最新情報 2008年1月

2008/1/31(木)

虎視眈々、虎は牙を隠し続けています。
真の武道を練りに練って、炎を燃やし続けているというのが私の真の姿です。
その目的は30年前から変わりません。
確かに理想は高いところにあり、中々一般には伝わりにくいと思います。
よく「これほどまでか!」と言われますが、精神学と武道に何が関係あるのか、私の周りでさえ理解できない者もいるくらいです。
私の場合、完全を造り上げなければならないという使命感が義になっていて、説明する余裕よりも進歩を選んでいるのが現状です。
どうかファンの方々には、そこを読み取ってください。

世界に義の宗教があるのなら、我が国には武士道精神が基底となって染み込んでいます。
彼らが愛で構成されているなら、我々の基底は死です。
何も死になさいと言っているのではありません。
愛で助けるのと、助けなければ恥と感じる無意識構成の違いです。
恥は切腹という義で構成されて来たものですが、今の世の中に切腹とか死を薦めるものが、あって良いわけがありません。
先人の構築は恥の文明を与えてくれたのです。
宗教心の中、生きることの常識と厳しさと愛で知らされる者達が、子供たちを猫かわいがりしても、そこには精神基底という宗教があります。牧師さんたちの厳しい教えがあります。
何も基底の無いものが、猫かわいがりされ、自由・平等・博愛を実戦すると、無頼の輩か、家庭内暴力やニートや引きこもりが出るのは当たり前です。

なぜ心の分析と、私の精神武道「掣圏真陰流」があるのか分りますか?

恥の文明は、欧米の彼らに理解できないといいます。
そしてコミュニケーションがとれないともいいます。
しかしその真理は、自立していない恥が出ているからです。迷っているのです。
プリンシバルが執れて恥は開花します。
自立なくしてプリンシバルは生まれるわけがありません。
自身を持ちなさい、自立しなさい、堂々と恥を育てなさい。
我々の文化の先人は、そう私達に叫んでいるでしょう。

心ある「武の国」日本で、武道とは教会の役目です。
これからは死ではなく、恥を育てるための、生なる真理を生む武道を創るのです。
自信と恥の人格とは、不動心が形成された人物像です。
その高い形成を創るには、最新科学やありとあらゆる実戦を用いなければ、史上最高の武道とはなり得ません。
武道とスポーツは決定的に違います。精神と一体化する武道は、私が突き進まなくてはならない真の道なのです。

私が催眠をやることに、違和感を覚えるという人がいますか?
催眠は精神分析学の中で、過去フロイトがあきらめ、その後、エリクソンなどにより急激に発達し、世界ではこの20年で急速に認知されているものです。
私には低俗なレベルで世界に遅れている雑音に、遅れを取る時間はないのです。
論争は10年後にやりましょう。
それにしても既に何人の人を救っているか・・・

ただし催眠だけが掣圏真陰流の精神部ではありません。
総体的な一部でしかないのです。
生なる武の人格を構成し、不動心を養い、義の和平を維持する、武道精神術の一角にあるにすぎません。
掣圏真陰流においての人格は、不動心が育成された者の姿です。

不動心
武道が真意するこの言葉の意味は大変大きい。
単純に言えば「何事にもヒビかない」のが不動の心というものですが、安易に目指してもたどり着くものではありません。
意識からのみの意志は、かえって虚勢の真似事に過ぎず、芯から起こる本物の不動心ではないのです。

私は疑似不動心者をイヤというほど見ているし、それを無頼と勘違いしていたり、それすら意識に無い町人拝金主義だけの者をも、イヤ気がさすほど見ています。
もちろん売るためのみに先導する、義のないマスコミ(勿論そうでない物もありあます)に侵された戦後平和ボケ主義者達の弱さは言うに及びません。

強さとは無頼の姿や、暴力ではないのです。
恥と共に義を秘めた者の、行動の姿そのものです。
武士道の書が語るように、義は正義とか義理とか、ましてや男気などではありません。
構成された無からの当然。
無償(純粋無垢)の勇がわき起こる姿です。

