで

当日は白洲次郎氏のように、イギリス調のスリーピースでネクタイ着用、汗をかいてはいけません。 冗談です。

最近、私はというと、儒教と陽明学の研究に没頭していて、佐山原理、新生武士道は、凄いことになります。 10月29日も楽しみですが、来年初頭は凄い奇跡が起こります。 日本の追い風です。

2010/07/07(水) いよいよ掣圏が本当に実を結んできた。

最近あまりにも事が起こりすぎて、忙しすぎる日々に驚いている。
松永先生から幸運を呼び出させて頂き、何と連続して総てがまとまり始めているのだ。

現在「掣圏真陰」の構成は、体術(格闘技)・居合・精神術(内環法・催眠など)・歴史教育・茶道などを、特別クラスとして実験的に行っている。
もちろん本気の内容である。
この実戦編として、羲構築を求める公開武術「掣圏」が十月二十九日 後楽園ホールにて開催されるのだ。
またこの武道を真摯に実戦し日本を変える、信じられない事が起こっている。

道幸さんに認められたセミナーは、日本発の、しかも武士道の精神術として、本当に多くの人に認められている。
最強の精神術として実戦的な会社に取り入れられるだろう。
前回のセミナー後の、多くのアンケートの答えに自信を深め、なぜ武道と催眠があるのかが、解ったという声もありがたかった。

催眠自体も大変な仕事と関わる事になりそうだ。ノーベル賞もののプロジェクトに組み込まれる事になる。
最先端の理論を聞かせて頂き、さらに進化する歴史的な事が起こるかもしれない。

さらに、選挙が終わったら榛葉防衛副大臣と、日本の姿を話し合い、狂愚の佐山プロジェクトを実現していくつもりだ。
大臣聞いてくれるかな。

2010/06/29(火) 本当に楽しい。

毎日、勉強と研究と狂愚誠愛の行動で、充実し過ぎていて愉しいのだ。
最近、色々な人に、付き合いが悪いと言われている。
いよいよ実戦として旅立つ準備で、充実しているからに他ならない。
藤原先生に呼び出される以外は、ほとんど勉強か掣圏の構築クラスに時間を費やしている。

それをビジネスに展開した、道幸さんとのセミナーは大成功し、先日の講演は本当に凄かった。
古典催眠、現代催眠、情動内環境変換法。
すべて完璧だった。
道幸さんとのセッションで、NLPを凌ぐ掣圏の科学武士道精神論を見出だして頂き、大注目されているのだ。

数ヶ月前の佐山が佐山であったなら、今の私は何だろう?
爆発的エネルギーは周りも私も自覚している。
さて国家に貢献する行動に出る準備も整おうとしているのである。
狂愚誠愛!

そろそろ榛葉副大臣に会いに行こう。
しかし、すでに我が国家は制服組で構築レベルまでにはあるという。
知らないのは、なめてかかっている者達であろう。
日本は大きく転回する。
掣圏も大きく進む。

2010/05/25(火) 6月5日(土)、プリンシプルを開催します

「本当に馬鹿じゃない?日本!」
(国取られ物語りとスリーエス、まだやるか愚策奴隷根性)
講師 佐山 聡

場所…興義館
時間…6月5日(土) 15時〜
参加費…会員 無料 / 一般 1500円
要予約
予約は興義館まで御電話ください。03-3812-1202

2010/04/24(土) 5月1日(土)、プリンシプルを開催します

場所…興義館
時間…5月1日(土) 15時〜16時半
参加費…会員 無料 / 一般 1500円
要予約
予約は興義館まで御電話ください。03−3812−1202

各地での講演がプロジェクターを使って、大成功しているので、今回はそれでやっていこうかなと思います。
佐山原理がよく理解できるようです。

2010/03/29(月) 4月3日(土)、プリンシプルを開催します

場所…興義館
時間…15時〜16時半
会員無料
一般 1500円

予約は興義館まで御電話ください。03−3812−1202

2010/03/05(金)

様々な方が「佐山原理 武士道「真陰」」を強烈に推薦しくれています。大変ありがとうございます。
さらに内容を理解出来していただくために、各地で講演をしてまいります。
七日は稲毛海岸で講演し、13日は高田馬場で本のサイン会をします。
最新武道の前進を見ていてください。
今年は大変な年になりそうです。
精神性ではコペルニクス状態の日本を、戦後体制の中でも、武道の威信をかけて世界一にしてみせます。
興義館は精神性武道の拠点となるのです。
今月からは精神術のコースを始めますが、現代催眠で行おうと思います。

