くしくも興義館の一周年、2007年7月29日、師、カールゴッチ氏が他界した。
技術だけでは計り知れない師の教え。
私の思想は師から受け継いだ精神基底であると、強い思いに耽る。
「プロレスを昔の状態に戻してくれ」と言われた言葉に対し、私は格闘技の道へ行ってしまい、今こうして心武一体の理想が完成されようとするとき、師の言葉を、あらためて強く感じる。
またこの武道も、師からの継承があったからこそ、私を武士道につないでくれたと言い切れる。
このサイトは武道完成のため、私自身が作らせてもらった。
どこまで師に喜んでもらえるか分からないが、出来るなら、天の力でドイツ語に約し、師に読んでもらいたい。
「まだまだ」と、ほめる事はないと思うが、師の結晶は永遠に生き続けると感じさせてあげたい。
そして師の意志を伝達して行きたい。
偉大な最後のレスラー、師カールゴッチに奉げる。
人は私のことを10年早いと称すようです。そして完成させると、次から次へと違う方へ行ってしまう。
いつもそう言われる度に失笑しています。
かねてより私が抱いていた大義は、歴史に恥じない格闘技を創ることでした。
単にルールをまとめて、流行る物をやりたかったのではありません。技術と精神面の重要性を認識し、心の育成を伴う心武一体型スポーツの創始を、使命感としていたのです。
二十数年前、一つの格闘技を創始し始めた時、出来ることからと、ルールの構成とそれに付随した、技術の追求を始めました。
マスコミも世間も、タイガーマスクが始めた新格闘技と注目し、選手も育ちました。
当初は総合格闘技自体に理解の無い時代で苦労もしましたが、徐々に変わっていきます。
選手自体でさえ、ガチンコだとビックリし逃げる者、ただ単に試合場に上がりたがる者、マスコミに注目されたいだけの者。
このころ既にズレは生じていたのです。
次第にそれが総合格闘技と注目をあびはじめ、町人拝金主義的な面のみが注目されはじめます。
私にとっては、もうひとつの片翼が創れないという、もどかしさが募っていました。
お金と世俗に流され続けなくてはならなかったからです。
今の総合格闘技を創始したと言われても、私が大義を果たそうとしたものとは、まったく異なるものなのです。誰が流行らせたなどというのは、どうでも良いことなのです。
当時、「相撲のようなシステムがモデル」と言い続けていましたが、状況はさらに世俗に走り続け、私の若気の至りからも、誰も理解する目を持ってくれませんでした。
いまだにそれは続こうとしています。
誰も理解できないのですから、「ハイハイ」と他の意見を聞き、いいかげんな返答をするしかありませんでした。
しかし、この十年が私にとっての真の追求でした。
皆さんにとっては、私が何を考えているか解からなかったでしょうね。
最初の10年が動の追及なら、この10年は静なる追及だからです。
考えに耽り、本を読みあさり、専門者にチェックを入れ、実戦テストを繰り返す。
私は、心武一体格闘技の、もう一つの翼、精神面を追求していたのです。
有利なのは史上最高の精神文化が歴史に支えられていることと、現代の科学が今という時空にあってくれることでした。
片翼だけで飛んでいる今の総合格闘技の姿を見ても、何も感じる事も暇もありません。
何が私の目的なのか、真実はこのサイトからの発表となります。
この度は、「いったい佐山の本音は何なのか」と思っている多くの皆さんに、私自らホームページを作成し、マスコミのフィルターを通さず伝えようと決意いたしました。
武士道は精神基底へと発展し、刀は人を切るものではなく、人を生かす魂の象徴として形付けられてきました。
人の心は刀よりも怖いものです。
掣圏真陰流が開発した精神術は、世界の軍隊が注目するでしょうが、私も先人に習い、この日本のために殺人圏ならず、活人圏として使いたく創始した所存です。
人はなぜ弱いのか、心とは何か、真の強さとは。
武道の源、武士道精神の本質とは何か。
精神分析学から神経細胞学、歴史や宗教などを探し求め、今では私なりの確信をつかみ、精神を作用させる方法を科学的に究明する、戦闘生理学という分野を切り開きました。
マスコミを通じて私を見る皆さんは、私がいったい何をやっているのと御思いでしょうが、精神科学分野でも新しく、武道でも新しい分野を開拓し、格闘技と精神性が一体となった、史上最高の武道創りに挑戦しているのです。
これが二十数年間一環して変わらない、私の真の姿です。
掣圏真陰流がいう強さとは、無意識の中にある、意識への投影関係が情動に関与し生じるものです。
これを言うとまた「難しい」と言われそうですが、この度は出来るだけ解かりやすく、皆さんに理解していただこうと、戦闘生理学の項でまとめました。
神経外科や精神科医の先生や、各専門家の方々との研究から導き出したものも多く、過去難しい表現になっていましたが、今回はこのHPを通じて簡単に表現したつもりです。
心武一体となった武士道は、どの時代も最先端を行く精神科学であると同時に、現代に置き換えると、格技だけでなく、何事にもブレない心が基本にあります。
その深い思想は、生理学的にいうと情動と相対した、安定を基本においており、強者の条件は、何か圧力を受ける強い物事があっても、何事もなく対処する不動心の完成度です。
掣圏真陰流の心の部は、精神術と精神基底構築を合わせ、不動心を造ることを目的としています。
術とは、無意識の観念と情動をコントロールするもので、サムライの時代であれば、悟りを求め、明日の死をも無に帰した禅のようなものです。
起因から観念に影響させるのが精神基底のある無意識です。
掣圏真陰流の「陰」は無意識の意味であり、義に導かれた、社会への免疫を無意識に身につけていくことが、精神基底となります。
人は、免疫を造らず怠った時、観念が弱く簡単にブレ、荒廃の方向へ進んで行きます。
最新武道は高度な精神と、高度な身体技術が合体した心武一体によって、不動心で人格を伴った、真のサムライが出来る科学なのです。
柔道選手が体を知り、整骨医になれるように、掣圏士は心の医者にもなれるでしょう。
陰(無意識)によって、圏(心的対峙距離)を制す意から名づけた、心武一体型武道が佐山の創始した掣圏真陰流です。
掣圏真陰流
興義館
総監 佐山サトル