感情は「怒り」「不安」「恐怖」「喜び」という、四つの要素で構成されており、人には情動があります。
感情の前には気分があり、さらにその前には雰囲気があります。
不動心とは、心がある対象にまったくヒビかないという状況ですが、果たして人は、そのような状況を作くれるでしょうか。

答えはYESです。

雰囲気とは自己が構成した一部始終の感覚、気分とは自己で構成した観念作用、感情とは自己が構成した意識の表れ、情動とはそれらが融合した心の動きです。
全てが構築されなくては、真の不動心は表れません。
義は正義となり、ゆるぎない集中が生まれます。

不動心とは集中である。
例えば自己をヒビかないと念じて、たとえそれが出来たとしても、ただボーっとしているだけです。
一方、集中とは周りの雑音や煩悩が入らず、目的に純粋に向かっているものです。

集中には、能動的注意と受動的注意があります。
前者が意識の「表れ」で、後者が無意識の「状況」です。
両者がつながり、真の不動心は生まれます。

大抵の大人は不良を見て怖がりますが、幼い子には分りません。
もしそこに義があれば、勇が生まれます。
大人がこの簡単なことを、単に行っても虚偽になるだけなのです。
ここに、心の分析から生まれた精神武道「掣圏真陰流」があるのです。

ところで今日は、無窮塾の幹部会議がありました。
米田先生は動き出します。
まったく次期の選挙は考えておりません。
憂える将来のための構築を、組織化するそうです。

色々な生の情報を聞きましたが、どうにかなりませんか日本。
私は何故か白州次郎さんが言っていたプリンシバルという言葉を、何度も唱えていました。

次回、無窮塾の一般講演は、三月二十二日(土曜日)になりました。
誰か聞いてみたい講演はありますか?

2008/1/27(日)

本日は白鵬の応援に、両国国技館に行ってきました。
升席の一番前での観戦は迫力がありますね。
前々から私の格闘技の目標は、相撲のような物といっているのですが、白鵬と朝青龍の取り組は、不動心と不動心の、ぶつかり合いが出ていて最高でした。
優勝祝勝会にもお邪魔し、帰りには友達の新年会のカラオケにつきあいました。
Wヘッターです。

ところで私がカラオケに行ったときに、必ず歌う歌という昨年からのクイズは「みなしごのバラード」です。
歌詞とメロディーが、当時のファンの子供たちとダブってしょうがありません。
しかし今日は一曲だけで、「千の風になって」を歌ってしまいました・・・

2008/1/17(木)

そうだ!自衛隊の月刊誌マモル3月号に私出ます。

2008/1/15(火)

新年から私はというと、栃木県の大田原で合宿をしています。
何と、来てみてびっくり、ここパインズは、キックボクシングのジムと、岩盤浴がある所でした。
去年、同じく栃木の小山のレッツ・ボクササイズ・クラブと全く同じパターン。
私はこのジムで生き返り、年末の試合をベストで乗り切った所です。
今回はトルコさんに、「いつ来るんだ」としつこく電話攻撃され、三日間くらいいて走り込み、残り三日間は小山で仕上げと思っていました。
一週間のスケジュールを全て空け、2月の試合と今年をベストにスタートダッシュしようとしているのです。

何せ、今年は年始から、松永先生の護摩祈祷を受け、科学密教の変性意識で、完全に私は毘沙門天の化身と化しています。
毘沙門天といえば上杉謙信、前身は長尾影虎、完全に虎です。
練習をやっていても、護摩祈祷の中に表れる毘沙門天の、鬼のような形相が表れます。
ただでさえ、私は虎であることを念頭におき、義に反する者には、虎が獲物を刈るように自分を置き変えておりました。
戦後の歴史を塗り変えられた社会へ、かなりの虎型テストストロンを使用してきました。

精神的なディベイトでは、義を無くそうとする日本の社会に、負けることはしません。
私に吠えられるヤツはロクな者はおらず、己の所行を負け犬のように省みず、佐山は切れるから危ないと宣伝している、ハイエナのような者もいるのには笑ってしまいます。