2010/02/27(土) 3月6日(土)、プリンシプルを開催します

6日 土曜は、午後3時半から5時までプリンシプルです。
一般1500円
道場生 無料
平成22年 興義館スケジュール

2010/02/25(木)

30周年ありがとうございました。
大変な反響に驚くと共に、責任と希望に燃えて邁進します。
「佐山原理」も大変好調です。
何がと申しますと、自己情動環境変換「内環法」です。
掣圏真陰流は武道として自己覚悟の形成という発想から、禅や瞑想による無意識深部に刻み込む方法と同じように、最高の変性意識を現代科学で構築したものです。

情動そのものを無意識訓練し、変えてしまうことは誰も考えなかったでしょう。それは我が国固有の侍精神から導き出した、私の答えだったのです。
あらゆる場面での情動を瞬時に変える!
専門家からも大絶賛を受けています。
武道催眠として益々研究を進めて行きます。
ビジネスや試験、医学、試合、戦闘、全ての場面に注目されるでしょう。
現にセラピーは実績を造り、ビジネス面では既に具体的な道が進んでいます。
これからは日本のビジネスもきっと邁進します。
全て先人のおかげです。
古典催眠、現代催眠、非催眠セラピーをこなした今、自己催眠暗示による内環変換法は、武道として絶対の自信を持つものです。
興義館では確実に内環変換法を教えますが、他者催眠は三級以上の者から教えて行きます。
掣圏真陰流に、真の誇りの自覚が芽生えた者でないかぎり、教えたくはないし危険なのです。

2010/02/15(月)

日本復活の決定版「佐山原理 新生武士道『真陰』」の売れ行きがすばらしいようです。
販売二日目で、増刷が決まってしまいました。
義を持ち本物の不動心あるゼネラリストを絶対に育てます。

本の発売と同時に三月から興義館のスケジュールを変え、完全に武士道塾としてのベールを脱いでいきます。
当館の真の目的は、格闘技でもプロレスでもなく、真武道で本物の新生サムライを造ることなのです。
またこれからは格闘術として本でも紹介している、掣圏がメインになるでしょう。
ただしプロレスにおいてはOBとして、プロレス復活の日まで頑張りますが、格闘技と私の新生武道は完全に分け、今後も一切格闘技と交わりません。
プロレスを利用して格闘技を盛り上げようとしている本もあるようですが、それらも一切キャンセルいたします。
私の思想を町人拝金主義に使わせたくないのです。
これから始まる掣圏は、民度の低い馬鹿を見せるものではありません。
興義館は精神術と新生サムライ人格を育て、日本をリードする場所となります。

先日催眠の先生である、「E-SAIMIN.COM」の桜井さんが当館にいらっしゃいました。
本を贈呈すると、その感想をHPで書いてもらいました。
私の紹介よりよく書いていただいてます。ありがとうございました。
先生も二月に「完全熟眠マニュアル」という本を出しています。
平成22年 興義館スケジュール

2010/02/03(水)

実は今回の本には、特典としてDVDが付いており、精神法の最終面には、私が誘導する催眠が入っています。
台本を用意して行ったものではなく、全てその場のアドリブで導入しました。
その分、催眠臨場感にあふれ、見事に変性意識に入りやすくなっています。

今のところスタッフには、100パーセント入っていくのですが、催眠に入ったことのない人ある人の、モニターを募集します。男女を問いません。
また変性意識のみの誘導で、私の暗示はありません。本編では自己催眠的に自らが暗示を決める方式です。

場所は興義館の茶室、それなりのスーパー設備になっています。
2月7日(日曜)午後3時、先着予約10名とさせていただきます。
ご予約はお電話で。興義館 03-3812-1202(午後2時から8時)

2010/02/01(月) 佐山原理 新生武士道「真陰」

佐山原理 新生武士道「真陰」

佐山原理 新生武士道「真陰」は、東邦出版から二月中旬に発売される予定です。
色々な方々が原稿を読んで、大変なことになると驚嘆され出来上がった本です。
21日の30周年にはサイン付でお持ち帰りいただきます。

