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2015/10/09(金) 何がための格闘儀か!

かくして対日方針指令は生まれた。

フランクリン・デラノ・ルーズベルト、この親中・親ソ・嫌日の狂人のせいで戦争に巻き込まれ、日本の行く末さえ消され恭順する戦後日本。
人種差別厳しい時代、日本潰しの先方は、戦前叔父が日本でクエーカー教(キリスト教)を布教していた、ヒュー・ボートンに託された。
国務省で行われた、その矛先は、有色人種だが優秀な日本人への憎しみと、それを根本から無くして弱体化させるという研究。
後に加わるのが、親日家だが日本軍部嫌いのグルー元駐日大使。
このグルー国務長官の願いもむなしく、ボツにされるポツダム宣言原案。
対してトルーマンによって突如交代した、嫌日のジェームズ・バーンズ新国務長官。
果してポツダム宣言やハーグ陸戦条約は無視され日本は洗脳され、誇りも歴史も文化もズタズタにされて今日にいる。
戦後日本が民主主義という名目の元に無くされたのは何か?すべて取り戻そうプリンシプルで!

本当に可哀想な国である。
昭和22〜3年頃から共産主義の脅威に気付き始めたアメリカが方針を変えるが、日本では東京大学などの主用ポストに既に復権させてしまっていて後の祭り。
マッカーサーも悔やんでいる。
かくして法曹会、歴史学会を乗っ取られてしまった。
民主主義から古代文明や宗教まで、騙し洗脳した手法。
当時日本の敵は共産主義者(純粋な共産主義が悪いわけではない)、ルーズベルト政権は日本占領後の政策学校まで作って研究したという。
それが司法試験や、テレビに出てくる一見まともな顔をした解説者など未だに影響している。
憲法や弥生人渡来説などは、最も卑劣なやり方だ。
当時、GHQに定められたプレスコードなどは、体裁程度にしか未だに変わらないマスコミの現状。
早く気づけ日本国民諸君!反日は日本自体である。
もしあの時の大統領がハーバート・フーバー前大統領だったら!
あんな戦争も文化の消滅も起こらなかった。

太古の時代より日本はしらす和国である、他の国とは大きく違う。福沢諭吉が正しいのだ。巻き込まれて入ったがために融合するより、一旦、神が分けたのかも知れない。

史上最高の文化を取り戻そうではありませんか!神国日本(これもまたGHQが定めたプレスコード)。
私が言う神国とは国家神道のことではありません。
明治当時、王政復古による国の一体感は、諸外国から日本を守るための手段としては最高のものだったでしょう。
ここでは日本人に流れる普遍的「道」のことを言います。
復活しましょう、まともな国との国際社会を考えて!
町人拝金主義者ではない者達による、まともな格闘儀を創りましょう!

従軍慰安婦問題、安保法案反対デモのバカさ加減、テレビ格闘技会、問題は全く同じです。

エレベーターで会って「大ファンです」と言ってくれた、内閣参与の藤井さん、私も安倍政権の大支持者です。
但し、同じ下関なので、地元意識で応援していると思われたくないのです。これからも底辺から盛り上げます。

大阪は堺のウエノ歯科さん、歯の治療最高でした。初めて痛くない歯医者さんと出会えました。しかも麻酔なしで痛くなかったのは初めてです。
日本中に教えたいぐらいです。

藤原先生、ご愁傷様でした。先日の日曜の醜態は凄かった。恐らくお母ちゃんから死刑でしょう。

2015/10/3(土) 次回プリンシプルは10月24日(土)

さて次回のプリンシプルは
「安保法制案」
日本の真の姿を何も知らない日本人。
いったい近代日本とは何なのか?
安保法案に反対する人々の姿と、マスコミ、広告業界、芸能、テレビの真の姿。
どうして日本は乗っ取られたのか?
このような日本にした歴代の総理の馬鹿さ加減と優秀さ、徹底的査定。
どの総理が最も愚者か?優秀か?

普遍的無意識が外にある者が政治を行い、メディアで解説をする姿。その民意と称する者達がどのような人物なのか?

左も右もちょっとかぶれた奴が最も醜いと言われる。
ちょっと読んだ記事や放送で全体が見えず押し通す馬鹿さ加減。彼らは決まって必死に意見したがり、「かぶれだな」と普遍的な説得力がないことがすぐに見破れる。
あのバカを丸出しにしたデモ参加者と、右を気取る奴らも同じ穴のムジナである。
要するに何があるこれがあるだけで、国の何かが見えていないのだ。
必要以上に意見を言いたがるのは愚者かスパイだと、昔から言われている。

見せよう、可哀想な近代日本という国家の真の姿を…
これから進む道を。
何のための「すまひ」かを。
格闘技一つをとっても佐山は何と戦っているのか?

もう少しで反日プロデューサーらに、またしても町人拝金主義に乗っ取られようとしていた事実。(内容は雲泥の差であるが…、 我々は厳選してすまひを造っている、日本を背負って進む覚悟のある者達だけである。そこに儲けだとか人脈だとか、ハゲタカ者に入る余地はない。)
また、ギリギリの所で守った日本魂の人々。
次回のプリンシプルは、すまひの紹介とあの真相にも触れる。

10月24日(土曜)
場所:興義館
時間:午後3時開始(2時30分開場)

佐山サトル

2015/05/14(木) まともな国になるための基本。

スイスが永世中立国になって200年が経つ。
彼らは第一次世界大戦も第二次世界対戦も中立を守って来た。
日本は平和を愛する9条があり、70年も戦争がない国だから、そろそろ永世中立国になる……だろうか?
絵空事である!スイスは武装中立国なのだ。
俗論派がいう9条に基づいた平和国家思想とは、非武装中立である。世界でも4番目に危険な東アジア地域においてはあり得ない。
昔、ある議員が俗論派の議員に質問した。
「非武装で敵が攻めて来たらどうするんだ?」
何と「黙って両手を上げていれば良い」と答えたのだ!
後に彼らはスパイとまで言われた議員だった。
確か日清戦戦争の前後にも朝鮮は、何度も中立国宣言をしたはずだ。あるいはさせられた。
それらは全て吹き消された。
また現在の国際連合とは、第二次世界大戦の「連合国」というのが正式名であり、昔の国際連盟とは全く関係がない。
日本は訳で誤魔化していて、一方、世界の観念は未だに抜けていない。というか、最初から目的が違うのである。
我々は常任理事国を目指すのではなく、連盟を解体し新しい新世界秩序連合を目指すべきだと言いたいくらいである。
そこには大きな障害がある。
いつまでたっても世界の仕組みは、大日本帝国陸海軍とナチスが同等なままなのだ。
戦争に巻き込み、原爆を落とし、市民を空襲で殺し、捕虜を皆殺しにした事を、ウォーギルトインフォメーションプログラムで、世界に隠すには日本軍を悪玉として、血祭りにあげておかなくてはならない。
未だに第二次世界大戦の情報を開示しないアメリカとの、着地先を見つけてやらなければ、日本は独立できない。
だが、この国はどんなに俗論派や正義派を基準にしても、戦後、管理され(ドイツと日本は二度と戦争をやらせない)ここまで来ているから平和なのである。
その「やらせない」をやらせ、共産主義を抑え安保体制を維持したアメリカ。
抑止力外交の出来ない日本はよく今日までやって来たが、各国が力をつけてきた以上、これからはその場面が違ってくるが、国民がついて来てない。
ここから逃れて真の独立をするには、アメリカの要求通り血を捧げるしかないのか?答えは今からの外交であり、やっと安倍首相がスタートさせたのだ。
後方支援でここまでの環境(米国の歓迎)だ。
近未来、日本の指導者が、パーマストンやビスマルク級の政治家であるべく実力が出せるかが試される。
これからはしっかりとした政治家を選ばなくてはならない。与党も含めもう誤る余裕はない。ここで将来が決まるのである。
その第一条件は正しい歴史観を持っているかどうかである。
ナチスは確信犯だが、決して日本は違うし、ドイツはナチスが裁かれただけだが、日本は国家が不当に裁かれ、今も世界は日本を敵国扱いだ。
いつまでもそれを煽っているのが俗論派と、研究しようともしない世界の保守系歴史学者である。
日本自体に俗論派がいる限り、変えようと打って出る機会は妨害され続けた。
今回、安倍首相はそこへ風穴を開けたのである。世界が変わる兆しは見え始め、真の外交が出来るかもしれない。
演説以降、俗論派のマスコミは、上げ足取りで世界にリベラルを示そうとしているのだろうが、あまり受けないのは何故だと嘆いているだろう。
この国はもっと真実の近現代史を学ばなくてはならない。

ところで中立国になるためには武装が必要だ。
スイスは武装中立国であり、ナチスにも連合国にも攻撃を加え中立を守った。ちょっと前までは民兵制であり、今ではしっかりとした徴兵制の軍を持っている。
対して9条があるから日本は非武装で中立を守れるし、70年間戦争が無い平和国家である?
この理想とするパターンを、保守派が邪魔している?
地政学や正しい歴史を認識している正義派は、絵空事として笑う!
馬鹿なタレントが必死こいて正義を語っている姿は滑稽で、俗論派の猿使いに回されている猿にしか見えない。
いい加減、正しい政治家を出そう!正しい目を持とう!
但し、過激になる必要は無い。日本国民は冷静で民主的で暴力に訴えない深い経験をして、戦前からある民主主義を完成している。
決してアメリカに教わったものでもなんでもない。
静かな大地に、怒涛のように響かせる草莽崛起の魂を秘め。
いざという時にまとまる国民性なのだ。

佐山サトル

2015/05/01(金)