私は上杉謙信がだぶってしょうがありません。
謙信が密教と出会ったように、今、科学密教に出合い、松永先生に第九識と慈悲の観念を教わっています。
義と愛が何を変えるのか。
かつて山本常朝が禅を基底に、葉隠武士道を伝えたように、私は科学密教という、九識を構築する基底で武道を創ります。

2008/1/4(金)

年末の大掃除にあきたらず、興義館の部屋をいじくり回し、サグラダ・ファミリアのように、終わりのなさそうな仕事をしているようだ。
結果、納得のいく部屋が出来てきていると思います。

最大の要因は昨年末、業者に100万で作らせた(本当は私が、納得いくように催眠用に改造しました)特注の椅子をどうするかです。
催眠にはいくつかの導入法があって、最終的に深い催眠状態に持っていくのですが、良い催眠とは、被催眠者に対してリラックスを伴わせなくてはなりません。
深く入ればどこにいても同じではと思うでしょうが、環境と体勢が心地悪くては、その深さも妨げられてしまう可能性があります。
タイミング→変性意識→リラックス→暗示となって行くからです。

私はよくどこでも催眠をかけますが、その技術は第九識にあるのではと最近思います。
それにしても、被催眠者が最大限にリラックスできる環境が目的なのです。
今回、ビジネスクラスからファーストクラスに変わった椅子ですが、そこには大きな目的と秘密があるのです。

今年はある人と、2月10日までに95キロにする約束をしたため、さっそく合宿に入らなくてはなりません。
はやく部屋を終わらせてしまわなくてはならないのです。土・日で頑張ろう。

2008/1/1(月) 明けましておめでとうございます!

今年は元旦から化身と化したタイガーです。
何と、松永先生の元旦護摩祈祷に、岐阜県の養老まで来てしまいました。
毘沙門天の化身として無意識に観念付け、最良のトレーニングが出来た昨年の最終戦ですが、本日は毘沙門天を注入してくれる、護摩祈祷を受けたのでした。

先生の科学密教は私に大変分かりやすく、納得できるものです。
というより、すべての現代科学者にも受け入れられるでしょう。

本日は毘沙門天を、無意識のさらに奥の第九識に埋め込む作業を、していただいたのです。
この日のために、YNの中村氏へ道場に置くマスクを造っていただきました。
前の試合で使った、マスクの裏側へ毘沙門天の「毘」を入れたものではなく、表側の額の部分に「毘」を入れたもので、それを被って変性意識化し、マスクに毘沙門天を完全入魂していただきました。
今年から興義館では毘沙門天虎マスクが見守ります。

実はもう一つ入魂していただきました。
先生の護摩ライブというべきものは、音楽と炎が使われ、タイミングといい、言葉の言い方といい、千年も前から変性意識化させる術を使っていた密教は凄すぎると思いました。

最高の元旦でした。

2007/12/21(金) 毘沙門天の威力は強力だった。

今回の試合、第九識にのっとり、毘沙門天の化身となった威力は練習時から強力でした。

試合では松永先生にアドバイスをいただき、マスクの裏側に毘沙門天の「毘」を縫い付けていたのです。
YNの中村氏が私の「毘」と書いた紙を持ち帰り、何とそのまま字体をコピーし革にして、マスクを被る前、もっとも覚悟する時に見える所に付けてくれました。
毘沙門天を意識するのではなく、無意識のさらに深い第九識に変性意識で、化身と化させるのです。

今回、動きに自信を得た私は、このまま来年には体重を完全に落とすつもりです。
佐山サトル改造計画はスタートしています。
前回まで誰も信じていなかった(もしかして私でさえも)、完全タイガーマスク化は来年実現するでしょう。
私は毘沙門天の化身なのですから・・・。

とにかく脚は完璧です。
もちろんこれからも万全のケアをし、体を取り戻すつもりです。
あの速さが、身体と共に平行したらどうでしょう。さらにスタミナが上がったらどうでしょう。