「これで日本が変わる、早く読んでほしい」と言う人もいます。
武士道とはこうであったというものも大切ですが、この本はその武士道の本質を捉え、人格実戦していくものです。
高度成長期にあった、エコノミックアニマルと言われたものではなく、歴史と精神科学を駆使して民度の高いサムライを造る、未来のための新生武士道・佐山プリンシプルです。
戦いの本質、心の本質、日本の本質、世界の本質が学べ、仁義礼智を持ち信を得る、もの凄い精神サイボーグ(サムライ)が生まれるでしょう。
また「なぜ催眠をやっているのですか?」「武道と催眠って関係あるのですか?」などと言われる方々にも、これまで大勢接して来ましたが、その苦労もこの本でおしまいです。

編集をしていただいたのが、修斗時代からからの理解者、山田編集長だったのは大変幸運でした。
氏は実戦格闘技から中国武術まで幅広く手がけている方ですが、「これで全てのなぞが解けた」と、自信を持って編集に携わっていただきました。

またプロレスの方も決して忘れていません。絶対に復活をやりとげます。
三月は大変な試合になりそうです。

また21日発売の自衛隊雑誌「MamoR(マモル)」に、榛葉(しんば)賀津也防衛副大臣との対談が掲載されます。
榛葉大臣とは以前から親交があるのですが、題材は武者修行のことでした。
大臣はアメリカに六年、イスラエルに三年の留学経験を持ち、日本の精神的なことなど、かなりしっかりされている人です。
留学して変な文化に染まる者と、日本を考えさせられる者と大きく分かれますが、大臣は完全に後者です。
将来の総理さえ見えています。
お世辞ではありません。世界を知って日本の義を持つ、このような人がリードしなくては、日本はダメになりますね。

2010/01/23(土) 明けましておめでとうございます。

昨年十二月から、新しい本の編集に集中しておりました。
皆さんを大変お待たせしましたが、私がここ十五年来まとめている、武道および武道精神科学の集大成です。
本来なら二十五年前に目指さなくてはならなかったものですが、若気の至り、勉強不足で今までかかってしまいました。

本のタイトルは、佐山原理 新生武士道「真陰」となります。

年末年始も、午前と午後の時間が分からなくなるほど集中し、執筆していました。
一昨日「後書き」を書き終わり、何とか二月発売の予定に間に合いそうです。
編集の方も出版社の方も、今までにない異色な内容に大変感激され、物凄い本になりそうです。
原稿を読み、号泣きされた方もいらしたということです。
今までこのHPに書いて来た難しい内容が、優秀な編集者の方々によって、解りやすく書かれています。
日本に残しておかなくてはならない、武道の歴史に責任を持つものです。
発売と同時に新生武士道は、真の出発点となります。

本来「興義館」は羲を興す「武士道」の館を目的としており、格闘技の道場ではありません。
礼儀さえしっかりしていれば良いというものでもありません。その下の精神が大切なのです。
武士道の歴史において平成の時代に、技術や格闘性のみ云々で拝金白昼夢を描いている馬鹿を、相手にするつもりはありません。
私の思想は、スペシャリストを育てるのではなく、真のゼネラリストを育てることです。

興義館はサムライを造るために、三月から形態を全て変えます。
質の高い武道であるために、精神術、格闘術、礼法、歴史に重点を置きます。
内環法、催眠、歴史、武道学を新たにクラス分けするのです。

また、実戦格闘技の方は、武道格闘技として新設する「掣圏」を行います。
この本が私の描いていた本当の思想なのです。
シューティングを造った時から、相撲のような格闘技にしたいと、何度も言っておりましたが、誰も理解してくれませんでした。
それはそうです、理解してもらおうにも、私自身にその知識が無く、格闘技ブームとやらが来たからです。
私が作ったのではないかとも言われるかもしれませんが、この本を見ていただければ、私が何を考えていたかよく分かると思います。

当然、密かなこの十五年の勉強期間も、それを理解してくれる人はいませんでした。
しかしこの思想が固まってきだしたここ数年は、何人かの方が深い理解をしてくれたことには、驚いていますし、感謝さえします。
また、今回の編集者の方々が理解されたのには敬服し、また運命であるかのように感じています。
そして、新たな理解者達が大きな波を造ろうとしています。

佐山を、タイガーマスクを信じ、ついて来てくれた方々にも深く感謝します。
皆さんの私に対するプライドには、必ず酬いてみせます。
今年は寅年、大変な年になりますから、期待していてください。

2009/12/08(火) リアルスポーツ幻の原稿

ただ今、新しい本の執筆活動に大変忙しい。
今まで費やしてきた理論と実戦のまとめである。
学者さん達のように毎日頭の中が、詰まったり巡ったりしている。
先日は知恵熱で頭が痛いと思ったら、風邪だった。