安倍首相は素晴らしい演説をした。私の情報からは総理は正義派の人である。
我々の矛盾は、世界が連合国のままの体制で、その歴史観がナチスも日本の帝国陸海軍も同等に扱われていることだ。
俗論派が集う戦後日本の体制において、正義派の主張をしてもまず敵国であったアメリカ社会が許すはずもない。
あの演説はそこをやんわりとこじ開けたのである。
アメリカの日本接近の最大の理由は後方支援である。あの用意されたスタンディングオベーションも全て、軍事への期待なのである。こう書けば戦後平和ボケした者達と、それらを利用しようとする者達とが、安倍は戦争をしたがっていると騒ぎ立てるだろう。馬鹿か!どこの世界に戦争をしたがる文明国の首相がいる。
我々はもう賢く強い外圧によって戦争に導かれる事は懲り懲りだ。
安倍首相は媚びたのではなく、最大の要因を築き防いだのである。しかも、ユダヤヘの危機感でどうしようもない世界に、強い才能を持つ国が味方してくれる首相が現れた。
安倍首相はこれらを見抜き正義派の主張を徐々に、世界に納得させていくための風穴を開けたのである。
まず戦前と戦後の国内にはびこる俗論派への対撃。俗論派と同じ歴史観を利用する国々。プライドと兵士を英雄にするアメリカ。体制は違うが三者の意見は繋がっている。
おそらくこれで正義派の意見がアメリカ社会に出てきはじめるだろう。
注意しておきたいのはアメリカが対中国への牽制ではなく、首相を向かい入れたということだ。
日本の反主流派は、後方支援に関して攻撃してくるだろう。明確に宣言した首相に逆らうものとして、はっきりとアメリカ国民に姿を現すことになる。

2015/04/18(土)

物を作る人と使う人との感覚は融合します。
両者が優れていると、その世界が頂点で一体化します。
名人と目利きの関係です。
日本人の職人文化と言えるでしょう。
名人が魂を込めて作った湯呑みで味わう茶と、大量生産で売れるように作った湯呑みでは、味も風味もその茶室自体の雰囲気も変わるでしょう。
しかし、なめてはいけません、拝金主義たちも必死なのです。
会社のため家族のためにと、恥も外聞もなくなんとか客に飛びつかせるために、売れる商品を開発しようとするものです。

私の格闘観で最も大切なのは原理原則です。至誠の魂が深く染み込んだ根拠がなければ意味がありません。
その中に秘める世界を、深く高貴に浸からせなくてはならないと、神経を注ぎ込んでいるのです。
おそらく名人といわれる人々は、深く共鳴してくれると思います。
武道の場合、心の原理原則が深く注がれれば、競技にも深い魂の集中が現れます。
私はそう信じ、歴史、科学、宗教等を研究し武道を創っているのです。
競技が魂に融合する格闘技なら、今でもA案、B案、C案くらいのものがあります。
しかし大事なのは魂の方です。
私の至誠は日本のためにやることです。
「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
松陰先生に習い、日本のための新しい武道を創設します。
待っていてください。

私の悪いところでしょうか、どんなに偉くて人気があっても、至誠のない者は認めません。
ましてや日本を落とし込めようとする俗論派だと思うと、カス以下にしか見えないのです。
先生には困ったものだと、平井が思っているでしょう。
日曜の左翼番組も然り。偉そうに正義顔しても私にはまったく通じません。

戦いには心ある武士道的なものと、昨今行われている容赦のない戦いがあります。
日露戦争と現代の中東での戦争のことです。
私は単なるスポーツを作ろうとしているのではありません。武道というレベルを造ろうとしている訳でもありません。
日本国の精神復活をする手段に達するものを創るというのが私の狂愚誠愛です。
心を故意に忘れさせられた、戦後レジュームともつながります。
その正体を完全に暴くのが次回のプリンシプルです。
俗論派にスキを与えず正確に暴いて見せましょう。

日本人にとって戦後とは八月十五日ですが、連合国にとっての戦後は、九月二日、あのミズリー号でポツダム宣言を受託した調印式の日です。
前にも書きましたが、日本の軍は全面降伏でも、日本国自体は全面降伏ではありません。ポツダム宣言に則っての降伏でした。
「戦前はこんなに厳しかった」という反体制派(今でもマスコミが使う手)を利用してまでもの攻略、東京裁判も憲法押し付けも、公職追放も警察権の剥奪も、教育の制限も改正も、歴史の改ざんも、敵国の正当性も、民主主義の宣伝戦略も、全て国際法やポツダム宣言違反です。
この時期のマッカーサーに騙されてはなりません。
日本を第二のフィリピン利権(マッカーサーはフィリピンでの大富豪、父はフィリピンの総督)にしようという腹と、アメリカの大統領を狙って、当時のアメリカ国民に受ける占領政策と、政府のお伺いをしていたのです。
弱り目に祟り目、弱い者に断然強いマッカーサーは、捕らえた者をいたぶるように、反体派の牢獄にいる俗論派の元達を解放させ、正義派を殴らせ続けました。
敵の敵は、都合の良い毒薬だったのです。
その毒が中枢にあるから、日本は治らないのです。
こんな事は日本が有色人種だから出来ることです。
ドイツはナチスが裁かれましたが、ドイツ国自体が裁かれた訳ではありません。昨今、お金が欲しい国が何癖をつけていますが…。

知っていますか?ポツダム宣言調印後の翌日から、政府機能の全権をよこせ、英語を公用語にしろ、逆らったものは処刑にする権限をもらうと指令して来たのです。
マッカーサーはポツダム宣言を一切無視にしてくる意欲万端だったのです、もしくは知らなかった。
その時、日本の官僚がポツダム宣言や国際法を、マッカーサーに教え必死に防戦して、やっとのこと論破し助かりました。
それがなければ完全に植民地だったのですよ!この国は。

20年9月20日も陸海軍に全責任を負わす政策「対日方針使令」
10月2日には「ウォーギルト・インフォメーション・プログラム」
GHQの大宣伝は「民主化」として「婦人参政権」「公職追放」「財閥解体」「農地解放」。裏メニューとして「憲法改正」。
復讐劇として「東京裁判」。
国民を騙す宣伝として捏造ラジオ番組「真相はかうだ・真相箱」、ローカルを含めた全新聞に一面で10日間にわたり捏造した「太平洋戦史」
俗論派が泣いて喜ぶことばかりでした。
全部占領政策用のウソです。本当のことも含めていましたから、本当の振り込め詐欺みたいなものです。

この教育をもろに受け育てられた今の五十代から上の人と達、左マスコミや芸能人、教育者、この時期に近代史の勉強をやり、その後の勉強をしてない人達に、俗論派が多いのです。
みなさんも勉強したら、楽しんでその人達と語り合ってみれば面白いですよ。
「昔は日本も、今の北朝鮮と変わらなかった」などと平気で言いますからね。
昔っていつ?
「戦前ですよ、明治からの」

次回プリンシプルが終わった後、ギャハハと笑えるようになります。

2015/04/01(水)

先日、山口県の萩に行ってまいりました。 吉田松陰先生の松陰神社に参り、松下村塾を何十年ぶりに見学して来ました。

「至誠にして動かざる者は、いまだこれあらずや」

幼少より山鹿流兵学などを学ばれ、孟子を勉強され、佐久間象山などに洋学を習い、若き日より学んだ行動学(陽明学)を実践された、改めて凄い方だと実感しました。

松陰先生に学ぶ現代の至誠とは何か?

いよいよ次回プリンシプルは核心に迫りましょう。

戦後七十年が経ち、悪いのはすべて日本の陸海軍にかぶせるという昭和20年9月20日に発せられた「対日方針指導」や、10月2日に発せられた「WARギルトインフォメーション」から植えつけられた、歴史観と憲法や復讐裁判と教育で、日本は大きく傷つけられたのでした。

その後、外務省と海軍はGHQと手を結びます。よって陸軍だけが悪くなるのです。

面白いのは学歴が高く昔から歴史に詳しいという人ほど、この時植えつけられた自虐の史観を語ります。

「えー、佐山さんはそう言っていますが、違うと言っている人もいますよ」
「証拠はあるんですか?」

この人達が反日体制にのまれた人の姿です。

右系と言われる学者であっても、自虐を調整してしまっている人がいる始末で、例えば、南京大虐殺で三十万はウソだが、4万人位だとか。
もはや多大な証拠が集められ、彼たちの常識は常識では無くなって来ているにもかかわらず、頭の切り替えが出来ていないのです。

しかし何故変わらないのでしょうか、学会と呼ばれる偉い学者さん達の中に、凝り固まった反日思想で重鎮と言われる方々がいて、生徒や周りも、例の如く、右へならえ体制となっているのです。
逆らっておかしな振る舞いをすると単位が取れないのです。
公務員試験や司法試験のバイブルでさえその人達の影響があると言われています。
権威というだけで右や左であろうと、その回りの人もそれにならってしまい、間違っているというスキを与えられません。

しかし、その中でも真実に芽ばえた学者達も多くいます。 これが「俗論派」と「正義派」との戦いです。 国民も早く目覚めなければなりません。

プリンシプルでは旧歴史観を語る人々を、「俗論派」と称し、勇気をもって真実を語れる人々を「正義派(研究派)」と称します。

これは大変な問題を抱えている事を認識して下さい。

貴方の回りにも、もっともらしく振る舞う俗論派が必ずいます。学歴が高ければ高いほど自信を持って語ってきます。
私達はそこへ真実の風穴を開けるのです。

ドイツは集団謀議としてナチスが裁かれました。ドイツ本体ではありません。

一方、日本は戦争に巻き込まれ、ありもしない集団謀議説で世界征服を試みたとされ、裁判とは名ばかりの復讐ショー(当時から言われていた)で裁かれ、憲法の改正や教育の改正、歴史の改ざん、思想の検閲まで、国際法上許されない行為を、国ごと受けたのです。
また、それに準じた裏切り者がいて、その一派は今も中枢に居座っています。
無条件降伏とはポースマス条約に応じた、軍隊に当てはまるもので、日本国への適用ではありません。

国際連合は本当に訳すと「連合国」です。私達はごまかされています。また、戦前の国際連盟とは全く関係ありません。

実は未だに第二次世界対戦後なのです。常任理事国の拒否権問題は皆さんもよく御存じでしょう。

ここで言いたいのは世界の歴史学会も、俗論派が占めているということです。
ここがすべての問題なのです。

慰安婦問題も吉田清治が虚偽の本を書いたと謝っていても、未だに世界は日本を相手にしません。
証拠が残っているにも関わらず、未だに全てが認められないのです、何故でしょうか?