次回3月13日は、今の状態をさらに上げ、体重を、特にお腹を絶対に絶対に絞り込みます。
2月10日までに、95キロとすることを毘沙門天と皆様に御誓い申し上げます。

来年が見えて来ました。
私に年末も年始もありません。
2月17日は京都で試合を行う予定ですので、良い前哨戦となるでしょう。
来年2008は、ストロングスタイルとタイガーマスクは復活をとげさせてもらいます。

2007/12/15(土)

意識と無意識を知り、さらにその奥の第九識を科学でイメージする。
それが科学密教の姿なのです。

私の第九識の存在は、求勝で常勝の神「毘沙門天」

おもしろすぎる。
無意識の奥に構築された存在は、無意識や意識や自我や五感も統一されるのです。
血肉湧き踊る、戦いの本能が鼓舞され、義のために激しさが無意識から勝手に噴出してくる。
上杉謙信が強いのは当たり前だとよく解かります。

松永先生にアドバイスをいただき、私の試合用のマスクの裏側には、被る際に最も覚悟する時、目にする所に、毘沙門天の「毘」を入れることになりました。
次回、私は完全に毘沙門天の化身となった、タイガーマスクとなります。
すでに練習からもう違います。
科学密教、凄すぎます。
二十日の試合の私のマスクには「毘」が入っています。

bushido.jp でマスク販売をスタートさせましたが、情報を聞きつけた方が、掲載前から購買されるというのが実情で、 HP が遅れておりました。
「使用」も「着用」も「合皮製」も佐山用に統一させます。
証明証もしっかりと作っており、完全に本物である満足感があるものです。
ファーストタイガー製もよろしくお願いします。

2007/12/12(水)

本日は午後の練習後、都立足立高校で講演をいたしました。

みんないい子でしたね。

桜木はお払いに行った方が良いようです。

2007/12/10(月) 完全に戻っている!

最近は第九識にのっとり、自分を毘沙門天の化身だと思い続けております。

なぜが練習では燃え上がり、自然に声が出てきて、限界に近いスピードがでるようになりました。
最近私が忘れていたものはこれですね。
なんとなく第九識が理解できると、上杉謙信の気持ちが分るような気がします。

私は自己催眠 ( 自己変性意識 ) で、常勝の神、毘沙門天の化身となるように入れているのです。
練習の時の顔は、毘沙門天とそっくりというしかありません。
本当に乗り移っているかのようです。

明日もこの神経を漲らせようと思っています。

2007/12/3(月) 私はただ今、小山で合宿中です。

なんと完璧な環境、「レッツ ボクササイズクラブ」という、小山駅からもごく近い所。
サンドバックは数知れず、キックとボクシングと総合まで出来るシステム。
おまけに岩盤浴までついている始末。というか岩盤浴に豪華なトレーニング場があるとでもいうのか。
完璧です。
隣のホテルで玄米を自炊し、とんでもない合宿をさせてもらっています。

今回は痩せることよりも動きを重視した合宿ですが、久々に完璧の予感がします。
肉離れも脱水症状にも負担のない状態で造りあげます。
もともとこの試合が目的だったのですから。

11月29日のTBS放映の催眠は大変評判良く、ようやく掣圏真陰流の催眠(変性意識からの導入)が本物であることが解ってもらえたようです。
合宿に集中していますが、催眠セラピーの日はとってあるので大丈夫です。
興味のある方や苦しんでいる方は、遠慮なく御相談してくだい。

掣圏真陰流はすでに心を解き明かしています。
その目的や高い確立において、今、科学密教を修めようとしています。
来週はその総本山に合宿に入ります。

マスク着用の証明書と写真や箱飾りのついたマスクは、このHPで販売ページを作ってあるのですが、出す前になぜかどんどん売れてしまい、出せない状況です。 もう少しお待ちください。
特別なタイガートレーナーも発表するつもりです。凄いですよ。

2007/11/25(日)