この真武道は歴史的なものだ。
プロレスから格闘技、格闘技から武道という私の人生の流れだが、むしろこのために人生があったというしかない。
平成の世に生まれた想像を絶する実戦精神武道の正体が、来年早々に現れるだろう。

今の私の敵はこの執筆活動を妨害するもの。
時間である。
中でも強敵は藤原敏男、五百年のタイ国の伝統を破りムエタイの歴史を変えた男だ。

徹夜に続く徹夜の中、トシからの電話は恐怖に落とし込まれる。
「お前何処にいるんだ、すぐ来い!」
酒を飲んだらこの男が真のタイガー(大虎)だ。
三十五年の間、先輩後輩の中だが、この世界は厳しい縦社会である。
オス!と言って従うしかない。
浅草のアリゾナでの集会は、食事をしているときはまだ安全だが、閉店に近づく頃から段々と始まって来る。
「ママ、ワイン!」
天気予報士よりも正確なサイン。
集まった仲間は恐怖におののき、私は気を落ち着けるため深呼吸をする。
お店の人も心得ていて、ガラス容器を紙コップに置き換え、テーブルと椅子が自動的に固定され、他のお客を閉店ですと帰らせる。
そこからが長い時間となるのだ。

十二月は十日がリアル、十一日が藤原祭と連戦が続くが、十一日はトシとのエキシビションである。
かつてエキシビションの中、トシが酒を飲んでしまい、後楽園の観客全員が外へ避難したことがある。

2009/11/19(木)

「リベルテ・エガリテ・フラタニテ」 と 「優位への意思を愛し 弱化への艶美を憎む」

フランス革命以来の自由・平等・博愛が、戦後から精神基底を無くされた上で、全ての日本人に信じこまされてきた。
キリスト教という精神基底ある人々のためには素晴らしいものだ。

宗教心(ここでいうのは精神基底のことである)、この基本的な生活概念の基礎を無くされ、自由平等博愛を勘違いし、男女の区別までもなくと教えられた日本の教育。
「男は男らしく、女は女らしく」と、誰も言えない情けない現代日本の奴隷精神。
自由を勘違いし、機軸をなくし民度を低いほうへ落ち込ませていく。

日本には日本の精神基底があった。
キリスト教徒が愛の教えなら、日本武士道は死の基底である恥の文化だ。
両者は規範の部分で高い民度で一致する。
日本武士道は無頼の輩にならなかったからだ。
それに合わせて世界基準に堂々と溶け合えば良いのである。
精神基底を無視し、世界基準を合わせてどうするのだ。

メディアと世のバカらしさを見よ。
弱化への艶美だけが褒め称えられ、好感度を与えることがメインとなるのみである。
好感度を与えようとしているヤツらを読み、人生の免疫を与えてくれようとしてくれている人々を尊敬できるのは、いつの日になるのか。
こんなに中性化された時代は無い。

精神基底が存在し他の文化を取り入れることと、何も無くて取り入れるのではまるで異なる。
海外でイエローキャブ化されずに、留学あるいは住んでいた者には共通点がある。
「これで日本は良いわけがない」というものだ。
良い文化もあるが、悪い文化も何でも取り入れてしまう現代日本。
拝金主義に踊るヤツらに騙され、流行にホイホイ乗るバカさ加減。
新撰組が袴を下げて、イヤリングをして頭を金髪に染めていたらどうなる。
ここが変だよ日本人でも言えない、彼らの普遍的無意識が語る本当の言葉とは何かを知るべきだ。
欧米の人々が笑っている、世界の人々が笑っている、テレビでは言えない日本人の滑稽な姿が、確実にあるのだ。

宗教があるから戦争になると真剣に思っている日本人。
それは宗教がるからではなく、普遍的無意識の本音があるから、世界はきしむのである。
ニーチェのルサンチマンとは普遍的無意識の格差なのだ。

MRIの進歩で脳の世界が次々に解明され、男と女の脳の仕組みがまるで違うことが分かって来た。
すでにアメリカでは多くの学校が、男女別々に授業を行っている。
現代日本とは正反対である。
かつて世界も日本も本能的にそれを守っていた。
勿論男尊女卑などあってはならない、ここで言うのは区別のことである。
彼らは、男女のカップルが別れるシステムまでも解き明かし、セラピーにも応用している。

武士道とは侍社会から生まれた精神性のことであり、システムや体制のことではない。
江戸中期からは町人にも広まり、規範や礼儀などが全国に広まった。
日本の精神基底となっていったのである。
明治に訪れた外国人は一様に、日本の清潔さと礼儀正しい人々を見て驚く。
当時、江戸は世界一清潔な都市だったのだ。