日本では戦後その歴史観を更に、とんでもないことをしてくれた人々が存在します。プリンシプルでは実名でいきたいと思います。

日本は戦前国民が弾圧され大変だった?
確かにそういう輩にとって戦前戦時中は辛かったでしょう。
今の世界を見てください。戦時中はスパイや敵国思想は徹底的取り締まられます。当然でしょう、国が滅びるのですから。

戦前に共産思想だった人は、信じられないくらい反日です。
天皇制と財閥の解体。
当時こんなことを言っていたら取り締まられるのは当然です。

ヨーロッパでは偉大な指導者が多く出ています。
おそらく安倍首相は歴史観を認識している正義派の人でしょう。
ビスマルクは国が地政学上ヨーロッパの中心にあり、散々苦労しました、安倍さんも地政学と歴史学において、物凄く気を使わなくてはならないでしょう。心中察します。

どんなに頑張っても、世界は戦前戦中の日本に対してナチス同様です。歴史のロビー活動や戦略すら出来ていないのです。
安倍首相は七十年談話で相当オブラートに包まなくてはならないでしょう。それでも頑張ってもらいたい。世界に気付かせるきっかけでも良いから。

洗脳された日本の何も知らない子羊たちは、なぜ日本は謝らないのだろうと、真剣に思っています。
もし、識字率と民度の高い歴史の国で、国民も真実の近代史を良く学んでいるとなると、政府レベルでは言えないことも、我々民間がいつの間にか総意になり事は動きます。世界も認めざる得なくなります。

この事業が戦後の日本人に課せられた至誠なのです。
戦後レジュームの正体です。
妨害しているのは重鎮と右へならえの人々と無知です。

次回プリンシプルは俗論派の言う歴史観を木っ端微塵に砕きます。
日本人なら知っていなければならないことです。

佐山サトル

2014/12/13(土) プリンシプル年末特別版 12月31日

佐山サトル特別講演プリンシプル、早くも恒例の年末特別版です。

場所は「興義館」、入場料5000円
限定30名
8時から11時まで。

終了後、年越しそばを食べて、希望者のみ靖国神社へ参拝に行きます。
題名は「近現代日本史の真実」
本当の日本の歩みを見つめて下さい。

来年一月のプリンシプルは、12月25日に講談社から出版される、佐山聡著「リアル不動心」メンタルトレーニング を記念して、「リアル不動心」メンタルトレーニング を実践も含めてプリンシプルで行います。
精神力の真実を見つめて下さい。

2014/09/27(土) 次回プリンシプルは10月18日(土)

怖いでしょうか?不安でしょうか?

彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

混沌たる時代の中、世界は新時代を歩もうとしている・・・・・・と思わされている日本人がいます。
戦後から長い間、歴史と文化を避けされ、グローバルに惑わされ続けて来た今日の日本人。真と芯を無くし自信の無い今の戸惑いは当然なのです。

グローバルは良くないと言っているのではありません。
正体を解らずしてグローバルを受け入れるほど馬鹿らしいものはないのです。
太古の昔からこの敷島は、「受け入れと融合」の国です。
しかし現代は明治や戦後のように、日本を初々しい感で捉えてくれる状況にはありません。
日本人の優秀さをも取りさる、弱肉強食の中に存在する一国に過ぎないのです。
その協力者が日本人にいるのだからどうしようもない。

戦後焚書にされた歴史の真実と日本文化を、もう一度見つめなおそう。
世界の裏を知ろう。
各国は文化を捨てグローバルに生きる事はしない。

グローバルタウンと言われるニューヨークでさえも、人種が融合することはありません。
各国で個々にタウンを集合させ、普遍的無意識を理解し合っているのです。

アメリカの84パーセントは宗教を持ち、内、原理主義者という人々は8000万人、無宗教者は14パーセントに過ぎません。
世界の普遍的無意識を知ろう。

世界を知り日本を知り、百戦危うからず。
知って知りぬいて現状に気付こう、世界に対応しよう。
この先日本人はどう歩めば良いのか?自信を持ちましょう。

古き良き時代から、日本は受入れと融合の国と言われ、しかも何でも真摯に捉え精密に完成させてしまう。
この正体とは何か気づきませんか?
世界の支配人から選ぶホテルランキングでも毎年断トツのトップ。
災害時でも世界を驚かせた秩序。
女性が夜でも一人歩きできる清潔な街。
落しても財布がかえってくる国。
東洋思想と言われますが、その思想も独特な形に変えて完成させた国が日本なのです。
その証拠が日本です。
その正体を知りたくありませんか?大切にしませんか?

日本に古くからしみついてきた神儒仏一体思想。
本当の姿を皆さんは知っているでしょうか?

私が行うものは政治ではないし宗教でもありません。
戦後、グローバルにより失われ過ぎた文化を取り戻し、改めてグローバルに向かって行く精神革命である。

私は武道家です。
武士道を言うものは負けるという言葉があります。
殆どの武道は朱子学が主体となった武士道です。

私がいう武道とは明治以来のものではありません。
かつて武士道が「武道」とか「武の道」とか呼ばれていた時代、国(当時は「御家」)そのものを構成して来た至心と精神のことです。
平安には平安の秩序と武士道があるし、鎌倉には鎌倉、室町には室町、戦国には戦国の、江戸には江戸、明治には明治の武士道があります。

武士道という秩序に民主主義は合うのか?

多くの人は陽明学を知らないし、神道、儒教、仏教の実態を知らない。
その真実とは何か?
中江藤樹を知っているでしょうか、戦前は誰でも知っていた名です。
日本民主主義の原点はここにあります。
決して戦後からではありません。
武士道の根本もここに集約されます。

佐山の雄大な計画はもう始まっています。
18日のプリンシプルは何が必須かの総集編です。

2014/02/20(木) 次回プリンシプルは3月30日(日)神楽坂スタジオ3時〜

神道は宗教というよりも我が国の普遍的無意識の特殊な姿です。
「道」と言う概念により、素晴らしい民度を持つ民となりました。
経済的に二等国に落ち込んでも、未だに世界で一番信頼あるパスポート。
日本人イコール礼儀正しく勤勉で、犯罪をせず、世界のホテルマナーアンケートでも断トツのNo1。
あの大震災で、世界が目を見張った被災地の人々の冷静な対応。
これが海外だったら暴動が頻発するどころか、救助に向かった軍隊にも、自国の国民から銃撃され、応戦することもあるといいます。
一方、「友達作戦」で救助に来てくれたアメリカ軍は、規律ある行動をする被災地の人々と、感謝の意を示してくれる姿を見て大変感激していたといいます。
また、助ける事ができなかったと、涙して犠牲者を収容する自衛隊の対応にも、世界は感動していたことをご存じですか。
いったい未だにこの「世与その美を飾る」姿とは何なのでしょう?
ここ三十年間の私のテーマです。そして私の武道に対する考えです。
長年日本に住む外国の友人からは、この三十年の日本がおかしいと言われます。崩壊が始まっているのです。みなさんはこの浸食の正体を知らなくてはなりません。
格闘技が知らず知らずに、汚れるための装置であるとしたら、武士道の原点に戻り精神基底を構築する軸が必要なのです。
これは冗談ではありません。
武道本来の姿は町人拝金主義でも暴力でも、愚行を売るためのものでもないのです。
さらに原点には神道があります。いったいこの真の姿とは何なのでしょうか、次回プリンシプルでは、武道の原点を語って行きたいと思います。
そんな素晴らしい神道の加護を持つ日本人も、個人主義ではない真摯な環境があったからこそ、弱さを露見する姿をも持ち合わせています。
大舞台で本番に弱い、緊張という生理的な強さを克服できないのです。
神道精神を浸食せず、強さを造るものが武道の真の姿といえるでしょう。
古来より武道では、驚・懼疑・惑 ・緩・怒・焦、が勝敗を分けるといいます。
世界の中での戦闘精神学のトップだったのです。
リアル不動心では、普遍的無意識で「義」を構築し、
術として、常波・退波・窮波・パニック波・乗波・超乗波・戦闘トランスを講義習得し、最強を導きます。
本来、日本武道が追い求めて来たものの集大成なのです。
外国でいう個人主義的な強さと、武道の強さは大きく質が違います。