11月29日木曜日、24時25分から TBS のオビラジRというテレビ番組で、私の催眠セラピーが放映されます。

本日、テレビで聖徳太子の番組を見て、恐れ多くもおこがましくもありますが、太子と同じ臭いがすると思ったのは私だけでしょうか。
現在、密教を研究している私にとっては、太子が大変りっぱな方にみえました。

木曜日にテレビ放映される催眠セラピーは、私の全てではありません。
武道を確立するという大きな構想での、精神解体した中での変性意識という部門です。
私にとって催眠は、すでにプロのセラピーとしての粋を越え、さらに武道のため日々進化精進しているものです。

日本人は本番で弱いと言われています。
プレッシャーに弱いのです。
心の解明から解体、強さを創造し、術さえ構築して真の武道を完成させなくてはならないのです。それが私の使命だからです。

聖徳太子の番組では、太子の功績で我が国は多神教国家となり、日本人は「いいとこどり」をしたと放映していました。
確かに日本は今日まで、良い文化をより良く変化させ、高い民度を造り上げてきました。
ですが果たして現代、すべての文化が良いものでしょうか。
現行日本の民度を見よ!と言いたいのです。

芯が無ければ受け入れも、より良く変化させることは出来ず、愚に乗せられるだけです。
そうならないためには、強さを純粋無垢に定めた、偉大なる武道でなければなりません。
29日の番組では、武道を背景に持ち、心を自由に導く私を見てください。

松永先生も変性意識は第九識へ導くものと言われています。
他者を変性意識に導くことは私にとって、ごく簡単なことです。
催眠で大事なのは、その目的に沿って、いかに有効に暗示を入れていくかなのです。
無意識により有効なバリエーションは、豊富に研究し尽くしているつもりです。

そろそろマスクの販売を載せようと思います。
毘沙門天の輝虎マスク、ただ私が被るだけではなく、念が入っています。
ただのタイガーマスクではありませんよ、これからの私は。

12月20日は、見ていてください。

2007/11/19(月)

最高の域に辿り着くために、武道構築は精神分野に進み、早10年が経とうとしている。

今では私は催眠にまで進み、密教に関心を持っているが、一般の方々の中には、またまた佐山が何かとんでもないことに手を染め出した、と考える人もいると思います。
私自身も、あれ? これって洗脳をやってチベット密教を利用して・・・たものと・・
パターンが同類で、疑われるのではと感じがしますが、まったく違います。

まず催眠は科学であり、私の行っているのはショー催眠ではなく科学催眠です。
当初、暗示を解明するために、催眠を研究し尽くしましたが、その材料はセラピー用のものしか無かったのです。

私は多くのセラピーを行ってきました。
そして催眠が何であるかということも把握したつもりです。
気孔も行いますが、従来の気孔とはまるで異なります。
顕示催眠といわれる従来のものではなく、実はしっかりと催眠状態(変性意識)にさせて、様々な手段を取っていきます。
被催眠者はダイレクトに身体にエネルギーを感じることになります。

また、催眠と洗脳はまるで違います。
ダイエットや禁煙などの催眠は、無意識への洗脳術といえるかもしれませんが、
催眠とは元々自己催眠であり、本人がいやなものには入りません。

例えば、被催眠者に
「手を叩いたら立ち上がります」と暗示すれば立ち上がりますが、
「手を叩いたらあの人を殺します」と言ってもやりません。
また、「あなたは勝ちます」としても無意識への効果はありませんが、様々な間接表現を用い、自己の観念を変えることは出来ます。

密教について。
私が出会った密教は、科学密教です。
もともと空海からの伝道は、当時の自然科学であったようです。

松永先生は18年の苦行を経て「神はいなかった」と言った、大アジャリの方です。
さすがに空海を継承される方は、現代の科学を把握しておられ、驚愕しました。
私も精神性の追求から、精神分析学をはじめ、大脳生理学や量子力学にも手を染めて来たものですから、先生の言うことがいちいち理解できるのです。
そして、九識論は現代科学の域をさらに進んでいるというか、現代科学がそこまで追求しない、自然科学での心理をついたものといえます。