多くの人が明治によって武士道は終わったと思っているが、決してそのようなことはない。
一旦は武士道を捨てた明治政府も、西南戦争で侍達の力を借りるしかなかった。
その後、武士道は日本の軍事精神に生かされ、世界でも優秀な軍隊へと育つ。
欧米列強からの恐怖、不平等条約からの脱却、藩から新国体への移行。
士族主義から民主主義への移行。
一等国と認められたい一心で、苦しんでも規範を捨てず頑張ってきた。
どんなに時代が変わっていこうとも、武士道規範は欠かせない精神基底であったのだ。
時代に応じて武士道は変わっていき、義を忘れ衰退化する時代もあるが本質は変わってない。

今、執筆にかかっている掣圏真陰流には、心の技としての武士道がある。
ここで全てを明かすわけにはいかないが、ヒントをさしあげる。

真の不動心とは、人が持つ内側の環境をある方法で変え、未来感と記憶からなる心理を溶き、五感を能動へと開くのだ。
真陰の陰とは勘や気配に直結する無意識のことである。
現代科学で言えば精神分析などと似たものだが、武士道では優位への意思のために使う戦闘生理学なのだ。
精神的な病を治すために発達してきたものだが、その回路は勝負や勘を表すものと共通している。
この感覚を鋭くすれば、精神的なものは解決し、神がかり的な勘も養える。

佐山武士道は日本人が無くされた精神基底と、史上最強の精神力を養う武道のことである。
普遍的無意識を基礎として土台を作り、技を合わせ、情動のブレを無くすのである。

私が新しいものを創っているというと、もう総合以上に凄いものなんて無いだろうと言う人がいた。
何というレベルの低さ!
また、日に日に凄くなる私の催眠力にとらわれ、「一体、佐山は何を何を考えているのか」と想い、格闘技に催眠を取り入れる、パフォーマンスをすると考えている人も少なくない。

催眠は変性意識といい、自己の内環境を変える手段に過ぎない。
それは催眠療法に使うシステムから、猛勉強させていただいた。
今でも催眠心理学会では最前の、アメリカの方法を勉強会で研究している。
また私の催眠セラピーは、紹介が紹介を呼び、本当に困っている方には無料で行っている。
本当に助けたいからだ。
但し、強度の精神障害の方は残念ながら、お断りしている。
催眠心理学会で進められていないからだ。
催眠と武道は変性意識のレベルで、内環境を変える所で共通するものなのである。
ある方は、これで中国武術の総てが解けたと言ったが、私は中国武術が何かを心得ていないため「そうなのですか」と言うしかなかった。

本の作成はいよいよスタートした。
真の私の創成はこの本から現れる。
なぜなら共同で本を制作する方が、最適のプロで、解りやすく描いてくれるからだ。
私は研究の当事者で、皆さんに伝えるプロではない。
つい難しく書いてしまう。
ここまで凄いのかと感激してくれた真武道を、プロの手で皆さんにも感激、あるいは役立てて頂きたい。
歴史的なものになるはずだ。
本の出版は、来年二月になる予定。

来年は虎年で初代タイガーマスクの30年記念。
虎の月(二月)の虎の日に、30周年記念と出版記念パーティーを行います。

2009/10/28(水)

自分で言うのも何だが、何故、極端に催眠が入るのか?
催眠仲間に言わせると、私の声に大きな特徴があるそうだ。
新武道のために戦闘時の精神観や、感覚気配を最大限にするため、自己の感情や雰囲気を変える手段に使用するための一部だった。
そもそも催眠はタイミングや強弱などや、落ち着きが重要だ。
私は本当に器用らしい。
それも格闘技と似ているからだとつくづく思う。

催眠心理研究会では、セラピーのための最先端の勉強をしているが、ここでは催眠自体は行わない。
催眠術ではなく催眠療法の分野で、いかに無意識に効くかという観念で会合を行っているからだ。
はっきり言って催眠で犬になろうが猫になろうが、無意識の根底を変える変化には全く関係ない。
重要なのは精神的な奥底に眠る無意識を変える方法だ。

研究会は非常に勉強になる。
催眠先進国の最先端を学びながら、武道に使おうとしているのは私だけかもしれない。
人が持つ問題には、きっかけから変調期に至るまで、武道の精神観と仕組みは同じである。
そこを強くするか、治すか、プレッシャーやストレスを無くし最好調にするかだ。
勉強をすればするほど、武道が見えて来る。

さあ今日からドラディションの巡業だ。
気を引き締めて行こう。
十一月からは武道本作成の開始 楽しみでしょうがない。
巡業中も暇をみてまとめよう。
凄い本になるぞ!