純粋で民度が高かったからこそ、まねいた崇高で悲惨な先の戦争。
そして史実が隠されている現状。
戦後、当たり前の国として歩んでこなかった国。
地政学上において現在も世界有数の危険地域、東アジアに位置するにもかかわらず、
浸食フリー思想の元、平和ボケし、長くスパイ防止法案もなく、思想統制をも好き放題されて来た国、この間、他の普遍的無意識にやり放題やられて来たのは当たり前のことです。
この情勢のもと、経済ではよく頑張ってきました。
これからは当たり前の国として、メディアリテラシーどころか、スーパーリテラシーが必要なのです。
どうでしょう、みなさんはちゃんと出来ていますか?
日本は素晴らしい国です。素晴らしいメディアも持っています。
だからこそ厳しいリテラシーが必要なのです。賢い民度の高い国民がいてこそメディアも育つのです。
このテレビは何系で、この新聞は何系の影響を受けている所か?
スポンサーは何系でどういうところか?その代理店は?
スリーS政策の正体を見切ることはできているか?
真実でも公で語れば叩かれる姿と、「どうだ言えないだろう」と武器にする者。
見極めましょう!
陽明学では、民衆は愚衆だと説きます。普段の生活に流され政治的には深い関心を持てず、ちょっとした主張に流されてしまうというのです。
指導者が立派でなくてはならないというのが、陽明学や空海密教の姿です。

古来より日本には儒教などのような「教え」は発せられませんでした。
遅れていたのではありません。
未だに田舎に行けば鍵をかけずに暮らしているところがあります。現代でこそ薄れて来た規範ですが、そもそも「教え」の必要がなかったのです。
神道自体に教えはありません。聖書もありません。
普遍的無意識の道という特殊性を持ち、規範が保たれていたのです。
八百万の神の中には、悪さや災いを起こす神もいます。人々は恐れ、司祭に災いを解くか、訪れないようにしてもらいました。
その災いを治める頂点が天皇の姿です。天皇は世界でいう皇帝の姿ではありません、教皇や法王といった存在なのです。また選挙で選ばれる人でもありません。
密教にも教えがないといいます、科学と術で生理的環境を造るものだからです。
一方、フリー主義にも教えがありませんが、前者とは全く異なるものですね。

次回プリンシプルは3月30日(日曜日)、場所は神楽坂スタジオ3時からです。
大東亜近現代史の史実は、すでに様々な本やインターネットで紹介されていて、私が説明しなくても良い環境にあります。
史実の根っ子はどんどん増幅し、最近では外国からもそれらを肯定する本や動画が出てきています。
今回はそんな近代歴史家でも、専門中の専門家、あの東京裁判の市ヶ谷記念館を、自衛隊の中で守り通して来て、勲章まで授与されている井上先生に御登壇願います。
史実に耳を傾けに来てください。
私は武道の原点を話します。

掣圏真陰流 総監 佐山サトル

2013/11/12(火)

次回11月17日プリンシプルは形而上・形而下の世界
人間生理学と宗教の世界を語ることになります。
他と違うところは、人間真理と言わないところです。
日本武道をかけて、科学と実戦で証明してみせます。

形而上とは宗教だけのことではありません。
「勘」とか、「運」とか、「偶然」など、精神的に科学では語れないものもそうです。
格闘技でいえば必ず勝てるという信じ込みや、神がかり的な「勘」や「観」も形而上となります。
それらを作用する優位性の感覚暗示はどこから来て?どのように行うのでしょうか?

私は21世紀に新しく生まれる、日本武道創世に命を懸けています。
様々な角度から武道を造っていますが、今回の講演は精神性の頂点「形而上」です。
先人が残してくれたこれまでの武道に、歴史的責任を負いたいということと、佐山だからこそメガトン級に違うというスタンスです。

超実戦で使えるものが佐山イズムです。
武道だけではなく、普段の調子や仕事や健康などの面にまで関与する心(自律神経)。
心は大切なものとあらためて考えなおすと、貴方の将来も変わって来るはずでしょう。

生理学からみる
信じるとは何か?
妄想とは何か?
弱さとは何か?
強さとは何か?

もちろん言葉にも大切な要素があります。
また精神科学は意識無意識だけではありません、最先端の「クオリア」理論もふまえ、宗教における「祈り」とは何かとか、催眠という変性意識の世界、感覚の世界などを紹介します。
最先端でしかも実戦の武道精神技術であることが、圏を陰(無)で制す「掣圏真陰流」で、これが世界の最先端です。

佐山サトル

2013/10/25(金) 次回11月17日プリンシプルは形而上・形而下の世界

形而上とは、科学的に目に見えない精神世界のこと、いわゆるスピリチャルや宗教とか超常現象のことを差します。
気の世界や超能力もこれに当てはまるでしょう。

一方、形而下とは科学的根拠に基づく現実世界のことをいいます。
禅や瞑想は一般にはこの中間的なものとされていますが、果たして真実はどうなのでしょう?
精神科学や大脳生理学とはどうなのでしょう?

形而上をやるとき、切っても切れないものに、催眠(変成意識)があります。
かつて宗教に使われ、欧米ではすでに科学として認知され、日本では訳も分からなく怪しいとされているもの? はたして催眠とは何なのでしょうか?
無意識世界の真実、心の中は何が行われているのか?どう作用するのか?
教えの記憶作用と、宗教の信仰とはどちらが強いのか?
日本武道はなぜ強かったのか?
11月17日、佐山がはっきりと答えを出す大きな講演です。

神道は特殊です。
自然崇拝による八百万神や先祖祭祀を基本とし、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など一神教の神は、絶対正義の存在ですが、
神道では八百万もの神があり、
宗教というよりも普遍的無意識の世界を「道」とするものです。
わたし達は宗教感覚がなくてもこの「道」を生きているのです。

先祖祭祀として崇高に進む道の自然的本能訓とは、人として社会人として自然のあり方として、基本の教えがあるだけです。
父母に孝行すること、兄弟仲良くすること、夫婦仲良くし、友を信じ合うこと、慎み深く礼儀正しいこと、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ること、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕すること。

こんなの当たり前じゃないかと思われがちですが、本当にこの当たり前を崩さないかといえばどうでしょう? 2673年の道は崩れる事はありません。
民度とはこういうところから生まれてくるのではないでしょうか。

キリスト教ユダヤ教の十戒に似ていますが、神からの啓示と道との違いがあるのです。
彼らは神が絶対の正義ですが、神道の神様は災いを起こす怖い存在です。
それを祭祀でおさめるのが天皇の存在なのです。

天皇は皇帝ではありません。
皇帝とは武力で国を制圧し統治してきた存在ですが、天皇は祭祀の長でありかつ王の存在です。
ヨーロッパでいう教皇や法王の存在に近いでしょう。

あの大震災で世界の人々がおどろいた、被災者の皆さんの冷静さと、
天皇皇后のあの御姿こそが目に見えない道の存在なのです。

縦の文化に対して横の文化とは何か?
一神教という文化では、神から掲示を受け、イエスという絶対正義の存在があって、その民は親子を含め、全て横に並列である横社会となります。

神道では、人は元々「善」であるとする性善説です。
自然崇拝や先祖祭祀で、あらゆるものを受けいれ融合させ、独自のものを造る教えは、親や兄弟、周りの友や、文化や習慣などで社会が人を育てます。
世界が驚愕した東北の人たちの姿、
これが2673年の「道」の精華なのです。

性善説の環境の中、横の振る舞いをするとどうなるか?
どうしようもない者が出来るのは当然です。

また「教えはいらない」最低限の常識があれば良いというのがフリー主義思想です。
フリー主義思想というのは・・・・

神道は「教えはいらない」ではなく、教えが天皇との見えない存在なのです。
規制しない心の専制君主があるから安泰な民度となるのです。
これが日本の国体です。

縦社会のない性善説は崩れるのは当然でしょう。

その国体を守るのが武士の存在です。
国体を守るのは必ずしも武力ではありません。
老若男女に係わらず誰でも普遍的無意識を大切に出来るのです。

2013/5/13(月) 次回5月19日プリンシプルのテーマは東京裁判史観です。

今年3月、安倍首相が衆院予算委員会で、東京裁判について「大戦の総括は日本人自身の手でなく、いわば連合国側の勝者の判断によって断罪がなされた」と述べ始めました。

一国の総理が発言する歴史の真実。
何が隠されていて、何の勢力が未だにこの国をどう治めているのか。

昭和21年5月3日、11カ国の判事国の11カ国が連合国判事で行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)。

前年には、あの確信犯的なナチスドイツに対して行われた、ニュールンベルグ裁判が行われていました。
この裁判はドイツ国ではなくナチスを裁いたものです。

一方、全く異なった戦史経過であり、かつ、全く違った主旨のもとに裁かれた日本国。

何がナチスドイツと日本は違うのか?
裁き方の違いとは何か?
ここが大きな問題なのです。

サンフランシスコ講和条約で、わが国は判決を受け入れており、定説となっているこの件に、世界が今回の首相の発言に、おやっと思うのは当たり前のことです。
しかし、今は真相を世界の一部が気づいて来ているということです。
少なくともアメリカの共和党系首脳部は解っています。

ブッシュ大統領は、2005年5月7日、戦後60周年を記念して訪れたラトビアの首都リガで行った演説で、「ヤルタ協定は米国の犯した最も深刻な誤りだった」と述べました。
ヤルタ協定とは、1945(昭和20)年2月4日〜11日、日米英ソ三国で戦後の国際社会の基本的な枠組みを決めた首脳会談です。

大統領は「ソ連に過剰な譲歩をし、共産主義の本質を見逃した。それが戦後の国際社会の直面した深刻な対立と軋轢につながった」と、言っているのです。

ウエーク島でのトルーマンとの会談。
米国議会上院の軍事外交合同委員会での証言。
共和党系のマッカーサーは、5年の占領日本下での滞在を経て朝鮮戦争を指揮し、日本の真の歴史を理解しました。

しかし今の、東アジアでこの主張は困るのです。
歴史の真実を伏せ歪曲を進める国が、アメリカに圧力をかけると、東アジアの安定や、実際に戦う羽目になるアメリカは困惑するのです。

政治レベルでは解決は出来ないのです。
政府レベルでは語っても広めてもいけない真実!
民間で広まらなくてはならないのです。
ここで動かなくてはならないのが我々民間です。

東京裁判とは何か?伏せられている歴史とは何か?
また、なぜいつもこれほど問題になるのか、おかしいと思いませんか?