では武道として何が良いかというと、人間を問うことが出来ることです。
自己の環境を整え、人間形成への導きが見つけられるのです。

格闘技とは感覚意識です。
武道とはそれらを最強へと磨く機関です。
最強とは純粋無垢なところです。
純真ではありませんよ、自然のという意味です。純粋を持つ心が最も強いのです。
これは前々から私は言っていましたね。
その理論が密教にはあるのです。

松永修岳先生&佐山サトル

松永修岳先生が開いてくれた、私の講演でのスナップです。

2007/11/12(土) 講演をしてきました。

今まで経験したことのない、凄い講演でした。
ザ・ペニンシュラホテル・東京という最高級な所で、日本のVIPの人々の前で話をして来たのです。
第九識を教えていただいている先生の主催で、第九識を踏まえた格闘技論をしゃべらせていただきました。

先生は、第五識(五感)、第六識(意識)、第七識「マナシキ」(自我)、第八識「アラヤシキ」(無意識)、第九識「アマラシキ」を、科学的にしかも徹底的に知り尽くしている人で、現代科学の大脳生理学から量子力学まで全てを熟知しておられます。
その科学的な知識が本物であると解かる自分には、先生の五識から九識までの理論が、手に取るように理解でき、武道開発の全てが解決した気がします。

先生は、弘法大師「空海」を継承する、密教の大行満大阿闇梨(アジャリ)で、十八年の苦行を経て、ニーチェのように神はいないと言った人です。
なんで阿闇梨さんがと思われるでしょうが、実はそれが空海の伝える本物の密教の姿のようです。

密教はインドで生まれ、チベットで育ち、空海が中国に渡り継承し、その後、中国とインドの密教は衰退していきますが、日本で空海によって空海密教が開花されました。
それは空海が密教を科学で構成した、自然学の科学者であったからです。
空海密教が徐々に解かってくると、改めて空海の凄さが身にしみます。

私が言っているのは宗教上のものではありません。
先生は風水をやっていますが、それも自然科学での気の流れを分析したもので、例えば、どの色が人間の目に入ってくると、どう心理的に動くかとか等を解明したものです。
自然科学、それが空海の密教です。ですから、宗教と違い、科学の発達と共に進化していきます。またそれが空海の教えのようです。

ですから、現代に空海を継承するなら、現代に進化した科学者でなくてはならないのです。
私は先生がどう思われているか解かりませんが、大脳生理学や心理学など、九識論と連動され、まるで科学者と話しているようです。
先生のHPを見ても、風水のことが出てきますが、実はその中身には科学が詰まっています。

水戸光圀が水戸学として、儒教から武士道を構築し、山本常朝が葉隠として、禅から武士道を構築したのなら、私(おこがましいですが失礼)は現代科学で武士道を構築しようとしていました。

九識論に出会った今、さらに奥深い武士道が完成しそうです。
上杉謙信が密教の毘沙門天の化身なら、私は現代の毘沙門天の化身となって、虎のマスクを被りましょう。
戦闘生理学が九識と一体化したとき、さらに進化した科学武道が出来る、大きな期待感と確信があります。

2007/11/06(火)

今日は凄い対談と、食事会をしてきました。
まだ皆さんにははっきりさせることはできませんが、いずれドカーンと発表することでしょう。
武道が出来上がります。
そのために、最近の私が何をやっているかを、お知らせしましょうね。

精神科学はいつ頃構築されたのか?
意識・無意識の定義がフロイトによって起こされて100年、その前にも200人くらいが唱えていましたが、それでも200年のことでしょう。
その後、現代科学は意識・無意識を進化させ、今日までその理論で成り立っています。

催眠はというと、古代エジプトの時が最も盛んだったようで、現代ではこの50年から科学的に構築されてきました。
世界で完全に認められ盛んになりだしたのが、この2〜30年前からです。
おそらく古代では、我々が今行っているものよりも進んでいたでしょう。