2009/10/21(水)

真武道の本 制作に関し、精神的なもので何かを知りたい方いますか?
本物の佐山がすべてお答えします。

2009/10/20(火)

いよいよ本格的な精神武道の出版制作が決定した。
私がここ十五年間で作り上げてきた本物の思想と科学である。
国家国民にも関わる重要な本だ。
正義・信義・恩義や礼儀を含む精神基底、精神術、催眠学、試合、試合儀式、皆さんには悪いが、今まで私が何を築こうとしているかを隠すために、わざと公表を避け、点で説明してきた。
佐山は格闘技界にいるようで、いないようで、プロレス界にいるような・・・、霧の中のぼやけたところにいた。
ただしプロレスを、OBとして元に戻したいのは本心だった。
私がどこにいるのか雲を掴むようだったでしょうが、実はすでに火星で基地まで作り上げている。
思想は不退転の心を作るが、興行となると接待や贈り物や買収で、信念を通す体制が周りから崩される。
そんなことは百も承知。
武道は思想のしっかりした者を集めて、展開させなくてはならないことがよく解る。
妥協は許されない。
子孫がかかっている。
国家がかかっている。
歴史がかかっている。

2009/10/19(月)

桜木・瓜田の先日の同時UKF世界チャンピオン獲得から、桜木がまたやってくれた。
1ラウンド左フックからのパウンドでKO勝ち。
先日ロシアで行われた、ワールドパンクラチオン無差別級の世界チャンピオンになった。
勿論桜木一人の力ではない。
田中最高師範や仲間のおかげである。
掣圏武道は勝っても秘める武士道プリンシプルであるから、大きな表現はしない気質だが、皆さんにも心で祝福していただきたい所存です。

桜木

2009/10/16(金)

リアルジャパンでのプロレス復活は幻で終わる。
ストロングスタイルを理解できなくては、何も始まらないにもかかわらず、楽しければ良いプロレスに汚染された連中に利用されつづけるシステム。
一部のアメリカでの成功に夢をいだき、どんどん衰退していくストロングスタイル。
子供だましのアングルと、実戦性のない派手な動き。
アメリカでは死んだ殆どのプロレスが、ストリップ以下の地位にあることを、日本のファンは知らない。

私の本業は本格武道であり、実戦と精神面の何たるかを勉強しつくしているつもりである。
この私がプロレス復活のために、バカげた学芸会に利用されなくてはならないのか?
真武道と子供だましプロレスを両立させろというのか?
あまりにも真武道をなめている。
私の両立とは真剣勝負での精神武道と、本格的なストロングスタイルでのプロレスである。
やるのであれば一からやり直す。

私は狂愚の人間であるから、いざ行動をおこす。
日本独自の良き時代のプロレスを体感したい人のために。

誤解しないでほしい。
プロレスはプロレス、ガチンコのように見せるものでも、跳ばないプロレスでもない。
ショーはショーとして実戦性あるプロレスである。

よくシュートを越えたところにプロレスがあるという人がいる。
ガチンコ技術を熟知している者が、戦いを演じるプロフェッショナルという意味なのだ。
また、ガチの選手をそのまま演じさせることもない。
スーパータイガーやタイガーシャークを見ても、それは難しいことが分かるだろう。
だが、彼らは着実に育っている。
ここで方向を間違えたら悲劇である。

私は方針を変えて、一から本格的にやってみようかとも思っている。
このまま衰退するプロレスに甘んじて、真武道一直線に進むか、確固たるプロレスを再建するか。
その場合、新弟子も選手も一から造りあげなくてはならないだろう。
タイガーマスクが造る本格派のプロレスに、一から勉強する者はいるだろうかといえば、確実にいる。

三ヶ月に一回の後楽園という、今では大舞台での試合よりも、真のファンを育成するための、回数ある舞台を提供するシステムにするかもしれない。
いかがでしょうか?本当に夢あるプロレス復活を願っている皆さん。

私の体が戻って来た今、来年のために本格派を作り上げる時期かもしれない。
さてストロングスタイルの王道を行こうか!

総監挨拶 戦闘生理学 武士道 掣圏道 思想
興義館 催眠 リアルジャパン 商品販売