少なからずも知っておきましょう真実を。
現代日本の姿が見えてきます!

今回は東京裁判のスペシャリストで元防衛省の広報をされていた、井上先生もお見えになります。

何をされ、受け入れさせられたではなく、これからどう国体を正常化しなくてはならないかが重要な課題なのです。

歴史の真実を知りたくありませんか、いや、知らなくてはなりません。

2013/1/15(火)

大晦日のプリンシプルは充実のもとに終わり、今年のスタートは大変爽快でした。
内容は「武士道」でしたが、その歴史と真実を追求し、消されてしまったわが国の思想を少しでも体験して頂けたかと思います。
日本の思想は素晴らしいでしょ。
我が国は受入れと融合の国です。
約千年の武士思想はあらゆるものを、融合させながら育ってきました。
他の思想も尊敬し、胸を張って武士思想を刻み込んでください。
掣圏真陰流生理学と共に、不動心を得た絶対的人格が備わります。

先進国で唯一スパイ防止法案が無く、グローバルの名の基に乗っ取られる日本、今一度立ち上がりその基本を作り直してから、グローバルを推進して行かなくては大変なことになるでしょう。
詳細は次回のプリンシプルでさらに集中して行きたいと思います。


武士道というと、戦後、私達が暗示されているのは、新渡戸先生の「武士道」ですが、実は明治41年に日本語版が発刊された際、こんなのは武士道ではないと、数々の論評がなされました。
外国に日本の道徳を紹介するものとしては素晴らしい本なのですが、当時はその意志が解りませんでした。
当然、武士道本来の姿ではありません。
本筋の武士道も伝えられ続けましたが、明治、大正、昭和前期に国体の堅持に使用された武士道と共に消され、現代では新渡戸武士道が武士道の主体だと思われています。
新渡戸先生の「武士道」は、我が国の道徳を紹介するために書された本ですから、武士道に興味がある今の人達が「これが武士道か」と瞑想にふけっていると負けてしまいます。
道徳として紹介されたのですから、子供達の教育には大変良いものでしょう。

よくハングリー精神が強いといいますが、本来の武士道は比較にならない強さがあり、世界にも例の無い思想なのです。
日本が強かった時代の原動力であることには違いありません。
要するに本来の武士道は、戦後消されているのです。

「武士道というは死ぬこととみつけたり」の「葉隠」武士道も、様々な解釈で、平和ボケした戦後では、その後に続く文面で、「常中死に身にいたりては、武道に自由を得、一生落度無く家職をしおおすべきなり」とあるものですから、「本当は死ぬことではなく、生きるためにあるのですよ」と私も体良く使います。
しかし山本常朝が描いていた「武道」や「家職」とは、今の我々とは次元の違うもので、意味が180度変わります。
だからと言って「武士道には切腹があり、死を懸けているから強いのだ」という解釈ではありません。
切腹が誉と根付いたのは秀吉の時代からです。

武士道の本来の姿は、それ以前から存在します。時代を経て道徳化されますが、武の国ではそれなりの解釈がなされ、独特の世界観が国体を造ってきました。

これらの思想とはどういうものなのでしょう、知りたくありませんか?
いや、知らなくてはなりません。
と、やったのが、前回のプリンシプルでしたが、次回はさらに詳しく、武士道の思想をテーマにして行きたいと思います。

原理主義・フリー主義・精神術・武士道 と、テーマを決めてプリンシプルは行って来ましたが、皆さんのリクエストはありますか?

次回は三月三日 大規模な講演スタイルで行いたいと思います。

私はタイガーマスクですが、人生の大半は武道を造ることを決意してきた武道家です。

プロレスの方はストロングスタイルと選手の人格を重んじた団体、リアルジャパンプロレスを行っています。
プロレスとファンの方々の恩返しと思い主催していますが、どんなに素晴らしく包まれたカステラでも、中身が美味くなければすぐ見破られてしまいます。
味も色々あるでしょう、甘いだけでスカスカしたものとか、本格的に美味しいのとでは意味が違います。
リアルでは新弟子を募集します。
私が育てるのですから、本格的な武道と総合格闘技とストロングスタイルプロレスを兼ね備えた、敷居の高い超エリートを育てたいのです。
寮も備えます。
どんな覚悟を持ってどんな人間が来るのか、皆さんも注目してください。

NPO法人 危機管理能力開発機構
理事
佐山サトル

2012/12/19(水) プリンシプル20121231 予告

さて今年最後で最大のイベント「プリンシプル」は、明日の日本を再生させるに相応 しい年末の大晦日に行います。

場所は本郷の「興義館」(神楽坂は年末お休みのため)前に来たことのある人には、かなりリニューアルされているのに驚くと思います。
道場というよりもセミナールームという感じになっています。

今回の題名は、そのもの「武士道」です。

武士道とは何か?

貴方はこの国に暮らし、その実体も知らないとしたら・・・・・
戦後消された日本とは何かを知る上でも、絶対にかかせない勉強会です。
決して学校では教えてくれません。

いったい我が国の普遍的精神とはどうなっているのでしょうか?
未曽有の大震災にもかかわらず、大きな暴動や略奪もおこらず、領土を侵略されよう とも、国民が拉致をされても騒がず、冷静に見守り、時の経過を正しく判断できる国 民。
いつも街は清潔で安全、礼儀正しく、財布を落としても戻ってくる国。

関係ありませんが、この文化体制を崩そうとする害文化と乗せられる輩を、私は我慢 出来ないのです。

勿論、世界的にみて相容れる良い文化は有り、大切ですよね。
反対にそういう人からみても、うらやましがられるのが日本だったのです。

武士道という概念が具体的に言葉として表れたのは明治からですが、武士が道を究め る過程はどの様に進化し、私達に影響を与えているのでしょうか?
その答えが大晦日に出ます。

貴方にとっては物凄く大切な日となるでしょう。

そもそも武士の概念は戦闘者の規範という所でしょうか。
縄文から弥生古墳時代、平安、室町、鎌倉、戦国、江戸、明治、大正、昭和

服従階層から支配階級へ移行し、平穏な時代に宗教の規範のように、原理主義の「教 え」の精神が染み付いていく姿。

神道 儒教 仏教 朱子学 陽明学 古学 国学 士道 様々な教えが広がって行き ました。

戦後消された思想とは何か?

山鹿素行とは何者か? 本居宣長とは? 吉田松陰とは?

最後に世界の実体とは何か?

それに対して、新生武士道はどうあるべきか?

日本はどこへ行くべきか?

紅白や格闘技を見ている場合ではありませんよ。

貴方にとって何が大切なのでしょう。

一緒に年越しそばを食べて武士の魂を共有しましょう。

「女性も大歓迎です」と平井社長から!

2012/10/19(金) 次回、プリンシプルは10月28日(日曜日)

強さとは何か?
不動人格とは何か?
武道が求める最も重要なテーマです。
掣圏は最新科学と、武士道の精神的特色が融合したもので、精神に強力な鎧と、行動としての集中力が身に着く、最新にして最高の精神術です。

前々々回のプリンシプルは、世界のフリー主義の実態と日本の影響

前々回は、世界の原理主義の実態 前回は精神術

今回は実戦精神術です。

そもそも強さとは何でしょうか?
結論を先に言えば、「強さとは心的距離を制する最上の心的状態」です。
人は意識がある以上、圧力を受けやすいものです。
重圧や変調となって表れる人もいます。
圧力に対して心のリセット癖をつけるのです。
精神分析学から大脳生理学や催眠、NLP等を、武道の観点で取り組みました。
人の無意識の多くを支配する普遍的無意識(群れ土着意識)から、歴史や人としての教えやリーダー学を、心的距離として構築してきたのです。
医学が科学処方をするなら、精神武道とは心に鎧をつけるようなものです。
掣圏による心の鎧とは固いものではなく、柔らかく何でも吸収するフィルターのようなもので、心の圧力を消しさります。
何事にもヒビかない心、無意識レベルまでの「不動心」が強さの基本となり、その先に真の集中が現れます。
現代科学でいう、ミッドアルファーの中の集中波という状況で、距離を制したことになるのです。
特色はどの状態でもこの波動にいられるか
戦闘者だけではなく一般の方々にこの手法が使えたら、どうなるでしょう?