現代精神学での基本概念は、氷山で例を表すように、海の上に見える氷山が意識の世界、しかし氷山は実は海の下に90パーセントが沈んでおり、無意識の姿がその沈んでいる部分というものです。
ユングの理論ですと、その無意識の中には普遍的無意識と個人的無意識が存在し、無意識が意識へ観念を運ぶというものです。

すると、仏教には九識論というものがあります。
第五識から始まり、五識とは人の五感(眼・耳・鼻・舌・身)の意であり、現代精神学の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のことです。
第六識とは、思考意識の意で、現代精神学の顕在意識(意識)と同じものです。
第七識とは未那識(マナシキ)と言い、自我意識を指します。もちろん現代精神学の自我と同じ意味です。
第八識とは、阿羅耶識(アラヤシキ)と言い、潜在意識のことで、意味も現代精神学の潜在意識(無意識)の観念と同じものです。

これから先の第九識は、現代精神学にはありませんが、これも科学の世界です。
あるいは哲学の世界で、第九識は純粋無垢の世界です。
そこに入ることで、五識・六識・七識・八識が一体化し、全てが充実するというものです。
反対に言えば五感を充実させ、意識を充実させ、自我を充実させ、無意識が充実され、純粋無垢は一体化されるのです。
第九識の意識は、純粋無垢、宇宙の感覚を一体化させることで、真の人間を問うものになります。
そのために五識からを最高の感性で養い、全てを構築するのです。

これは仏教という宗教ではありません。
現代科学が解き明かす前に、解明されていただけのことです。
宗教でもなく霊でも無く、科学なのです。

誰のために何を求めて闘いは続くのか。
格闘技を創始する途中から、一体何のために戦うのかが、私が求める最大の疑問となり、心武一体型の武道を形成することを目的としてきました。
しかし、強さへの生理的な作用は究明できても、構築という方でまだ疑問が残っていたのです。
肉体的な強さを造っても、精神的な強さを造っても、構築と共に培われなければ、人間を造ることは無意味で、無頼の輩をのみを作ってしまうことになります。

道場や私の前でだけ、礼儀正しいものであってはなりません。
心武一体とは、武道が造る人間性を求めるものだからです。

はたして礼儀や作法だけで、人間性は造れるのか?
その疑問を打ち払うように、九識は私の心を晴らしました。
待っていてください。完璧なる武道を創ってみせます。

遠い昔の理論が科学であるとするなら、その一体に導いてくれるものは、私にとっては求勝の存在「毘沙門天」です。
これからの興義館は毘沙門天を置き、試合用のマスクは毘沙門天の魂を入れて行きます。

2007/11/05(月)

佐山が造る武士道は、いよいよ局面を見出したと思います。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」
葉隠武士道の代名詞みたいな言葉ですが、この解釈は死ぬことが目的ではないと、他の文章からも解かるものです。
戦闘者の心から生まれた精神性文化、というのが武士道の実態ですが、今日までその精神性は無頼漢の輩にはならず、実に崇高な民を育ててきました。 仏教、儒教、禅などに感化され、封建制の厳守に文化を育てられ、我々の価値観や規範が作られてきたのです。

もし我々に現代の精神学よりも、さらに歴史があり性悪説や性善説をも越える科学があるとするなら・・・
死生感を越える生なる深さがあるとするなら・・・

現代武道を創るにいたり、私には最後の疑問がありました。
それは不動を司る心と、人間性を構築する接点です。
強さの中に、礼儀さえ教えればそうなるのか・・・

私は出会いました。
武士道と現代科学とそれが合体したら、歴史的なものとなるでしょう。

ヒントは、この度、興義館ではマスク販売を行いますが、全て私が着用し証明を付けたものです。
種類は、着用・使用・試合使用と分かれますが、これから私の試合用のマスクには、私の守護神である、毘沙門天か不動明王を縫いこませます。
これからの私のマスクには守護神が宿るのものとなります。

完璧なる武士道に向けて・・・・。
意識と無意識のさらに深くあるもの。

本当に催眠まで研究して良かったと、あらためて実感しています。
変性意識(催眠状態)はそれらを導く、大いなる道となるからです。

近く、私の催眠が地上波テレビで放映されます。