28日は充分堪能してください。

掣圏真陰流 総監
佐山サトル

2012/09/02(日) 9月9日「プリンシプル」開催

次回9月9日のプリンシプルは、いよいよ掣圏の心臓部、精神術です。
現代武士道の実態です。
前々回では世界のフリー主義の実態を、前回は原理主義の実態を講義しました。
今回は様々な生き方の中で、世界にごまかされずに、自分をどこに置き、現代武士道とは何かを、掣圏理論とともに講義していきたいと思います。

「葉隠」が言う
”武士道というは死ぬこととみつけたり”
の基本理念、戦後、世界が消したかった、この精神構造の真実とは何か、現代に完全復活させて、新価値観を日本中に広めて生きたいと思います。
どこまで佐山はやるのか!しっかりと現実を見つめて下さい。

一見、切腹でも復活させるのかと思われそうですが違います。
”死ぬ”ではなく、”死”の基底から生まれてくる不動波の事です。

圏を制する掣圏の特徴は、自己の内観を支配する脳波波動をコントロールすることです。
催眠術ではない、掣圏の催眠とは何かをよく解るはずです。

精神術からみたキリスト教のラブアルファー波に対し、武士道ではデスアルファー波を構築します。
愛の基底と死の基底の違いで、両者の波形は異なっていても、精神規範で共通しているのです。

何を言っているかまだ分からないはずですが、9日に来た方々は全員、目を輝かせ、復活日本を実感するでしょう。

フリー主義の行き過ぎで、それらを無くそうとしている日本。
フリー主義のトリックは前々回説明しました。
原理主義に走りすぎてもダメな事を前回で説明しました。

今必要なのは良識ある、武士道の姿なのです。
これがわかると貴方は絶対に掣圏を学びたくなるはずです。

政治で変えることは出来ません。
橋下市長や安倍元総理、榛葉議員がやろうとしても、目に見えるところ、見えないところ、国内外から、必ず妨害が入る構造の日本です。

ならば、ならば底辺から押し広めようではありませんか。
各地にリーダーを、或いはこれからのリーダーを造って行こうではありませんか。
皆さんの気づきがこの国を変えるのです。

掣圏真陰流 総監
佐山サトル

2012/07/21(土) 7月29日「プリンシプル」開催

次回7月29日 佐山サトル特別講演会「プリンシプル」

世界最強 武士道精神術

2012/07/17(火) 特殊武道 掣圏

格闘技人生の中で、既に二十年以上も前に、技術の追及は完了していた。
武道に目覚め、至高の意思をもって創始して来たが、その大半は精神の追及のみに徹している。
武道の真実は精神力であるからだ。
他のものとは比べ物にならない。
日本の精神基底をも、左右させるものだからである。

競技は人間形成に伴う手段の一つに過ぎません。
義や礼儀を重んじ人格を構築するものでなければ、形だけのものになってしまいます。
大事なのは、その武道が持つ原理を学ぶことです。

『掣圏』の精神術は、世界でも類を見ないものでしょう。
心を科学し自己精神に深く眠る活力の源、歴史を紐解き、「こう生きなさい(原理原則)」を不動心に紐解き、原理を導き出したスーパー武道なのです。

「仁」や「義」を信じた心は原理となり、いついかなる時にも、弱化に響かない不動の心となります。
また武道として精神術を学ぶことにより、不動を生かせるようになります。
どこへ行こうと生理的に堂々としていられるのです。

日本武士道の叡智と歴史を基に創造し、史上最高の精神武道として、高いメソッドが構築されたものが『掣圏』です。

原理原則

世界が啓蒙して来た中、封建性や差別観念は淘汰され、今、新しい観念の中「こう生きなさい」という原則は絶対必要なものです。
武道は宗教ではありません、不動心の軸を造るものです。
道幸氏との「リアル不動心セミナー」では、その一部を垣間見た方々に、ここまで実戦的なのかという意見をいただきます。
強い心を身につけるには、男女、大人子供に関係なく万人が学べ、自己人格を得るでしょう。
心の強さは、温和な優しさを意味する生理的な許容範囲が、どこまでも広いことなのです。
武道の本質です。

神経強化法

私達は連想の連鎖から、瞬時に、思いや、感情や、情動を湧き出させる神経体です。
自己にしまわれている連想によって心は連鎖し反応するのです。
弱さとは、ネガティブに導かれる反応体質?
強さとは、ポジティブに導かれる反応体質?

ポジティブに反応する者でも、弱さは簡単に表れ、また、その逆もあります。

弱さはプレッシャーや不安に対する神経の反射であり、人(神経体)がプレッシャーに追い込まれるのは、神経過敏な自律神経の不安定な精神状態にあるからです。

では何があっても不動心を得るには?
優雅な不動人格を構築する。
生理的訓練をする(自律神経訓練)。
強制施術(自己暗示)をする。
簡単なことです。

無意識に眠る大きな領域に、自己が持つ「普遍的無意識」があります。
育った環境の自己形成ですが、弱さにヒビかないように、常にホメオシタシスが働いています。
自己我欲の正統な分野となって、群れ意識を造り出しているのです。

神経が反応するのは自律神経です。
シュルツ博士の自律神経強化法というのが有名ですが、禅や瞑想と同じ効果です。
禅では無の状態、瞑想ではトランス状態となります。
実際に導くには経験が必要ですが、シュルツ式は西洋の禅と言ってもよいでしょう。

博士は催眠状態になった状況を反対に運動させて、自己催眠法を考案しました。
逆に言えば催眠というのは、強烈な自律神経強化法であり、強烈な禅や瞑想なのです。

私が催眠を行うことはご存じでしょう。
それは催眠術ではなく、催眠法を独自に開発しているものなのです。
催眠法とは無意識の領域に作用させ、武道なら弱さにヒビかない整理的なコントロールをします。
その昔、命を賭す事に、侍が行っていた禅と同じものを、さらに変化させた革命的なものなのです。

普遍的無意識強化法(国)

伊達政宗は国のあり方について、自らの五常訓を用い、「仁」に過ぎれば柔らかくなり、「義」に過ぎれば固くなると説きました。
現代で解りやすく言えば、仁とは『フリー主義』、義とは「こう生きなさい」の『原理主義』でしょう。

日本が抱えている問題の根本に、精神基底が無くなったことがあります。
正義を語ってはならない、最低限のルールさえあれば良い?
これで世の中が、大きくフリーに傾いたのです。
原理無き『フリー主義』というものがそうさせているのです。

これが、先進国の思想だと思っている人が多いことが問題なのです。
世界の実態は原理あっての『フリー主義』です。

確かに原理は人を構築させるものですが、怖いものでもあります。
使い方を間違えると大変な事になります。
伊達政宗が言うように、両方のバランスが重要なのです。

武士道は「切腹」を原則にまでして、封建制を強固にしてきました。
「こう生きる」ために切腹があるのか、罰として切腹があるのか、いずれにせよ戦闘集団として、この原則を用いても封建制が強くなるだけで、国としては弱化へ向かった時代もありました。

現代は戦間期です。
明治から昭和中期は戦闘期であり冷戦期でもありました。
戦間期に生きる我々は原則を間違えてはなりません。
自由と民主主義の中、バランスを保ちながら生きなくてはならないのです。

全ての宗教に共通するゴールドルールというものがあります。
人に迷惑をかけないという原則です。
それでもなぜ戦争をするのでしょうか?

未熟な普遍的意識のぶつかり合いだからです。
これは宗教に限ったものではありません。

経済的な戦略も政治的な戦略もあるでしょう。
世界の連鎖関係はどう動くかわかりません。
柔らかすぎて何も出来なくなった主義国家でも、他に攻められれば戦うしかない場合もあります。
戦争のことだけではありません。

日本は外交に弱い?当然の事なのです。
戦争は外交交渉での最終手段ですが、国民意識と体制が無ければ、全ての事前交渉で負ける事になるのです。

政治が悪い?
私を含め大衆が悪いのです。
陽明学では、大衆は普段の生活が大変で、大観的には愚衆であるとします。
批判する前に、あの政党を選んだのは誰なのでしょうか?
それを導いたのは何の勢力だったのでしょうか?
大衆操作に媚びない情報が必要なのです。
これを読める人が本当のエリートという人達で、国を動かす人なのです。
動かさなくてもいいですから、味方くらいになってはいかがでしょう。

後に、歴史改ざんされる満州事変での弱腰外交と、情報操作によって導かれた日中戦争。
導かれた大東亜戦争。
何を学び何を将来に向かって行わなくてならないか、答えは出ています。

我々は真実をつかみ、把握しなくては将来がありません。
広く世界に視野を広げるのです。

今の東アジアは、世界でも三番か四番目に危ない地域だと知っている日本人は、どの位いるでしょうか?

自由は大切な宝物ですが、過ぎれば柔らかくもなり弱くもなります。

では強さとは何でしょうか?

ブレないことです。

何があっても生理的に動じず、広く視野を持てる精神状況。
視野が狭まればブレて、他に何も思考できず、身体も心も縮み、状況打破も行動もできなくなる。
大切なのは不動心なのです。
国家もそうなるべきです。

強さの中に優しさが住居する姿に、徳を持つ者となる者を育てるのです。
「最低限のルールさえあれば」では出来ない人間形成なのです。

私はこれが陽明学だと思うし、国に置き換えてみると面白いでしょう。

何故日本だけが、フリー思想となって押しつけられたのか。

戦後、宗教や思想、武勇を誇る劇や歌まで検疫を受け、戦前に欧米を非難した本は、ことごとく焚書にされ歴史も消されました。
武道や相撲をはじめ、武勇を誇るものも全てが禁止にされ、民主主義を普及させると称し、フリー思想を植え付けられていきました。

昭和20年の戦後から、サンフランシスコ講和条約が施行される、昭和27年4月28日までの約6年半に、何が行われ50年代までにどのような教育を受けたかを知り、呪縛を取らなくては国が滅びるのは目に見えています。

日本は世界と違う、特殊な国と見られています。
壊れた自動販売機とも言われ、叩けばいくらでも金が出てくると思われているのです。こんな国は世界でもありません。

世界は日本が目覚めるのが怖いのです。
戦争ではありません。一つの正当なる国家としてです。
日本こそが眠れる獅子なのです。

ただし、バランスをとっての事です。

戦後の日本には、プロレタリア思想に育まれた平等主義と、同じ思想で東から米国に渡った思想とが、混合して持ち込まれて来ていたのです。
これが終戦時GHQの正体であり、このことを知る日本人はあまりいません。
民主主義を与えると称しながら、フリー思想派が東西から日本に来ていたのです。

彼等は儒教など「こう生きなさい」を徹底的に嫌いました。
「正義はこうだ」を敵対視するのです。
平等を与えるではなく、彼らの思想だったのです。
正義を語ったから戦争になった?正義があるから差別が起こる?正義があるからキレる?
しかしそれは世界の思想ではありません。
私が見たキリスト教徒は、悪さをしたら子供でも叩いていました。

質実剛健 男は男らしく、女は女らしくもダメだというのです。
例えば、女らしい男や、男らしい女がいてもいいじゃないかとします。
型にはめての差別をしてはならない、というのです。

生理的に男女の区別において、様々な体質があるのは当然で、差別するのはもってのほかですが、彼らの思想の目的は違うところにありました。
それは社会的環境がそうさせた、原点は全ての差別撤廃なのです。

プロレタリア革命の原型であるボルシェビキやメインシェビキは、原理主義が固まっていた当時の価値観から、世の中を啓蒙させるには、脅威の革命でした。

ちなみに、日露戦争でロシア帝国と戦った日本は、密かにその革命軍を応援して、正規軍を東に集結させない作戦をとりました。
彼らは自由平等博愛を社会化現象にまでして、社会を変えようとしたのです。

世界がその価値観に達した後、それがどう国に影響を及ぼすかまでは、考えられなかったは当然でしょう。

対し、キリスト教などの原理主義者の人々は、自由平等博愛は啓蒙しても、今でも人としての「らしさ」を取ることを一切認めません。

アメリカでキリスト教原理主義者は約四千万人、福音派を含め、他の宗教者は全人口の86%。
米国でフリー主義をかかげ、奇抜な格好をして、反戦や同性愛を謳うデモを、日本のテレビで見かけたことがあると思いますが、実際には、無宗教者はわずか十六パーセントに過ぎないのです。

一方、原理主義団体によるデモはそれ以上に凄く、反同性愛や堕胎にも反対していて、ちゃんとした服装で行進するデモがあります。

日本のマスコミと言えば?
前者を強調し、個人思想として世界はこう動いていると錯覚させています。
何の力が働いているのでしょうか?
いかに我々がコントロールされているかがわかります。

ロシア革命を成功させた、共産党の前身ボルシャビキやメインシェビキでは、全てを平等とする偉大な改革でした。
差別思想甚だしい帝国主義全盛の時代には優れたものだったのです。
その前にフランス革命を成し遂げたのも、同じ原点のルソーの思想です。

宗教はいらない、男女の格差もいらない、家族構成や習慣さえいらない、母親は父親の奴隷ではない。家事も男がやるべきだというものです。

ロシア革命を成功させたルカーチはハンガリーに帰り、当時のキリスト教規範の厳しい中、女子高生達に性の解放まで行いました。

いったいどこからその思想は来ているのでしょうか?
若狭先生の本を見ればすぐに解ります。

現代日本に流れる潮流とは何か?
何がこの国を動かしているのか?
もちろん我々はつかんでいます。

では、『フリー主義』と『原理主義』の間は無いのか?
あります。
フランス革命以降、キリスト教などの啓蒙思想は中道に移行して来ました。

彼等は毎週日曜日に教会へ行き、御祈りの後、説教を受け、挨拶の仕方や人を助けることや、殺してはならない、犯してはならない、盗んではならない等の教義を受け、きちんとした精神基底を持っていました。
フランス革命、南北戦争、大東亜戦争、公民権運動などを経て、その中で啓蒙してきたのです。

平和ボケした現代日本人は、自分達を中道だと思い込んでいますが、実態は精神基底を無くし、フリーを謳う民族なのです。
そう導かれ信じているのです。
悪い国ではありません。
最低のマナーさえあれば自由なのだというフリー思想から、精神基底を取り戻しましょう。
そしてバランスを大切にしましょう。

性悪説の一神教は、神を最上に置き、全ての民はその下に平等であり横社会となる仕組みです。
一方、性善説の我々は社会が人を造る構造です。
人間社会がしっかりして、縦に構造しなければ崩れてしまいます。
ただし、下の者が上の者を敬い過ぎるのは、本当の儒教の思想ではありません。
上の者が下の者を敬い育てて行くのです。
反対なのです。
これに対し、下の者は上を尊敬するのです。

日本は神を信じず、教義を受けていないにも関わらず、一神教を真似て横社会をふるまいます。
「こう生きなさい」がなくなり、「最低限のマナーさえあれば」では、構成が出来るわけがないのです。
いじめ?モンスターペアレンツ?上層階級の不良?
社会が崩れるのは当然です。

現在、世界は『フリー主義』と『原理主義』の狭間にあります。
65億分の1億を支え生きていく哲学を、いったいどれくらいの占領政策を受けた日本人が、理解しているのでしょうか?
昭和30年代、40年代の教育を受けた、今の50代60代の人が影響された教育は、戦勝国が押し付けた占領政策による歴史観と、それに伴い同調された思想なのです。

新しい歴史観は全く変わっているのに、そのことを知らないこの人達が、必死で論じる戦争史観と、フリー主義思想の姿は滑稽に映り、一刻も早く呪縛を取り払わなくならないと思うのは私だけでしょうか?

武士道とは何か?を突き詰めることは至難の業です。
明治に新渡戸が書したように、武士道はそれ以来無くなったのでしょうか?

武士軍団が巨大化するにつれ、その軍事態勢を堅持するために、規律を造り上下関係を重んじ、様々なルールが生まれて来ました。
ようするに、我が国の軍事文化となったのです。

朝廷があったおかげで、無頼のバイキングのような主義は生まれませんでした。

軍事政権はその体制を守るために法を整え、江戸に入ると朱子学を用い確固なものにして、一般の規範にも浸透させて来ました。

朱子学とは「格物窮理(カクブツキュウリ)」として、それぞれの事物には各自の「理」(真理を形成するもの) がそなわっているとするものです。
「理を窮めるには、自分の心の理を窮めることともに、事物の理も窮めることである」と説くものです。

封建制の確立と、それに伴う処罰が体制側にも厳しく行われ、世の太平を維持させるには、もってこいの物だったでしょう。

しかし元々儒教の思想はそれとは違います。
儒学の基本「五常の徳」は、徳をもって国を治めるという、当時のリベラルかつ原理思想です。

孔子は「仁」と「礼」を説き、孟子が「仁義礼智」の四つを説き、さらに漢の董仲舒がこれに信を加え、「五常」を確立しました。
宋の時代に確立された朱子学は儒学の一派ですが、儒学本来の思想とは全く異なったものだったのです。

これに対し、真理は人の中にあると、真っ向から対立したのが陽明学です。

これらは一神教の規範にも共通する原理主義的なものとも共通し、武士道を通じて性善説である我々の基底に染み込んでくるものです。

現代においての武士道とは何を意味するのか

強さの事ではありません。
人として社会を生き、その普遍性が他の国にも対等かつ、相互に尊敬しあえる精神基底のことです。

勿論、現代に生きる以上、その昔、武士政権を堅持するために、封建制に固められた朱子学一変等の思想ではありません。

義に優れ、揺るがず、礼儀正しく、人として優雅、人間として勇者、社会人として行動の、ゼネラリストを造る事が、私の松下村塾の使命であると考えます。

歴史を紐解き、武士道の真実を解き明かし、武士が生まれた経緯や、その後どう変化したかを見聞するだけではなく、現代社会に適応する人間を造るのです。

そもそも日本という国家や民族とは、どう生まれ育って来たかを探らなくては、最高のものは出来ません。

王権を崇め、仏教を取り入れ、儒教や朱子学を学び、フリー主義を取り入れ、迷いに迷う現代日本。

精神基底とはどうあるべきか?
武道はどこへ進むべきなのか?

事物の全てを網羅してから、未来へ繋がる自由民主国家の確率へ導く、武道を造(創?)らなくてはならないと思考します。
佐山聡として、史上にも類のない完璧なものを仕上げなければ、過去と未来で歴史への責任を果たせません。

私の本心です。

2012/05/09(水) 巌流島

この度の巌流島400年イベントは、奇跡としか言いようのない大会でした。

経緯は一昨年、私の高校時代の同級生が、北九州行橋市のラジオ番組で、藤波さんから巌流島で試合を行いたいと言われたのがきっかけです。
さっそく下関で実行委員会が組織されます。

地元の有志が結成されたのですが、実行委員長は、私の父が勤めていた会社の二代目の会長でした。
何と、当時私がプロレスラーになろうとする時に、父から相談されていたという話を初めて聞き、何という運命だと感じてしまいました。
話は下関市長に届き、どうせやるならこの400年際に合わせてやろうということになって行きます。

それからまもなく、あの大震災です。

新間さんの発案で、まず宮古に絞って助けにいこう、ということになりました。
宮古といえば、私の兄弟弟子である藤原敏男さんの出身地です。
俺も連れて行けということになり、キックとプロレスの合同チャリティー大会を宮古で行うことになります。

チャリティー試合の前に、下関に帰郷し市長に挨拶をすると、市長から思いがけない言葉を聞きます。
「下関と宮古は、防災協定都市だよ」というのです。
これまた運命、宮古でのチャリティーを終え、今度は巌流島の大会に初代タイガーマスク基金から、子供たちを招待しようと新間さんが発案します。

それからは両市がこぞって宣伝をしてくれて、巌流島大会は大変なことになっていきました。
藤波さん、長州さん、私がそれぞれ巌流島の観光大使に任命され、藤原先生は宮古市の観光大使に任命されます。
私が帰る毎にマスコミの方々が押し寄せてくれ、6時代のニュースで流してくれます。
地元NHKの番組で取り上げてくれた後、これが大反響になり、大会後は長州さんと私のドキュメンタリーが放映されました。
また、これもあまりにも反響が凄いので、急遽同じ日に再放送されたくらいです。

そして17日は全国ネットで放映されることになりました。
是非みなさんも巌流島の奇跡を見てください。
本当に実行委員会の人たちには足を向けて寝れません。

2012/02/22(水) 実感「驚異の復活」

先日、最新の医療、幹細胞治療の二度目の投与を受けてきました。
前回の一回目は静脈点滴で全身にまわすものでしたが、今回は膝の内側靭帯に直接投与してもらいました。

宣伝や大げさに言っているのではありません、驚異です!

投与して30分から一時間で、正座が楽に出来るようになっていました。
正直、投与前の麻酔のせいかなとも思っていたのですが、一日たっても二週間たった今もその効果は同じです。
靭帯特有の膝のぐらつき感も、あまりしなくなっています。
つまり内側靭帯がくっついた?

次回は、前十字靱帯も後十字靱帯にも、投与してもらおうと思いますが、膝の中側にあるため、大変むずかしい施術なのかもしれません。

前回は私自身の幹細胞120万個を、一億四千万個まで培養し、静脈から全身に投与したので、直接膝には投与しませんでした。
胸あたりがすっきりし、やる気がでて、気力でスクワットは出来ても、膝は完全ではありませんでした。
治ったと思っていたのは、スクワットで筋肉カバーしていたのですね。

今回は違うのです。
筋肉でカバーしていると幹細胞治療を実感しないと思い、三週間前から一切スクワットをやらず、わざと一番調子の悪いまま治療してもらいました。
体は実感で一回目の10倍効いている感じがします。膝の内側は完治している感があります。
二週間たった今もスクワットはしていません、明日から行います。
先生に聞くと、二回目以降はそういうものらしいです。

道幸さんとの30時間セミナーも絶好調でしたし、巌流島も楽しみでしょうがありません!
今の私は、何もかも度外視して、真武道の追及をしているのですが、このスーパーパワーが凄い味方となるでしょう。
頭もすっきりした感があります。本当に凄い!

世の中のためにやれること。(2月23日 3月11日 5月5日)
プロレスの復興。(ストロングスタイルの出来る選手の育成)
新武道の創世。(世界最高峰の精神性)

幹細胞が私を強く復活させてくれます。本当に10年若返った感じがします。
もう一回やると20年かな?
本当に凄い最新医療!
復活した場合どんなタイガーマスクを期待しますか?

2012/01/03(火) 明けましておめでとうございます。

元旦は上杉謙信公の林泉寺にお参りに行き、謙信公の毘沙門天に祈祷してもらいました。

そもそも私が新生武士道を唱えるのは、未来日本の理想的な姿を構築するための大義です。
「第一義」を唱えた謙信公は、私の霊的感とでもいうものにはまったのです。
それが導かれたように、ここまで来てしまいました。何かがあるように思えてなりません。

林泉寺さんにある毘沙門天像は、実際に謙信公が祈祷していたものと同じ形で、実寸よりかなり大きく拡大されたものです。
昨年末に入魂され、私が第一号の御祈祷をしてもらいました。
これが謙信公が実際に祈っていた毘沙門天と同じ姿かと感激します。
ご住職の言うとおり、毘沙門天の名において、責任を持って国を守ろうと思います。
2012は毘沙門天の化身となり、国と人を構築して行きます。

基本

精神的な強さを求める武道が何故、礼儀礼節を重んじるのでしょうか。
強さと礼儀礼節とは何が関係あるのでしょうか?

そもそも強さの定義が解からなければ、強さは構成されません。
強さとは普遍的の無意識から発せられる、心の座った姿です。
そこから発せられる行動学こそが強さなのです。発せられる基盤がなくては何もなりません。
ハングリー精神から来る強さもありますが、それらは達成と共に萎えていきます。

普遍的無意識の大なるものは文化であり、その芯にあるものは義であるべきで、その周りに付くものが志となります。
文化を無くし義を無くすとは、腑抜けとなるだけです。
日本が外圧に弱いというのは、自立文化が疲弊して壊れているからです。

西欧の横の社会という亡霊や、反一神教の勢力による過平等姿勢の影響から、わが国はまったくおかしな論理で、閉塞感がただようよう国になって自信を無くしてしまいました。
諸外国の軽い礼儀や非礼節的な場面がメディアで流れ、日本人の若者に信じ込まされています。

例えば、NBAやアメリカの州によっては、ズボンを下げて歩くことは、すでに禁止にされています。
日本の若者はあれがファッションだと勘違いしてしまうのです。

メディアリテラシー(メディアを正しく見れる力)はその重要な防御策です。
世界の本音と建前社会(人種や宗教や地政学)を知らなくてはなりません。
真の民主主義を知らなくてはなりません。

侍の前身である武士は、バサラ者と呼ばれる無頼を誇った時代がありました。
貴族にさぶらう時代の到来に、荘園公領などを守る武士軍団となるにつれ、文武両道という風習が根付き始めたのです。
鎌倉時代に入ると、領地の民を守る時代がやってきました。
古今東西、無秩序、礼の無い世界が、崩壊しないのを見たことがありません。
さぶらった時代の秩序が、武士道となってからも永遠に生き続けたのです。

ただし礼儀礼節が武士道の誇りでもありますが、それらを重んじ過ぎるにあたり、諂(へつら)うような人格になってはいけません。
あくまで礼は自己を表すペルソナ的姿勢であり、自己の誇りと相手への敬意なのです。

多くの人が言う言葉ですが、
「日本人に欠けているものは哲学」であると言われています。
我が国の千年にも及ぶ精神基底を消されたことが、今の日本が負け続ける最大の要因であることは間違いありません。

諂うとは原理や哲学を無くされた礼儀礼節の姿なのです。
重んじれば重んじる程、自覚や自立を忘れて、ただの良い子になるだけです。

私たちに埋め込まれた精神基底の一つ朱子学は、格物窮理(かくぶつきゅうり)として、事物を突き詰めるものです。
逆に、陽明学は格物至知(かくぶつちち)として、人間の徳をつみ、真のリーダーとなる資質を得るものです。
孫子の兵法や、武蔵の太分の兵法は、リーダー人格がなければ、ただの姑息な戦法になるだけです。

ここに現代日本のジレンマがあるのです。
兵法を学んでも先見的人格がないのでは、組織戦は成り立ちません。
皆さんの周りにもいませんか?小手先の仕事はこなしても、先見性や行動性が無い人。今で言う企画性の無い人。

平和ボケ金だけ主義が、国を破綻させてきた要因であることに、気がつかなければ大変なことなのです。
義と不動心を持つ者が、これからの日本には必要です。

江戸時代も百年たった頃、朱子学は封建制度として人々を平定させ、その後二百年以上も幕府を安定させました。
かくして事物を突き詰める格物窮理は大成し、日本独特の職人芸は今も我が国の誇りとなっています。
逆に独立性が無くなってしまい、先見性に対処が出来ないところに弱点があるのです。
政治への関心はまったく関与させられず、各専門分野は究極に発達した職人芸となったということです。

私が武士道と言うと、封建制や縦社会を意味すると誤解している人がいると思いますが、まったくそんなレベルではありません。
自立性を主旨とするもので、人間として徳を積んだ先行的不動人格者の育成なのです。
諂い精神を脱却するには、精神科学と各学識が必要不可欠です。
真の歴史を学び、世界を知り、五輪書で兵法(武道の基本観点)を理解し、儒教や陽明学と対峙する朱子学をも学び、孫子の兵法を網羅し、精神学(戦闘生理学)を造り上げ、佐山武道は構成されています。

私が催眠を行うと言うと、誤解する人も多いのが日本の現状ですが、いわゆるテレビで見るような催眠術とは違います。
催眠には能動的催眠と受動的催眠があります。
犬になったり、ワサビが食べれたり、色々な行動をするショー催眠は、前者の能動的催眠です。
禅や瞑想などは受動的催眠の一種で、心の内部(自律神経)に影響させるものです。
士禅ではそれらを、より科学誘導させているだけなのです。

禅や瞑想では、無になったり、宇宙へ行ったりするものですが、士禅ではあらゆることが、心的変化で起こります。
個人的なセラピーではその人に合わせた、さらなる受動暗示を行います。
能動的ではなく、NLPほど浅い深度ではないところで行う、受動催眠というところです。

掣圏真陰流の居合は、集中力が高まったところで行うのですが、最高の集中状態で刀を抜き、人生での不動心に置き換えます。
人を切るための居合ではなく、不動心を構築するためのものなのです。

武道の基本である不動心は、「識」見識的なものと、「技」生理的なものと、「義」自己が信じる原理から生まれるものです。
見識とは知識からさらに確立するもので、実はさらにその奥の、胆識という所まで固める必要があります。
識はさらに深く細かく分け、以下の知識を見識から胆識に植え付け、自信と不動心を身につけます。

1 人情の識
感情と知性の調和

2 物理の識
物事の現象に対応する理を知る

3 自体の識
現象の本質を見抜く

4 事勢の識
物事が変化するエネルギーを把握し、変化を読み取る思考

5 事変の識
変化するエネルギーがどの方向に向かうかをとらえる先見力

6 精細の識
事勢と事変のエネルギーの動きを詳しく把握し、部分を精査する能力

7 濶大の識
全体を見通し決断する力

世界観や歴史観や、各学識や精神科学が必要なのです。
真の武道は世界を知り誇れる東洋哲学の姿です。
精神で強くなりましょう。独立性を持ち、真のリーダーになるのです。
それが哲学を持ち、世界に対抗できる国となる礎なのです。

武士道とは様々な定義がありますが、佐山武士道は歴史が判断するものと思います。
道幸さんとの不動心セミナーは、その実戦性に大変なことになっているようですが、さらに邁進して行きます。

これを書いている直江津のホテルで、藤原先生から真樹先生の悲報が入って来ました。
ご冥福をお祈りいたします。